« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »

2021年2月

2021年2月28日 (日)

USA (Stamps)/ 1994 Winter OLYMPICS LILLEHAMMER NORWAY 

1img_0010001_20210228111001 1994 Winter OLYMPICS LILLEHAMMER NORWAY

先週でしたか、それよりも少し前でしたでしょうか、テキサス州の南部に位置するヒューストンも猛烈な寒波に襲われたとの報道がありました。

1img_0010-2 ALPINE SKIING

私がヒューストンに住んでいた1988年にも猛烈な寒波が襲来しました。
亜熱帯性気候に含まれるヒューストンではエアコンしかない家が多くてそれぞれが暖房をフル運転にしたことから停電が発生しました。
また、基本的に道路の凍結が前提となっていないことから高速道路のカーブに施されたバンク(傾斜)が寒冷地よりも勾配が強くて、ここに凍結した氷でスリップする事故が発生して交通がマヒしたりと、かなりの混乱を呈したものでした。
そういえば、出張で来られたYS氏を伴って訪ねたビルでは駐車場が複数階になっていて、1階は駐車するスペースが無く、しかたがなく上層階を目指しましたが踊り場に張った氷で我が車はスリップしてそれ以上登れなくなったことは記憶するところです。

1img_0010001-2 LUGE

基本的にはヒューストンやメキシコ湾に面したエリアでは左程頻繁に寒波が襲来するということはありません。
しかしながら、極稀に北極エリアに猛烈な寒気団が発生しますと、ヒューストンは一気に寒冷化するのでした。
アメリカの地形を見ますと、東側にアパラチア山脈、西側にロッキー山脈がそれぞれ南北に壁のように立ちはだかっていますが、一方で東西に延びる山脈はなく、北極エリアに大きな寒気団が発生しますとそれを遮る山脈は無く、寒気が南のメキシコ湾岸にまでなだれこんで来るのです。
因みに、この現象は「寒気の舌」と呼ばれていたように記憶しています。
 
1img_0010002 ICE DANCING

しかし、ニューヨークに住むようになってからは、冬の寒冷対策は当たり前のように整えられていて、雪で覆われた高速道路にはブルドーザーのブレードのような装置を車体の下あるいは前に装着し除雪自動車が道路上の雪を道路脇に押しやっていました。

1img_0010003 NORDIC SKIING

1994年の冬だったと思いますが、MA州のSpringfieldに自動車で出張した際には、面談とほぼ同時に雪が降り始め、昼の会食が終わるまでに30cm以上の積雪となっていました。
帰り道はどの道も深い雪に覆われていましたが、除雪自動車が出動して、主要な道路は通行できるようになっていました。
また、I-95では先述の除雪自動車が、5台ほど斜めの列になって道路の中から外へ連携して積もった雪を出しており、私はその後ろに40mph程の速度で付いてSpringfieldからRYEまで帰ったこともありました。

1img_0010004 ICE HOCKEY

さて、Winter Sportsですが、アメリカでは南部よりも北部の方が言うまでも無く盛んに行われていました。
因みに、私が生まれて初めてスキーをしたのはNYに転勤してからのことでした。

1img_0010_20210228111001 1994 Winter OLYMPICS LILLEHAMMER NORWAY

   

2021年2月27日 (土)

USA (Stamps)/ MARS PATHFINDER JULY 4, 1997

1img_20210225155601 MARS PATHFINDER JULY 4, 1997

今年の2月18日にNASAの火星探査ローバー「Perseverance」が火星に無事に着陸したことがニュースとなりました。
が、それを遡ること約24年の1997年7月4日、すなわちアメリカ合衆国の独立記念日に同じくNASAの火星探査機群「MARS PATHFINDER」が火星に着陸しています。

この記念切手はその火星探査機群「MARS PATHFINDER」の火星着陸を記念して発行されたもので、私は出張したNYで購入したようです。
切手のデザインは「Mars Rover」のものです。
この「Mars Rover」は,コスト削減を目的にそれまでのロケットエンジンの噴射による軟着陸ではなく、エアバッグにカバーされていて、着陸に際してはそれがクッションとして機能するという方法で火星表面に投入されたそうです。

1img_0001_20210225155601 MARS PATHFINDER FACTS

なお、この切手には模造防止の点から肉眼では見えないもののdecorderレンズを介すると見える「Mars Pathfinder, July 4, 1997 and the letters USPS」という文字が印刷されているということです。

Ref:USPS HPより
The Mars Pathfinder stamp is the third U.S. stamp subject to incorporate hidden images to prevent counterfeiting, while adding an interesting design element. The hidden text -- Mars Pathfinder, July 4, 1997 and the letters USPS --is not visible to the naked eye but can be viewed by using a decoder lens, which is available through the Postal Service's Philatelic Fulfillment Center in Kansas City, MO. The U.S. Air Force and Classic Movie Monsters stamps issued earlier this year also feature hidden images.

   

2021年2月26日 (金)

USA (Stamps)/ LOVE SERIES STAMPS 1995 (LOVE (CHERUB, with ARMS crossed))

1img001_20210226160501 

この切手も昨日と同じ1995年に発行されたLOVEシリーズの一つです。
描かれているのは昨日と同じく天使界の上から2番目の階層にいるCHERUBIMさんです。

1img_20210226160501
 
なお、昨日のは湿らせてから貼付するタイプの切手でしたが、今日のはシールタイプのものです。

   

2021年2月25日 (木)

USA (Stamps)/ LOVE SERIES STAMPS 1995 (LOVE (CHERUB, with HANDS under CHIN))

1img-2  LOVE (CHERUB, with HANDS under CHIN)

アメリカの記念切手のLOVEシリーズは1973年に初めて発行されました。
その次が1982年の発行でしたが、それ以降は毎年ではありませんが現在までデザインを変えて発行されています。

ここに掲げたのは1995年に発行されたもので「LOVE (CHERUB, with HANDS under CHIN)」というタイトルが付けられています。
なお、他の切手とは異なって額面が記されていませんが、1枚¢32です。

1img_20210225140301 LOVE (CHERUB, with HANDS under CHIN)

因みにCHERUBとは天使のことです。
が、天使には下から上まで9つの階層があって、上位から次の様になっているそうです。
私はこのことを今の今まで知りませんでした。

 Seraphim
 Cherubim
 Thrones
 Dominions
 Virtues
 Powers
 Principalities
 Archangels
 Angels

ということで、この切手に描かれている天使は上から2番目の階層に属する天使です。
なお、私達が天使として知っているAngelさんは9番目の階層に属する天使ですが、それぞれの役割はどうなっているのか興味あるところです。

   

2021年2月24日 (水)

USA (Stamps)/ LOVE SERIES STAMPS 1994 (LOVE (Heart as Sun, Rising))

1img_0002-2  Heart as Sun, Rising 

この「Heart as Sun, Rising」というタイトルの切手は「LOVE」シリーズの一つで、1994年に発行されたものです。
私がNY勤務していた時にグランドセントラル駅のレキシントン通沿いにある郵便局で購入したもので、当時はマンハッタンのオフィスから郵便局までは徒歩で5分程度の距離でしたので、昼食の帰りなどに好く立ち寄ったものでした。

なお、1994年に発行されたこの「Heart as Sun, Rising」は「LOVE」シリーズにおいては初めての『self adhesive stamp』だそうです。

