向島/ 向島百花園 (桔梗、芸妓さん達と半玉さん)
向島百花園
先日、YA氏と向島界隈を散策した。
最後の訪問先は「向島百花園」であった。
この日は「そば處 浅野屋」で巨大サイズの昼食を摂ったことから、パンパンになったポンポンを両手の掌でポンポンと叩きながらの入園となった。
入園料を払い始めて財布を出して千円札を取り出したところで、私はつい先日に65歳になったことを思い出し、半額の料金で入園させていただいたのであった。
年齢を証明する運転免許証を出そうとすると、提示をは求められず生年月を口頭で伝えることだけでOKであった。
流石は人情の街、向島である。
それにしても、未だカテゴリーシルバーに属したということを自覚できてないことであった。 庭門
「庭門」と案内図に書かれている庭園への入口となっている棟門を潜ると、緑の木々や草花が茂る庭園となった。
庭園の案内にはニッコウキスゲが咲いているということであったが、見つけることはできなかった。 桔梗
暫らく歩いていると「桔梗」の花が丁度盛りに咲いている処にでた。
YA氏は韓国語にも詳しいようで、「桔梗はトラジである。」とのたまわれた。
一方、私は昔日のことを思い出していた。
それは私が大学1年生の冬のことであった。
生家でテレビを観終わってソファから立ち上がった瞬間であった。
背中に鋭い痛みが走って暫らくの間であったが動けなくなったのであった。
この時は背中の筋肉に何らかのトラブルが生じたのかと思い、暫らくおとなしくしていると次第に痛みは和らいだのであった。
しかしながら、痛みは完全に無くなることはなく、息をするのも苦しい感じが続いたので、まあ筋を違えたのであろうという程度に考え、翌日から京都に戻ったのであった。
翌日から学校には通っていたのであったが、少しの運動で息が切れるし、うどんを啜る力が衰えていていつものようにうどんを啜り上げることができないでいた。
週末になって再び生家に戻り、その足で病院に行くと即刻レントゲン撮影受け、診断結果は「左の肺の自然気胸である」というものであった。
そして、1か月の安静を申し渡されたのであった。
その翌年にも再び「自然気胸」を患い、難渋したのであった。
その頃、祖父は俳句を、祖母は詩吟を、母は華道を嗜んでいて皆が雅号を持っていた。
また、私は「狐狸庵」先生に心酔していて、雅号を持つことに興味があった。
そういうこともあって安静期間中は退屈がそうさせたのであろうか、自分の雅号を考え始め、正岡子規に影響を受けた訳でもないが「桔梗」を我が雅号とすることを思い立ったのであった。
私は桔梗を見るといつもそのことを思い出すのである。 池に映える緑木と空木(スカイツリー)
蓮の花
さて、園内の逍遥を続けていると様々な佳景に出会うことができた。
特に池の面には木々とともにスカイツリーが映えていたし、蓮の花も清楚な姿を見せていた。
更に園内を歩くと、華やかな女性達の姿が目に飛び込んできた。
一人は洋装で三人は和装の女性、また一人は初々しい姿の半玉さんであった。
どの女性も姿勢が良く、また服の着こなしも艶やかであった。
向島百花園というロケーションから察して、半玉さんや共に歩いておられたのは向島の芸妓さんたちだったと推察した次第であったが・・・。
あづまや
あづまやではトーキョーサイダー(復刻版)や昔懐かしい瓶入りのコカコーラなどが販売されていた。
残念ながら、YA氏も私も昼食によってお腹がパンパンであったことから次回に機会があればいただくこととして、前を通り過ぎたのであった。
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