STAR WARS/ ROGUE ONE A STAR WARS STORY
ROGUE ONE A STAR WARS STORY
先日、「STAR WARS」の「ROGUE ONE A STAR WARS STORY」を観にいった。
スクリーンを観ている間に持った感想は、この映画が「STAR WARS」という冠ネームが付いていなかったら観には行かないだろう、ということであった。
映画そのものとしてはまあまあ面白いのであったが、私の持つスターウォーズという概念の中には入って来ない感じであったからである。
が、その想いが覆ったのは最後の1分間によってであった。
その1分間にレイア姫を演じるCarrie Fisher女史が現れたからであって、その瞬間にこの「ROGUE ONE A STAR WARS STORY」は私にとって親しんだ「STAR WARS」に変貌したのであった。
「STAR WARS」にはそのファンにとってそれぞれの拘りと強い思いがあると思っている。
そこで、私事で恐縮であるが、私にとって「STAR WARS」とは
◇STAR WARS EPISODE Ⅳ A NEW HOPE
◇STAR WARS EPISODE Ⅴ THE EMPIRE STRIKES BACK
◇STAR WARS EPISODE Ⅵ RETURN OF THE JEDI
の三作であって、残りの作品には余り興味がないということに気付いたのである。
多くのスターウォーズファンにとっては偏ったものであると思われるであろうけれども、これに関しては頑固親爺と言われようが、それで結構けだらけねこはいだらけなのである。
さて、上述のような考えに至った背景として考えられるのは、上掲の三作の主な出演者は全て同じであって、これが私にとって大切なポイントとなっていると推察している。
言い換えると初めて出会ったスターウォーズの印象が強烈であり、加えて私とほぼ同世代の人達が主たるキャストであってかつ共に齢を重ねた人達であることからある種の共鳴感があるということが大きな要因であろうと推察しているのである。
したがって、彼らにはずっと元気でいて欲しいと心の中で思ってきたのではないかと思うのである。
ところが「ROGUE ONE」はCarrie Fisher女史の遺作となってしまったのであった。
そして、「ROGUE ONE」のエンドロールの最後の方でCarrie Fisher女史の名前を見ることができたが、なぜかこれが墓標のように思えて仕方が無かった。
心からご冥福を祈っております。
May THE FORCE be with Carrie.
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