1img_0002_20210224140001 Heart as Sun, Rising 

ところで、今日は何故に切手がテーマなのか?
それは、そういう気分だからでしょうか。

   

2021年2月23日 (火)

府中/ 毎日どうでしょう 高級食パン専門店 (レーズンブレッド:フルーティーな午後) w/ 結石(4)

1img_0211 毎日どうでしょう 高級食パン専門店

昨日は夕方の5時頃から急に結石の激痛が始まりました。
昨日は未明から痛みはほぼ解消されていたので結石は排出された可能性が大きいと勝手に判断して、全く油断していたのでした。
が、過去20数年に亘って経験してきた結石の激痛を他のものと判断することはなく、先手を打って痛み止めるの座薬を躊躇なく使ったのでした。

そして、その効果があったのか激痛は治まりましたが、10時過ぎまで結石が居ることによる違和感と軽微な痛みがあったのでした。
また、就寝のために体をそっと横たえますと、あ~ら不思議、違和感も痛みも治まったのでした。
これは多分ですが、結石の場所が痛点から遠ざかったことによるものと推察しています。

今日は、朝から股間に結石特有の違和感があるものの激痛は発現せずに小康を保っています。

ということで、気分を入れ替えるために、過日訪ねた府中のベーカリーを思い出してみようと思います。

1img_0212_20210223132901 帰り道、紙袋を見た子供さんがパンと言っていましたが、きっとあの子も美味しく食べたのでしょう

あの日は、夕方になって散歩に出ました。
珍しく東八道路に出たのでしたが、少し歩きますとそこは隣接する府中市となりました。
府中方面に出たのは随分ぶりのことです。
そして気付いたのはそこにベーカリーができていたということでした。

そのベーカリーは「毎日どうでしょう 高級食パン専門店」という名前が店頭に掲げられていました。
店の前を通り過ぎようとしますと、店内から若いお兄さんとお嬢さんが声を掛けてくれました。

1img_0214 

そこで、フラリと近寄っていきますと、販売されているのは食パンとレーズンブレッドの2種類のみでした。
そこで、レーズンブレッドをいただくことにして価格を尋ねますと、千円を超える数字が帰ってきたのでした。
1斤が千円か~ぁ、と思っていますと、1本即ち2斤の価格であるということでした。
更に数日で食べ切るには量が多いとは思いましたが、冷凍保存すれば大丈夫ということでしたので、購入することにしました。
なお、レーズンブレッドには「フルーティーな午後」という名前が付けられていました。

1img_0216_20210223132901 峰の部分が少し収縮

持って帰って早速に一切れをいただきました。
フワリとした食感と生地の甘味が好印象で美味な一品でした。

1img_0217_20210223132901 断面(思っていたよりブドウが少なかったかな)

また、断面を見ますと、ブドウパンでは制御が難しい干しブドウの水分が起因する大な空洞は抑えられていました。

一方、レーズンブレッド本体の形を見た時に、峰の部分が少し陥没していることに気付きました。
このことから、パンの形状に与える因子として、生地の流動性、焼き上げる際の生地を構成する分子どうしの架橋の進み具合、発泡する際にできる気泡の大きさとその繋がり具合、などが微妙に関係しているであろうことを思い浮かべた次第でした。

   

2021年2月22日 (月)

小金井/ 早春の景色 (キツツキ?) w/ 結石(3)

1img_0321 貫井神社の境内

ここのところ天気が好いうえに気温も高く、報道によりますと4月の陽気に恵まれているそうで、たいそう気持ちの良い日が続いています。
が、私は排出したと思っていた結石がどうやら膀胱を少し出たところで留まっているようで、残尿感ならぬ残石感に不快な思いをしています。
ま、このように結石が何処にいるのかが分かるのは20数年に亘ってほぼ3年ごとに結石に悩まされてきた経験がベースになっていますが、できることならこういう経験はしたくはないものです。

1img_0322 紅梅の木

さて、一昨日は夜になって石が腎臓およびそれに繋がる尿管からは出たようでしたので激しい痛みはなくなりました。
しかしながら、残石感の原因になっている膀胱の下の結石があり、これを追い出すべくユルユルと歩いて貫井神社に詣でました。

貫井神社では太鼓橋を渡っていますと、cocococococoと非常に短いサイクルで木をたたく様な音がしました。
また、その音は木の繁みの方から聞こえてきたのでした。
はて、面妖な!
と思い立ち止まりますと、暫くして再びcocococococoという連続音が聞こえました。
我が人生でこういう音を聞いたのはアメリカに住んでいる時に自宅の庭の木をつつくキツツキの出す音だけです。
ということで、貫井神社の境内にはキツツキがいたものと推察するに至っています。

1img_0324 真行寺の紅梅と白梅

貫井神社に参詣した後、隣の真行寺の前を見ますと、紅梅と白梅が咲き誇っていました。
これも毎年見る光景ですが、なかなか綺麗な光景です。

1img_0333 坂下橋の西側の梅の木は満開

野川の淵を下流に向かって歩きますと、いつもよりも水の量が少なくなっている様子でしたが、淵の草々やサクラの木は春の準備が着々と進んでいるようでした。

1img_0331 

また、坂下橋の上流側にある梅の木は満開でした。
タイミングが良ければメジロなどが蜜を吸いに来るところが見れるようですが、今日は居ませんでした。

1img_0337 

更に、大きな栗林を通っていますと、枝に残った毬がありました。
それは何かがパックリ口を開けているような、なかなかシュールな景色でした。

1img_0338 

また、栗の木の下には小さな淡いブルーの花弁の花が咲いていました。

1img_0340 

春はもうすぐのようです。
が、我が残石感はまだ厳寒の枯野で固まった氷のような重い痛みとして続いています。

   

2021年2月21日 (日)

健康/ 結石 (2)

1img_0263 モード学園コクーンタワー

昨日は朝から結石の存在に留意しながら過していましたが、14時を過ぎた頃から急に「あの恐れていた結石の痛み」が急に現れました。
30分ほど痛みの推移を見守っていましたが、痛みはだんだん大きくなりました。
このままでは過去に何度も経験したように七転八倒の激痛になるであろうことが予測できましたので、泌尿器科クリニックでいただいた座薬を使ったのでした。

1img_0265 ビルの先端191mから蒸気

しかしながら、痛みは激しさを大きくは増さないにしても激痛と鈍痛が消えない状態で続いたのでした。
夕食はご飯をスプーンに2杯ほどの量を食べただけで、腹腔内の状態に変化を与えないようにしていました。
ただし、水はほどほどに飲み続けていました。

1img_0266 都庁舎

そして、20時頃になって何時の間にやら痛みが薄れていることに気付いたのでした。

1img_0268 都庁舎上層部

さはさりながら姿勢を変えると、もし結石がその位置を変えて痛みの神経を刺激するといけないので、22時頃までは上体を起こしたままの姿勢を維持していました。

1img_0269 Pfizer社のビル

とはいいましても、昼間の痛みや慣れない姿勢を続けたこともあって疲れが溜まってきていましたので、恐る恐る寝ることにしました。
そして、幸いなるかな夜中に1回目が覚めただけで熟睡し、今日の朝を向けることができたのでした。
なお、続いていた血尿は治まっているものの股間に違和感があり、諸々の現象から判断して結石は膀胱より腎臓側には居ないように推察しています。

