恵比寿/東京写真美術館(「岡村昭彦の写真」展)
ポスター
報道写真家であった岡村昭彦氏の写真展である。
7月から開催されていて9月23日で終了となる。
東京写真美術館
さて、今回の写真展であるが報道写真の中でも世界に衝撃を与えた事件を捕らえたもので、ヴェトナム戦争やビアフラの内線、アイルランド独立戦争などを、それぞれの現場の奥深くかつ長期に亘ってロングレンジで捕らえたもので、岡村氏がその事象に飛び込むことによって事象の深奥までえぐりだし、かつ時間と距離というレンジが長いことによって、報道される内容の体積(現場への浸透の深さX取材の期間X事象の理解の深さ)が大きくなっていることが魅力の一つかと推察している。
総計182枚の作品が展示されていたが、その中で私が最も心を動かされたのが「展示#8:デモを弾圧しようとする兵士を制止する僧侶」(1964年)であった。[掲載できる写真は残念ながら入手できていない。
]
本作品の背景であるが、ヴェトナム戦争初期に米国の支援でキリスト教徒の政府ができたのであったが、その為に仏教徒が激しく弾圧された時期があったというのである。
展示#8の写真はこの時期の写真で、仏教徒の僧侶がデモを弾圧する政府側の銃を持つ兵士の腕を自らの手で押さえた瞬間の写真であった。
この瞬間は、僧侶にすれば身の危険を顧みなかったものであろうし、兵士にすれば弾圧する対象の仏教徒が自分の腕を押さえようとしていて場合によっては強硬手段も辞さないものであろうし、撮影する側にすれば反政府的な報道を理由に拘束されるかあるいはその場で危害を加えられる可能性がある、という緊迫した瞬間である。
そしてそれぞれの行動は、僧侶の場合兵士が銃を向ける対象にしている者の命が奪われるのを防ごうという人本来のあるいは仏教僧としての行動であろうし、兵士は命令を順守しようという行動であろうし、カメラマンは事実を克明に写しとろうという行動であろうし、それぞれの考えがこの一瞬い凝縮された写真であるように思うのである。
私はこの1枚の写真を見て思わず息を呑んでしまったのであった。
更に、自分の場合どのような行動ができるのか、考えてしまった。
こういう状況下で、僧侶のような行動をおこせるであろうか?このような瞬間でカメラを構えることができるであろうか?はたまた、兵士となった場合、命令に従って人を撃てるのか?
今の世相を顧みたら、ありえない話ではないかもしれぬという思いが頭をよぎる。
私ではなく、我が子孫の時代において・・・。
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