霞が関/ 万世麺店 霞ヶ関店 (排骨拉麺)
万世麺店
先日、朋友のHO氏に誘われて霞が関ビルで開催されるセミナーに参加させていただいた。
パネリストの中心は小泉進二郎衆議院議員で、そのヴァイタリティと熱い語りには魅了されたのであった。
流石は日本政界の将来を担う人材である。 霞が関ビル
セミナーは14時からということで、HO氏とは霞が関ビルのロビーで13時半に待ち合わせをしたのであった。
私は勤務していたM社が汐留に移る前に霞が関ビルの中にあったことから慣れ親しんだビルであったが、久しぶりに訪れてみると明らかに様変わりしていたのであった。
特に飲食店の入っていたB1階フロアはかつての面影が無くなっていた。
実のところ、昼食に好く通った蕎麦屋は無くなっており、楽しみにしていた「親子蕎麦」(鶏肉が卵で綴じられたものが載った温かい蕎麦で、椎茸、ホウレンソウ、など色々な野菜が載せられたヴォリューミーな一品)は口にすることができなかった。 タッチパネル式券売機
そこで、次善の策として選んだのが「万世麺店」であった。
というのは、その昔霞が関ビルのB1階にあった飲食店で、今も残っているのはこの店だけであったからである。
所謂ノスタルジックチョイス、という選択であった。
往時は「万世」という名前であったと記憶しているが、今は名前が変わったようであった。
また、当時から食券をボタンの沢山並んだ券売機で購入するシステムであったが、今はタッチパネルの券売機に変わっていた。
最近は私もタッチパネルに慣れてきたのか、滞りなく操作ができるようになっており、当店のベースラインを支える「排骨拉麺」の食券を難なく手にしたのであった。
そして、昔の戦場を訪れた老兵の如く感慨に震える手に食券を握りしめ、店内中ほどにあるテーブル席に着いたのであった。
因みに、私が霞が関ビルに居た当時の店舗は奥に長く延びていて、U字型のカウンターのみの設えであった。
また客は店舗右側の入口(Uの字の左上)から入り、店舗の左側の出口から出るという流れができていた。
席数は全部で20席程度であったと記憶しているが、昼食時には食べている後ろに人が立っているという状態がずっと続くのであった。
それが、今では広い入口と店内はカウンター席およびテーブル席で占められ、面積も以前の倍くらいとなっていたのであった。
この日は土曜日であってかつ13時過ぎという時間帯であったことから、店内は空いていた。
今でも平日は長蛇の列ができるのであろうか・・・。 排骨拉麺
さて、着席すると直ぐにヴェテランの様相を呈したお姉さんが食券の半券を捥ぎり、厨房に「パーコーメン、お一人様~ァ。」と伝えてくれた。
待つこと暫し、懐かしの「パーコーメン」が運んでこられた。
因みに「排骨拉麺」と書いてパーコーラーメンと称するようであるが、お姉さんの発っした音は昔からの「パーコーメン」で変わっていなかった。 排骨拉麺
先ずはスープを一啜り、次いで豚肉を揚げた「排骨」を一噛みした。
昔と変わらぬあの味である。
こう書いては申し訳ないが、変わらず劣らずシャビィな味である。
が、これが「パーコーメン」に固有の味であって、霞が関ビルで働いた者にとっては聖なる味なのである。
麺もその見かけよりももっちりと重量感のあるツルツルしたものであって、食べ応えがあった。
では、変化したものは何か・・・、というと、器である丼鉢とその下の黒い皿である。
前者は記憶が定かではないが白い丼鉢で、かつもっと鋭角に立つものであったように記憶している。
後者は、無かった。
霞が関ビルのリノヴェーションを経て、店舗も器もオシャレになったというものであった。
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