ということで、先日訪れた快晴の日の新宿の空のようにとはまいりませんが、昨日に比べて気分は軽くなっています。

   

2021年2月20日 (土)

新宿/ DexeeDiner -the meat locker- (BEEF CUTLET PLATE、 赤ワイン)

1img_0287 DexeeDiner -the meat locker-

先日、2ヶ月に1回診ていただいている新宿のクリニックに行った帰りに高島屋新宿店の傍を通りました。
時間としては12時半に程近いタイミングでしたので、高島屋新宿店の12・13階で混んでいないレストランがあれば入ってみようと思いエスカレーターで上がって行きました。
すると、先ずはエスカレーターですが私の前後に一組人が居るか居ないかというようなガラガラ状態でした。
したがいまして、12・13階のレストランフロアもしかるべくガラガラで、おまけに営業している店はほぼ半分位になっていました。
それにしても悲しいかな、疫病コロナの悪影響で高島屋ですらこの様な様相を呈していたのでした。

1img_0276 パティオからの眺め

それぞれのフロアで営業中の店でソシアルディスタンスというものを確保できそうな店を探していますと、13階の数軒の店舗でパティオのある店があり、その内の「DexeeDiner -the meat locker-」というレストランは未だ未入店でしたのでこちらに歩を進め、オープンエアになっているパティオのテーブルに着かせていただきました。

パティオでは幾つか並べらられたテーブルの内の木陰になっているテーブルが空いていたので、そこに着座しました。
場所は13階なので新宿とはいえ高層階であることから空気は澄んでおり、また好天のせいで寒くなくて心地よい状態でした。

1img_0273 

席に着いて水が供され、次いで手渡されたメニュを見ましたが、店頭のディスプレイを見て料理は「ビーフカツプレート」と決めていたので、飲み物のページから見ました。
この時点で赤ワインをいただこうと密かに決めていたのでワインの欄を見ますと、「CARNIVOR」がお薦めになっていました。
この「CARNIVOR」という赤ワインは肉料理との好マッチングが基本コンセプトのようです。
因みに、「CARNIVOR」は、2017年5月に府中の「ベリーグッドマン」という洋食レストランでYH氏といただいております。
また、価格は同じく700円/グラスという設定でしたが、60~70mlでの価格設定が共通しているようです。

1img_0277 サラダ(左)、スープ(右)

タイミングを見計らって再び現れたウェイターさんに「ビーフカツプレート」を注文しますと、スープとサラダが200円で追加できるとのことでした。
サラダには興味はありませんでしたがスープはいただいてみたいという興味と、コロナ禍でも営業を継続されているこの店へのささやかな支援の意味も含めて、いただくことにしました。

1img_0279 オックステイルの白湯スープ

先ず最初にスープからいただきましたが、ウェイターさんからは「オックステイルの白湯スープ」と告げられました。
感じとしては韓国料理のコムタンスープに似た柔らかい口当たりと骨髄エキスのトゥオロリとした口当たりがしたようでした。
が、同時にブラックペッパー系のアクセントによって洋風な仕上がりにもなっていました。

1img_0280 サラダ

サラダは新鮮なものでしたが、私には少し多めでした。

1img_0282 

スープとサラダをいただき、「CARNIVOR」をチビリチビリと飲っていますと、「ビーフカツプレート」が供されました。

1img_0284 ビーフカツプレート(レモンはお好みでビーフカツに、とのこと)

「ビーフカツプレート」には、主役のビーフカツに格子状のフライドポテト、マッシュトボイルドエッグのマヨネーズ和えを纏ったマカロニサラダ、数種類の葉野菜のサラダ、そしてスティームドライスが合わされていました。

1img_0285 センターはピンク色のミディアムレア状態

「ビーフカツ」は予めカットされていて、その断面がセンターはピンク色のミディアムレア状態に仕上げられていました。
そして、価格から想像していたのよりは肉質が柔らかでした。
また、ソースについて尋ねますとグレイビーソースとの返答を得たのでしたが、私が知っているグレイビーソースに比してサラリとしていました。
しかしながら、その味はくどくない程度にニンニクのアクセントがあり、そこに醤油を彷彿とさせられる収斂味があり、これが『ビーフカツに合う!』のでした。

   

2021年2月19日 (金)

Wine/ HUGH JOHNSON’S POCKET WINE BOOK 2021

1img_0001_20210219111301 

先日、2ヶ月に1回訪ねる新宿のクリニックが終わった後、洋書専門店に立ち寄って「HUGH JOHNSON’S POCKET WINE BOOK 2021」を購入しました。

近年はワインに触れる機会が減っていた上に疫病コロナのせいでますますワインとは縁遠くなっています。
が、この「HUGH JOHNSON’S POCKET WINE BOOK」はアメリカ勤務時代から購入を続けて30年以上となっており、その流れの延長線上で今年も購入した次第です。
本来であれば遅くとも12月中には購入しているものですが、やはり外出を抑えている中で漸く購入に至ったのでした。

さて、我が親しき人達とワインを楽しめる日が早く来ることを切に祈って1年が経過しました。
引き続きもう少しの間、我慢が必要なようです。

   

2021年2月18日 (木)

健康/ 結石

1img_0305 

2日前の夕方というか、就寝前に淡赤色を呈した血尿がありました。

血尿を経験するのは人生で初めてのことです。
余談ではありますが、人生で初めてということはこれまで尿に血が滲むような苦労をしてこなかったということになります。

さて、余談は脇に置いておきまして、血尿のあった翌日、即ち昨日は褐色の尿が出続け、今朝も同様の状態でした。
そこで、いつもお世話になっている病院に事前に電話をさせていただいた後に訪ね、早速に尿検査をしていただきますと明らかに血液が混ざっている(尿潜血定性:3+、赤血球:>100HPF)ということでした。

しかしながら、その病院では泌尿器科が無く、疾患の解明のためには専門科での診察を薦められ、その病院の近くにある泌尿器科のクリニックを紹介していただきました。

早速そのクリニックで診ていただきますと、流石は専門のドクターで超音波画像診断機器をチョチョイのチョイと操られただけで腎臓に石があることが判明し、その上で明快な説明をしていただいたのでした。
また、他の疾患が影響している可能性を見極めるために更なる検査が行われ、来月に改めて検査結果を説明していただくこととなりました。
なお、再び余談ですが、このドクターは私が今までに出会った医療に従事される人の中で最も超音波診断技術に長けておられました。医は経験に裏付けされることが多いようですが、このドクターは相当な経験を積まれた仁とお見受けした次第でした。

ところで、今日は血尿の診断に時間を要したことにより昼食を摂るタイミングが午後2時頃となり、夕餉の晩酌に影響が出ないよう軽くサンドウィッチを食べることにしました。
ということで、帰り道でファミリーマートに立ち寄り「たまごサンド」と「ハムカツサンド」を贖いました。
どちらも大層美味なサンドウィッチでした。

   

2021年2月17日 (水)

CALCUTTA (INDIA)/ Scenery of CALCUTTA [1985]

1img_0003_20210215145201 市場

1985年のインド出張では36枚撮りのカラーフィルムを3本持って行きました。
が、それだけではフィルムが足りなくなり、ホテルの近くの写真機材を販売する小さな個人商店でフィルムを1本購入しました。
私はカラーのネガティヴフィルムを求めたのところ、1本のフィルムが手渡されました。

日本に帰ってから気付いたのでしたが、それはモノクロームフィルムだったのでした。
ということで、昨日あたりから白黒写真が混ざっていますが、そういうことだったのです。
とはいいましても、改めて見ますと白黒写真もなかなか味わいがあるということに気付いた次第でした。

1img_0005_20210215145201 Victoria Memorial

1img_0007_20210215145201 Victoria Memorial Hall エントランス

1img_0009_20210215145201 ガンジス川

1img_0011_20210215145201 ガンジス川

1img_0010_20210215145201 ガンジス川

1img_0014_20210215145201 牛さまの大群

1img_0015_20210215145301 牛さまの大群が道路を通過、自動車はインドの国民車アンバサダー

1img_0023_20210215145301 DAIHATUのリキシャー

1img_0022_20210215145301 HOTEL OBEROI GRANDからの眺め

1img_0021_20210215145301 同上

1img_20210216144201 地図

   

続きを読む "CALCUTTA (INDIA)/ Scenery of CALCUTTA [1985]" »

2021年2月16日 (火)

CALCUTTA (INDIA)/ Scenery of CALCUTTA [1985]

1img_0009_20210214111701 Victoria Memorial

1985年5月のインドは私達にとっては暑く感じられ、ニューデリーでは移動で使ったセドリックがエアコンをフルに効かせていたにも関わらず後部座席に座っているとズボンの股間部分が汗に汗が滲むという経験をしましたが、それはカルカッタでも同様でした。

1img_0010_20210214111701 Victoria Memorial

さて、カルカッタでも新規顧客開拓や既存顧客訪問でフルに動いていましたが、時々車窓から見える風景を写真に撮っていました。
今では既に35年ほどの時間が経過していて、この写真を撮った時の風景は街の発展と共に変貌したことと想像するに難くないことです。

1img_0011_20210214111701 ターバンを巻いたバスの運転手、要所の警備

1img_0017_20210214111701 インド建築

1img_0018_20210214111701 カルカッタ市内

1img_0012_20210214111701 カルカッタ郊外の風景

1img_0020_20210214111701 同上

1img_0023_20210214111701 踏切で長~~~い列車の通過待ち

1img_0026_20210214111701 インド物産店

1img_0192 小さなインド絨毯

なお、掲載を忘れていましたが、ニューデリーの絨毯専門店で小さなインド絨毯を購入していました。
なかなかどっしりとした絨毯です。

   

2021年2月15日 (月)

CALCUTTA (INDIA)/ INDIAN MUSEUM [1985]

1img_20210214132001 

1985年5月のインド出張において、カルカッタでは「Hotel Oberoi Grand」に宿泊しました。
「Hotel Oberoi Grand」は高級ホテルで、中庭にはプールもあり日本からの出張者は週末をプールでのんびり過ごす人もいました。

1img_0001_20210214132001 Hotel Oberoi Grandのメモ用紙

が、私はプールサイドでのんびりするよりもホテルから程近い場所にある「INDIAN MUSEUM インド博物館」に興味があったのでこちらを一人で訪ねることにしました。

因みに「INDIAN MUSEUM」はインドで最初(1875年)に設立された博物館だそうで、数多の国宝および国宝級の収蔵物が展示されているということで、訪問必須の博物館でした。
そして、幸いなことに「INDIAN MUSEUM」は宿泊ホテルである「Hotel Oberoi Grand」と同じChowranghee Rd.チョーロンギー通という大通に沿って南に200m程の場所にありました。

1img_0020_20210214104301 INDIAN MUSEUMのエンブレム

さて、ホテルを出てチョーロンギー通を歩き始めますと直ぐに一人のインド人青年が語りかけてきました。
その内容は他愛無いもので、何処から来たのか、何処へ行くのか、などでした。
が、数メートル歩く内に何処からともなくインド人の若者が現れました。その数は全部で7~8人はいたようです。
そして、私の周りを取り囲んだかと思う間もなく押しくらまんじゅう状態になったのでした。

何が何やら分からないまま身動きができず、そういう状態が数秒続いたのでしたが、強く押された拍子に体がよろけ、思わず「オットット!」と声を発したところ、彼らは一目散に散り去ってしまったのでした。
因みに「オットット!」というのは、当時人気を博した『オレたちひょうきん族』というフジテレビの番組で流行っていたフレーズでした。

彼らが去った後、肩に掛けていた分厚いナイロン生地のバッグを見ますと、ファスナーが開けられ、中に入れていたフィルムの容器の蓋が開けられてパトローネが転がっていたのでした。
また、バッグの中には、パスポートや財布が入っていましたが、これらは無事でした。
あの「オットット!」というフレーズを発していなければ、パスポートなどの盗難事件ということになっていたことでしょう。

1img_0017003 INDIAN MUSEUMの入館チケット

さて、気を取り直して「INDIAN MUSEUM」に入りました。
入口で入館チケットを購入したのでした。
金額は憶えていないのですが、お釣りが50パエサなのに窓口のお兄さんはお釣りを出そうというそぶりすら見せませんでした。
仕方がないので「OK」と告げて窓口を離れようとしたら、シブシブでしたがお釣りを出してくれました。
日本円にすれば大した価額ではありませんが、国立のそれも伝統ある博物館でこのようなことに遭遇するとは想像もしていなかっただけに、少し残念な気分となったことでした。

1img_0017001 INDIAN MUSEUMの中庭

そうはいっても、館内を見てまわりましたが、そんなやこんなやでどうも落ち着いて鑑賞することはできませんでした。

1img_0016_20210214110901 同上

1img_0019_20210214104301 INDIAN MUSEUM GENERAL GUIDE BOOK

最後にミュージアムショップで「INDIAN MUSEUM GENERAL GUIDE BOOK」を購入しました。

1img_0021_20210214104301 GENERAL GUIDE BOOKの領収書

そして、ホテルに戻り始めますと、往路で話しかけてきた青年が再び近寄ってこようとしたので、右の掌を相手に向けて牽制しつつその場を通りすぎ、無事ホテルまで帰りついたのでした。

   

2021年2月14日 (日)

TATANAGAR (INDIA)/ Round Trip by Train to Tatanagar from Calcutta [1985]

1img_0010_20210213111001 Tatanagar駅(多分です)

カルカッタ滞在中の一日はTatanagarという名の工業都市を訪ねました。
この街は鉄工業の街として有名だったように記憶していますが、私達の製品の顧客も少なからず居られたようでした。

その日の朝はかなり早起きして、Howrah駅に向かいました。
Howrah駅では私達の乗る自動車はプラットホームの端まで乗り入れ、そこからほんの少し歩いて直接列車に乗り込みました。

往路はコンパートメントが確保されていました。
コンパートメントの中は豪華革張りの座席となっていて、6人(我々2人、同行の日本人商社員1人、現地商社インド人社員1人、代理店のインド人経営者2人)が居ても余裕のよっちゃんという広い内部となっていました。
また、洗面所だけでなくベッドのセッティングもできるというもので、試しに上の段のベッドを一つ出してもらって体を横たえましたが日本の寝台車の倍くらいの幅がありました。


Tatanagarで仕事を終えたのは夕方で、はっきりとは記憶していませんがTatanagar駅からカルカッタ行きの列車に乗ったと思います。
まずTatanagar駅に着きますと、駅舎のところで代理店の人がコンパートメントに変更できないか交渉してくれました。
が、その間に私達は駅の周囲に居た物乞いの人達に囲まれ始めました。
本当か嘘かはしりませんが、インドでは額が広いあるいははげ頭の人は金持ちと認識されるそうで、額の広いTM氏は特に多くの人を引き付けたようでした。
TM氏は多くの人に取り囲まれ、身動きが大変な様相を呈し始めました。
氏はその状況を緩和すべく小銭を数人に渡せば何とかなりそうと考えズボンのポケットから小銭入れを出したのでしたが、その瞬間に辺りは大騒ぎ状態になったのでした。
そうなっては誰も制御できそうになく、TM氏はほうほうの体でその場を脱出したのでした。
なお、私や他の人達は金持ちとは判断されなかったようで、特に混乱には見舞われることはありませんでした。

その後、私達はプラットフォームに移動しましたが、そこには物乞いの人達はいませんでした。
が、暫くすると足の悪い物乞いの老人が台車に乗って現れ、手で漕いでTM氏に近づいてきました。
するとTM氏はプラットフォームの端に線路の方を向いて立ったのでした。
これなら、台車に乗った足の悪い老人はTM氏の前で物乞いをすることはできないのでした。
が、老人も諦めません。
TM氏の後ろから氏の靴の先をチョンチョン・チョンと突き続けるのでした。
これを見ていた現地商社のインド人社員さんが注意してくれたので、それでおさまりましたが、貧しいということは大変なことであるというのを実感した出来事でした。

1img_0010001 帰りの列車内

さて、列車が来たので乗車しましたが、コンパートメントは確保できず、私達は一等車だったか二等車だったかは忘れましたが、所謂乗り合いの車両に入りました。

1img_0011_20210213111001 上品なご家族、その向こうに車内販売のお兄さん

乗り合いの車輌とはいいましても立席乗車の人は居らず、全員が着座していました。

そして、その車両では車内販売も行われていました。
その車内販売ですが、私達日本人にとって珍しいものとして「ヤシの実のジュース」というのがありました。
現地商社の人のお薦めもあったので「ヤシの実のジュース」をいただくことにしました。
すると、車内販売のお兄さんは腰の袋からヤシの実を取り出して、それの先端部分をナタでたたき切り始めたのでした。
そして、指3本くらいが通る穴を開けて、そこに腰のホルダーから取り出したストローをさしてから手渡してくれたのでした。

「ヤシの実のジュース」は冷えたものではなくて、生ぬるい感じでしたが、淡い自然の甘味が感じられる佳品でした。

なお、飲み終わったところに再び現れた車内販売のお兄さんに空のヤシの実を返しますと、ストローは腰のホルダーに戻したのでした。
私が感じたストローのデコボコした口当たりは、このストローを使った人達の噛んだ歯型だったのかも・・・でした。

また、空になったヤシの実はかなり重い物でしたが、何の躊躇も無く列車の窓から外へ投げ捨てられました。
そういえば、線路脇のいたるところに人が寝転がっていたのを往路も復路も見ていただけに、投げ捨てられるところを見た私達は怪我人がでていないことを切に祈った次第でした。

   

2021年2月13日 (土)

CALCUTTA (INDIA)/ Airport [1985]

1img_0004_20210212142501 カルカッタの空港(手前の写っていない処に機材とタラップ、向こう側に空港ビル)

1985年のインド出張はニューデリー、ボンベイ(現ムンバイ)を訪ね、最後の訪問地はカルカッタ(現コルカタ)でした。
カルカッタに着く頃にはそれまでの顧客訪問の多さから疲れが溜まっていましたが、カルカッタで週末を過せたので疲労は回復しました。

なお、ボンベイからカルカッタへのフライトに関してはほとんど記憶にありません。
多分ですが順調なフライトであったのと疲れが溜まっていたためであろうと思料するところです。

ただ、フライトで私達の座席は機体の後部にあり、カルカッタの空港では皆が降りはじめて暫くすると後部のドアも開けられ、そこからタラップを降りてから徒歩で空港の建物に向かいました。
その際のことでしたが、機体のドアが開いて直ぐに異臭がしました。
後で聞いた話では、空港の近くに難民キャンプがあって、風向きによっては難民キャンプから異臭が漂ってくるということでした。
私にとって難民と称される人達のことを初めて意識した経験でした。

1img_0008_20210212142601 顧客訪問直後

なお、到着日は空港から顧客に直接向かうというスケジュールで、週末が待ち遠しいことでした。

   

2021年2月12日 (金)

お年玉切手シート (令和3年、2021年)

1img_20210211154801 

話題としては些か古いですが、今年の日本郵便のお年玉賞品は「お年玉切手シート」が4枚当選しました。
その内の1枚は我が息子一家からの年賀状のものでした。

デザインは鶴に亀というもので、加えて形も円形というお目出たいものでした。


なお、この「お年玉切手シート」は『100本に3本』(日本郵便の表記)の割合で当選するそうですから、我が家の場合はほぼ確率通りだったようです。

   

2021年2月11日 (木)

BOMBAY (INDIA)/ Arabian Sea [1985]

1img_0015_20210211105801 Back Bay

当時のボンベイ(現在のムンバイ)を訪ねたのは1985年5月の1回のみでしたが、その後我が息子が数年前まで2年ほどの間でしたが勤務先の現地法人で勤務していました。
インドもかなり急速に近代化が進んでいたことから、街の姿は私の訪ねた頃とは大きく変貌していたことと推察しています。

1img_0016_20210211105801 Haji Ali Dargh  ハジ アリ廟

私がボンベイを訪問した際は、顧客訪問が多く、余り写真を撮ってはいませんでした。
が、ボンベイの街が面するアラビア海の景色は何枚か残っています。

1img_0020_20210211105901 同上

ハジ アリ廟もその一つで、アラビア海にポツンと浮かぶ姿は心を惹かれるものがありました。

1img_0021_20210211105901 ホテルからの眺望

1img_0007_20210211105901 路面電車

また、ネガを見ますと当時の路面電車も写していました。
なかなか趣のある姿です。

1img_0018_20210211105801 ホテル Sun-n-Sand

昼食の一つはアラビア海に面したホテル「Sun-n-Sand」で摂ったように記憶していますが、残念ながら何を食べたかは全く憶えていません。

1img_0019_20210211105901 Sun-n-Sandのビーチ

昼食の後、ホテルのプライヴェートビーチに出ました。
そして、アラビア海の水に触れてみようと思って渚まで私一人で歩いていきました。
が、あと数メートルのところで物乞いの女性が子供を抱えながら歩み寄ってきたので、アラビア海の水に触れることを諦めて戻ったのでした。
今から思いますと、残念なことでした。
捲土重来を期すところです。

   

2021年2月10日 (水)

BOMBAY (INDIA)/ Gateway of India [1985]

1img_0006_20210208164501 Gateway of India インド門

「Gateway of India インド門」は、1911年に大英帝国のジョージ5世とメアリー王妃の訪印に際してインド・サラセン様式で建設された門とのことです。
その高さは26mあるということでした。

1img_0005pGateway of Indiaの前の公園、インド独立運動の勇将シヴァージーの像

なお、インド門の前には公園があり、ここで現地の人達が憩っておられました。
が、私達が憩うには些か湿度が高く感じられました。
また、インド独立運動の勇将シヴァージーの像があり、インド門に対峙する位置に置かれていました。
まさに植民地の象徴であるインド門と植民地からの独立の英雄シヴァージーの対比が印象的でした。

1img_0026_20210208164501Gateway of India

インド門は遠くから見ても大きいのでしたが、近寄ってみますとその大きさが更に実感されました。

1img_0025_20210208164501Gateway of India

1img_0002_20210208164401Gateway of India

1img_0001_20210208164401Gateway of Indiaの向こうはアラビア海、人が多く集まっていた

インド門を通り抜け、その先に歩を進めますと、そこはアラビア海でした。
そこでは多くの人達がアラビア海の方に向かって佇んでおられました。
なお、私達が歩いていると、大勢の人の視線を受けるとともに、何やら売りつけようとする人達や物乞いの人達が集まってきました。
ということで、ゆっくりアラビア海を眺めることもなく、ホテルに引き返したのでした。

   

2021年2月 9日 (火)

BOMBAY (INDIA)/ THE TAJ MAHAL HOTEL [1985]

1img_0003_20210208163801 THE TAJ MAHAL HOTEL 旧館

1985年5月のインド出張では、ニューデリーの次にボンベイを訪ねました。
当時はBombayと称されていましたが、私達が訪れた10年後の1995年にMumbaiへと変えられています。
が、訪問当時の気分が残っており、ここではボンベイと記することにしました。

1img_0004_20210209144301THE TAJ MAHAL HOTEL 新館

ボンベイではニューデリーで宿泊したのと同じ系列の「THE TAJ MAHAL HOTEL」に宿泊しました。
「THE TAJ MAHAL HOTEL」は旧館と新館があり、私達は新館に宿泊したように記憶しています。

1img_0022_20210208163801

ボンベイではニューデリーと同じ系列の「THE TAJ MAHAL HOTEL」に宿泊しました。
「THE TAJ MAHAL HOTEL」は旧館と新館があり、私達は新館に宿泊したように記憶しています。

1img_0023_20210208163801

部屋はキングサイズベッドに海に面した大きな窓がある広い部屋でした。
ここでも鼻をかむとティシュペーパーから香辛料の香がするのか確かめました。
そして、ティシュペーパーからは香辛料の香はしませんでした。
ここから推測できることは、①ティシュペーパーには香辛料の香り成分はふくまれていない、あるいは②私の鼻がニューデリーで食べてきたインド料理の影響で香辛料の成分に反応しなくなった、かのいずれかであろうということです。
まぁ、どちらでも良いといえば良いことなのですけど・・・。

1img_0007p中庭に沿った回廊

また、旧館には芝生の手入れが行きとどいた中庭があって、その中庭を囲むように設けられた回廊がインドのイギリス風(?)建物としてとても印象に残っています。
なお、この時の空気は湿度と温度が高くてムア~ァとした感じでしたので、ここに椅子とテーブルを置いてカクテルでも一杯飲るという感じではありませんでした。

1img_0024_20210208163801Gateway of India インド門とホテルの前の駐車場

また、「THE TAJ MAHAL HOTEL」は南東側が海に面していて、すぐ傍に「インド門」がありました。
そのインド門の向こう側は海となっていて、インド門の方から湿り気のある海風が吹いていました。
さらに、「THE TAJ MAHAL HOTEL」と「インド門」の間のホテルに近い側はホテルの駐車場となっていて、インドの国民車であるHindustan Motors Limitedの『AMBASSADOR』が多数駐車していました。
これもまた、印象に残る光景でした。

1img001_20210209114501 

なお、余談ではありますが、ニューデリーからボンベイに向かうにあたってインド航空を使いました。
移動は夕方でしたが、空港で予定していたフライトがチェックインしている時に急遽キャンセルになりました。
さらに、次のフライトが飛ぶのか、はたまた席は確保できるのか、などインド航空の職員さんもワカランという状態でした。

こういう時は商社の人も大変で、いろいろ交渉してくださったのでしたが、結局3~4時間ほどロビーの椅子で待った結果、漸くフライトの運航と席の確保が確認できた次第でした。
この時は、私達だけでなく地元インドの人達もお疲れの様子でした。

ボンベイまでのフライトでは、私は機体左側の窓の席に座ることができたので、ずっと外を眺めていました。
すると、地上は雲で覆われていたのですが、ところどころで雷が光っていて、特に雲の縁が稲妻とともに明るく輝いていました。
そして、飛行機の進む方向に一緒に雷が移動しているのではないかと思えるくらい雷の光が見え続けたのでした。
今までに随分飛行機には乗ったように思いますが、このような光景を見たのは後にも先にもこれ1回だけでした。

また、ボンベイの空港に着陸する前に「Back Bay」の上を通ったのでしたが、その際に湾の岸辺に沿って街灯が半円形にかつ等間隔に並んでいるのが見えました。
それは、実に綺麗な景色でした。
翌日、現地商社の人からその景色は「Queen’s Necklace」と称されるということを伺いました。
そして、実に佳い名前の付け方であると感心した次第でした。

   

2021年2月 8日 (月)

京都伏見の清酒/ 神聖 超辛口 特別純米原酒 

1img_0197 神聖 超辛口 特別純米原酒

昨日、朋友のTI氏から宅急便が届きました。
梱包を開けてみますと、京都は伏見の銘酒「神聖 超辛口 特別純米原酒」(山本本家:京都市伏見区上油掛町36の1)でした。

TI氏は退職後ISOの審査員として活躍中であり、その審査を実施された会社に程近い場所にある「伏見神聖酒造鳥せい本店」に立ち寄った際に、私に「神聖 超辛口 特別純米原酒」を送ってくれたのでした。

TI氏とは2019年11月に新宿で5軒の店を飲み歩いたのを最後に、その後は疫病コロナのせいでずっと会うことが叶わないでいます。
TI氏は私のブログを読んでいてくれているようで、出歩かなくなった私を案じてくれたことから気晴らしに佳い清酒を送ってくれたものと推察しています。
TI氏の心づくしの「神聖 超辛口 特別純米原酒」は、お日柄が好く、相応しい肴を得た日にいただくことにしようと思っています。

そして、疫病コロナが退散した後はTI氏との飲み歩きを再開したく思うところです。

1img_0203_20210207151301 

なお、「神聖 超辛口 特別純米原酒」のラベルには『京都府産 京の輝き100%使用』と記されています。
京の都の酒米が伏見の水と合わさっっていて、都の清酒という得もいえぬ味わいが多いに楽しめるものと期待するところです。
また。TI氏からは『京都伏見は軟らかい女酒、灘は硬質の男酒』というその水質に起因する味わいの相違についての解説がラインで送られてきました。
今の私にその味わいの相違が分かるかどうか、近いうちに「神聖 超辛口 特別純米原酒」をじっくりと味わってみようと思います。

   

2021年2月 7日 (日)

NEW DELHI (INDIA)/ Scenery of NEW DELHI [1985]

1img_0013_20210206133601 

1985年5月のインド出張で最初に訪れたニューデリーでは、商社さんの自動車で顧客訪問を行いました。

なお、商社さんの自動車はニッサンセドリックだったように記憶しています。当時は主要道路が自動車で渋滞状態であったことから、運転手さんは頻繁にクラクションを鳴らしていました。トランクルームの中に予備のクラクションホーンが置いてあるのを見ましたが、あれだけクラクションを鳴らしているので故障もするのであろうと思った次第でした。

ニューデリーの市内にはあちらこちらに世界遺産やそれに準じる場所があり、その傍を車が通るたびにカメラを向けました。
しかしながら、その全てをメモしたり記憶したりしていた訳ではなく、写真がどういう建物であったのか定かではないものもあります。
あれから35年ほどの時間が経過していて、現在では街の景色に変化があるかも知れませんが建物は変貌しないで残っていることと推察しています。

1img_0016_20210206133601Delhi Fort (Red Fort) デリー城:赤色砂岩でできているので赤い城と呼ばれる、ムが―ル朝第5代皇帝シャー・ジャハンによって1639年から9年の歳月をかけて建造されたといいます

1img_0018_20210206133601同上

1img_0019_20210206133601デリー城の周辺

1img_0020_20210206133601同上

1img_0021_20210206133601デリー城

1img_0023_20210206133601同上

1img_0024_20210206133601同上

1img_0026_20210206133601Gandi Samadhi (ガンディの墓所)

1img_0002_20210206135301

1img_0003_20210206135301フマユーン廟:ムが―ル帝国第2台皇帝フマユーンの廟かも・・・

1img_0004_20210206135401フマユーン廟の周辺

1img_0005_20210206135401同上

1img_0006_20210206135401フマユーン廟の隣にあるイーサー・ハーン廟:イーサー・ハーンはムが―ル宮廷に仕え頭脳明晰なことにより理髪師から貴族に出世したという人です

1img_0007_20210206135401フマユーン廟の周辺

1img_0008_20210206135401コブラ使い:コブラは疲れているのかダラリとしていました。籠のコブラはコブラ使いのおっちゃんが手でたたいて起き上がらせていましたが直ぐにへたり込んでしまいました

1img_0009_20210206135401Qutb Minar (クトゥプの塔):高さ73m、基部の直径15m、奴隷王朝のクトゥプッディーン・アイバクがデリー制服の記念に1199年に建造を始めたもので、イスラム教のモスクの一部とのこと

1img_0011_20210206135401同上

1img_0012_20210206135401

   

2021年2月 6日 (土)

NEW DELHI (INDIA)/ NATIONAL MUSEUM (Traditional Indian Paintings) [1985]

1img_0187 

昨日「NATIONAL MUSEUM」を訪問したことを記しましたが、その訪問の際にインドの絵画を購入しました。
インドの絵画と書きましたが本物ではなくて、印刷されたものを台紙に張り付けたものでした。
その印刷された絵の下の台紙にはサンスクリット語と英語で絵の説明が書かれていました。
ここではその英語表記についてそのまま転載する次第です。

なお、絵がどういう話を題材にしているのかについては購入時に聞いたものと思いますが、残念ながら忘却の彼方へ行ってしまっています。

1img_0002_20210205142401 The Message of the Eyes

1img_0003_20210205142401The Game of Hide-and-Seek

1img_0004_20210205142401The Arrow of the Eyes

1img_0005_20210205142401The Enraptured Lovers

1img_0006_20210205142401The Lovely Damsel

1img_0007_20210205142401The Lovers' Quarrel

1img_0008_20210205142401Lady in Search of the Lover on a Dark Night

1img_0009_20210205142401The Message of Lover

1img_0010_20210205142401Tossing a Flower

1img_0011_20210205142401The Village Beauty

1img_0001_20210205142401National Museumの封筒

   

2021年2月 5日 (金)

NEW DELHI (INDIA)/ NATIONAL MUSEUM (National Treasures) [1985]

1img_0008_20210204133601 NATIONAL MUSEUM

1985年の頃は、出張といってもおおらかな時代でしたようで、昨今のように効率優先でタイトなスケジュールが組まれる程度は少なかったことから、顧客訪問の間にポッと空く時間がありました。
ニューデリーではその時間を活かして「NATIONAL MUSEUM」を訪ねました。
なお、同行の人達に声をかけましたが興味がないとのことでしたので、私一人で出掛けました。

ホテルから「NATIONAL MUSEUM」までの間の往路も帰路もリキシャーを利用しましたが、今から思えば随分と冒険をしたものでした。
リキシャーには乗る前に運転手さんに目的地を告げ、そこから料金の交渉が始まるのでした。
料金交渉の場には数台のリキシャーの運転手さんが集まってくるので、一番低い価格を提示してくれた運転手さんの中から信頼できそうな人を選び、次いでキシャーの手入れが良いのを選びました。
なお、「THE TAJ MAHARU HOTEL」から「NATIONAL MUSEUM」までの料金はRs3であった様に記憶しています。

1img_0009_20210204133601NATIONAL MUSEUM

「NATIONAL MUSEUM」では入館料がいくらであったかは憶えていません。
が、随分と安かったことは確かです。

1img_0006_20210204133601Flying Celestial

館内に入りますと、人気はなくてひっそりとしていました。
そして、日本の教科書に掲載されている石像や青銅像など国宝と思えるものがそこここに展示されていました。
それもガラスのケースなどに入れられずに生の姿を目の前の直ぐ傍で見ることができたのでした。
今ではこのようなことはできないでしょうから貴重な経験でした。

1img_0011_20210204133701シヴァ神

1img_0012_20210204133701シヴァ神

滞在した時間は左程余裕のあるものではありませんでしたが、実に素晴らしい展示に出会えたのでした。
再訪の機会があればじっくりと時間をかけて巡りたいと思うところです。

1img_0007_20210204133601 建物は円形で中庭がありました

   

続きを読む "NEW DELHI (INDIA)/ NATIONAL MUSEUM (National Treasures) [1985]" »

2021年2月 4日 (木)

NEW DELHI (INDIA)/ THE TAJ MAHAL HOTEL [1985]

1img_0005_20210203150301 THE TAJ MAHAL HOTEL

私が初めてインドを訪ねたのは1985年4月29日から5月7日のことでした。

当時は出張に先だってコレラの予防接種を受けて、その証明書を持参することが必要となっていました。
出張が決まりますと、当時の勤務先に最も近い千葉市内の医院でコレラの予防接種を受けたのでしたが、それはワクチンの注射を臀部にするものでした。
訪ねた医院では、ベッドにうつ伏せになり、パンツをずらして臀部を出して待つように言われました。
言われた通りに臀部を出していますと、年配の看護婦さんが注射器を持って現れ、いきなり私のパンツに手をかけ、あろうことかズズ~~ッと引きずりおろし、いきなり注射針を臀部に刺したのでした。
そして、薬液をブヒュッと注入したのでしたが、その痛いこと!悶絶したのでした。
おまけにパンツをずりさげられるという32歳にあと1カ月という若造にとっては凌辱に等しいことを受けたこともあり、絶句したのでした。
そして、目尻に涙を浮かべながら手にした証明書を手に握りしめ、電車で会社に戻ったのでした。

1img_0002_20210203150201THE TAJ MAHAL HOTELからの眺め

さて、1985年4月29日は成田空港で同行の営業部の人と商社の人と落ちあいました。
そして、空港のレストランで軽く食事を摂ったのでしたが、その時に食べたブルーチーズが我が人生において初のブルーチーズとなったのでした。
因みに、その時の印象ですが、何というエグイ味のチーズなのだ!というもので、思わず顔が歪んだのでした。ブルーチーズを好む今では考えられないことです。

1img_0004_20210203150301同上

さて、当時の日本の航空会社で国際線を運航していたのはJALのみでした。
そのJALのインド行きの便の搭乗口ではドバイまで航路が開設された記念ということで、プラスティックボトル入りのミネラルウォーターが2本配られました。
これから出張なのに水は邪魔じゃのうなどと思っていたのでしたが、インドでは生水は厳禁であることからこの2本のミネラルウォーターが随分役にたったのでした。
なお、私達の搭乗した便はバンコクで給油した後、ニューデリーに向かったのでした。(更にその先はドバイ。)

1img_0003_20210203150201同上

ニューデリーには深夜というか現地時間の午前3時頃に到着したように記憶しています。
イミグレーションを終えて商社の現地駐在員の方の出迎えを受け、その人の車(私達3人、商社現地駐在員1人、インド人運転手さん1人)でホテルに向かいました。

その時のことで憶えていますのは、未だ暗い中を進む車は何カ所かのラウンドアバウト(環状交差点)でぐるりと周回してホテルに向かう道に入って行くのでしたが、存外に交通量が多くて車の流れに入ったりあるいは目的の道に向かって車の方向を変えたりする運転さんのテクニックに感心して見ていたことです。
それと、早朝というか未明に出迎えなければならない現地駐在員さんのご苦労が並大抵のものではないということでした。

1img_0013_20210203150301THE TAJ MAHAL HOTELの部屋(一部)

私達がニューデリーで宿泊したのは「THE TAJ MAHAL HOTEL」でした。
何となくボ~~~ッとした頭でチェックインを済ませ、併せてセイフティデポジットボックスを借りてトラベラーズチェックを入れたりしました。
そして、案内された部屋はホテルのメインエントランスの斜め上側の部屋で、私としてはホテルに出入りする人や自動車を眺めたり、あるいは遠くの景色が眺望できたりと、些か気にいった次第でした。

なお、部屋に入った時点で飛行機の着陸時の気圧変化の影響が残っていて、聞こえる音が水中にいるようでした。
そこで、鼻をブヒュッとかめば耳の状態は正常に戻るであろうと考え、部屋に備え付けのティッシュペーパーで鼻をブヒュッとかんだのでした。
すると、我が鼻にはカレーというか香ばしい香辛料の香が漂ったのでした。
普通に呼吸をしていても香辛料の香はしないので、もう一度部屋に備え付けのティッシュペーパーで鼻をブヒュッとかんだら、やはりカレーの香がしたのでした。

   

2021年2月 3日 (水)

DELHI (INDIA)/ JL472 DELHI-NARITA (メニュ:朝食)

1img_3391 朝食

成田空港まで後2時間半くらいのタイミングで朝食が供されました。
夜行便の長旅というのは存外に疲れるもので、なんとなくボーッとした頭と座り続けていたことによる体のギコチナサが残る状態での食事は何時も味の感じ方が鈍いように感じるところです。

1img_3393マッシュルームオムレツ、ハッシュブラウンポテト

朝食のメインはオムレツで、好みの料理ではありますが、やはり舌が鈍っていたようです。
とはいえ、オムレツもハッシュブラウンポテトも美味しくいただけたのはJALの調理と冷凍および解凍が優れていることによるものと推察するところです。

1img_3394フルーツプレート

フルーツは、マンゴー、オレンジ、グレープフルーツ、パイナップル、ブドウが盛り付けられていて、マンゴーとブドウ以外はヨーグルトを絡めていただきました。

1img_3395クロワッサン、ヨーグルト

クロワッサンは残念ながらシットリ・モッチリとしておりました。
最近の機内食できょうされるクロワッサンはサクリとしていますが、この当時はそういう技術は未だ開発されていなかったようです。

1img_3380

   

2021年2月 2日 (火)

DELHI (INDIA)/ JL472 DELHI-NARITA (メニュ:和食)

1img_3381 Chanpagne Piper Heidsieck、オードブル、おつまみあられ、ドライ納豆

インドでの仕事を終え、空港でJALにチェックインしました。
記憶する限りでは、成田空港ではJALのファーストクラスのラウンジで時間を調整しましたが、デリーの空港では余り時間に余裕がなかったのでラウンジはパスしました。
今から思えば少し残念なことです。

さて、搭乗ゲートのエリアに至りますとフロアは夥しい数の人が座りこんでいるという状況でした。
予め搭乗券に記された番号のゲートに人を避けつつゆるゆると近づきましたが、そのゲートの番号は合ってはいるもののJL472の標示がありません。

そこで、近くに居られた空港の警備任務に就かれていたインド軍の兵士2人にJALのゲートを尋ねました。
彼らは銃などで武装してはいましたが、その姿とは大違いの親切丁寧な兵士で、私の搭乗券を確認してから自分たちに着いてくるように言ってくれました。
そして、彼らの辿るルートに従ってフロアに座る人達の間を通り、また足の上を跨ぎ、と私一人では些か躊躇するルートでJL472便の搭乗ゲートまで案内してくださったのでした。
私は何も言わずに立ち去って良く彼らを感謝の気持ちで見送ったのでした。
また、併せて国際空港で寝転がったり座ったりする人を避けつつ進むという珍しい経験をできたのは貴重なことでした。

1img_3382 オードブル

さて、JL472便に遅滞なく搭乗し、食事は「和食」を選択しました。
あと数時間で日本ではありますが、機内食は多くの場合和食を選択しており、この時も和食をいただくことにしました。

1img_3383和食

このJL472便の和食は量が多からず少なからず、かつ程良くバラエティに富んでいて、私にとっては機内食ベスト3に入るものでした。
なお、飲み物はソーダ水にレモンスライスを入れたものをいただきましたが、これも好い組合せでした。

1img_3385前菜:鯛笹寿司、五色サーモン巻き、牛蒡将軍、焼き筍味噌漬け、重ね椎茸、青銀杏串打ち

1img_3389鯛笹寿司

1img_3387強肴:烏賊照焼き

1img_3388_20210201140301小鉢:山菜煮

1img_3386お凌ぎ:日本そば

1img_3384台の物:からす鰈の吹寄せ菊花餡

1img_3378

   

2021年2月 1日 (月)

NEW DELHI (INDIA)/ Mittal Teas (AGMARK SPICE POWDER)

1img_3375 Mittal Teasの店内

インド出張の最終日の夕方は空港へ向かう途中で「Mittal Teas」という紅茶の専門店に立ち寄りました。
そして、ダージリンティやアッサムティをそこそこ買い込んだのでした。

1img_3374mittal

1img_3376

1img_3396mittalAGMARK SPICES POWDER

紅茶を買う際に店内を見回しますと、カレーの香辛料も販売されていました。
そこで、本場のスパイスを家のカレーに混ぜたらきっと本格的な味わいになるであろうと考え、何種類もあるスパイスの内の店のおっちゃんお薦めの中からMild Curryというのを贖いました。

1img_3399

帰国して数日経ったとある日にこのカレースパイスを我が家のカレーに一匙加えました。

1img_3400

するってぇと、あ~ら不思議!
日本のカレールーでは味わえない本格的な味に変貌したのでした。

1img_3401

1img_3402_20210131152801

   

« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »

2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

カテゴリー

無料ブログはココログ