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2020年8月

2020年8月31日 (月)

横浜 赤レンガ倉庫/ MOTION BLUE (JAZZ LIVE 日野皓正)

1dsc06169 MOTION BLUE

過日のことです。
それもこのブログを始める以前のことでした。
我が朋友のHO氏がF社の幹部社員の頃で、F社が社員の福利厚生活動の一環として「日野皓正氏のJAZZ LIVE」を開催した際にHO氏に誘われて横浜のレンガ倉庫にある「MOTION BLUE」というライヴハウスに行ったのでした。

1dsc06168 MOTION BLUE

「日野皓正氏のJAZZ LIVE」は午後8時に始まるスケジュールとなっていて、私達は少し早めの7時20分頃に「MOTION BLUE」の前に行きましたがエントランス付近には多くの人が開場を待っているという状態でした。

流石は人気ナンバーワンのジャズトランペット奏者・日野皓正氏というものです。

エントランスで入場の順番を待つこと暫し、漸く会場内に案内されました。
会場内には既に多くのF社社員とそのご家族・関係者で占められていて、ステージ正面のテーブルは満席でしたが、会場左手の比較的佳い場所にあるテーブルに案内されたのは幸運というものでした。

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案内されたテーブルで席に着いて暫くしますと、飲み物と食事のオーダーをとるべく若いウェイターさんが現れました。

飲み物はHO氏はウィスキーのカテゴリーから水割でしたかハイボールでしたかを、私はスパークリングワインを選択したのでした。


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また、食べ物に関してはHO氏にお任せしましたが、私達は既に食事を済ませていましたので軽食をということで、フライドチキンとチョコレート盛合せを選択してくれました。

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HO氏と談笑しつつ飲み物をいただいていますと、漸く日野皓正とバンド(総勢20名ほどのビッグバンドでした)がステージに現れました。
日野皓正氏からは最初に挨拶があり、演奏が始まりました。
JAZZの素人である私でしたが、生で聴く演奏は素晴らしいものでしたし、JAZZ界を代表する日野皓正氏の演奏も迫力のあるものでした。
ただし、私はJAZZには詳しくはないので観察のポイントが違うのか、演奏する日野皓正氏の頬の膨らみが滅茶苦茶に大きいことに驚愕していました。
やはり、一芸を極めた人というのはそれ相応の身体的特徴があるものです。

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暫く演奏が続いた後、日野皓正氏のトークがありました。
その中で、氏とバンドのメンバーはこの会場には名古屋でのセッションを終えてバスで急ぎ駆けつけたので大変疲れていることから、アンコールはしないで欲しい旨の発言がありました。
数少ないながらもそれ相応のレベルのコンサートやジャズセッションは経験していましたが、アンコールをしないで欲しいなどとということを予め聴衆に告げた演奏家は日野皓正氏が初めてでした。
そして最後の演奏が終わった際に、聴衆から大きな拍手が挙がりましたが、その際には日野皓正氏は強い口調でアンコールを拒絶したのでした。
ということで、少し興醒めしたエンディングとなったのでした。
が、一方でJAZZに疎い私にJAZZを聴くという機会をくれたHO氏には感謝でした。

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演奏は午後10時頃に終わり赤レンガ倉庫の外に出ると、建物の周囲には夜の帳が降りて静かな佇まいを呈していました。
そして、ここから歩いて桜木町駅に出て、JRで家路についたのでした。
なお、この日は2011年11月12日(日)で、3連休の中日でした。

   

2020年8月30日 (日)

古銭とカンファーアイスの箱

1img_0002_20200830110601 十銭、五銭、一銭、の硬貨

古銭、とは言いましても大正から昭和にかけて日常的に仕様された硬貨でして、ネットでさっと見ただけで余り価値のあるものではないことが分かりました。

1img_0003_20200830110601 発行年によって材質が異なる

これらの硬貨は昨日に記した進水式のメダルとともに私が保管していたものですが、前述の通り通常硬貨であることから祖父母が敢えて意識して集めたものではないと想像しています。

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しかしながら、資生堂の小箱に入れて置いてあった訳ですから何らかの意図があったものと推察してはいますが、それ以上には思索の範囲が広がるものではありません。

むしろ資生堂の箱に興味がソソラレルというものです。
まず、「カンファーアイス」とはどういうものなのでしょうか?
化粧品でしょうか?、それとも薬品なのでしょうか?

英語表記の「STEARINE CAMPHOR ICE」をに着目しますと
・STEARINEとは、はどうやらグリセロールとステアリン酸のエステル系化合物のようです。
・CAMPHORというのは樟脳のことで、ICEというのは昇華物の固化したものでしょうから、CAMPHOR ICEは樟脳の塊とでも考えれば良いのでしょうか。

さて、ここまでくればもう少しで解明できそうですが、用途も不明ですし化合物あるいは化学薬品に関する知見もありませんので、これが何かに関しましては後日に気候が冷涼になったら改めて調べることにしようかと思うところです。(こう書いていて、多分調べないであろう!と思っています。)

1img_0004_20200830110601 壹分硬貨(中華民国五年)、詳細不明の小判型金属

なお、上掲の写真の古銭以外に、中華民国五年という壹分硬貨とペラペラの金属板でできた小判のようなものも箱に入っていました。
勿論、その価値は分からないでいますが、同時に期待もしてはおりませんです。

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2020年8月29日 (土)

第二圖南丸 進水記念

1img_0002_20200829155501 「進水記念」と記された箱(97mmX97mm)

私の父方の祖父は私が生まれる7年ほど前に他界しています。
従いまして、父方の祖父の顔や声についての記憶というものはありません。

父方の祖父は岡山県津山市の出身で、祖父の、したがって私の、先祖は津山藩の下級武士であったと聞いています。
学校は東京商船大学を卒業し、海外航路に就く艦船で勤務していたとのことですが、詳しい学歴や勤務した船名などの詳細については既に祖母も父も他界していて知る術はありません。

祖父は艦船勤務の後、鉄工会社を興しました。
当時の日本は「鉄は国家なり!」という雰囲気に包まれていて、事業を通じてかなりの財を築いていたようでしたが、戦後のデノミで多くの資産は価値を失ったとのことです。

1img_0003_20200829155501 

さて、父方の祖父に係わる品というものは私の手元には左程有るわけではありません。
が、その内の一つがこの「進水記念」のメダルです。

箱には

 日本水産株式会社
 第弐図南丸進水記念(注:図南丸=トナンマル)
 昭和十二年五月
 株式会社大阪鉄工所(注:現日立造船)
 桜島工場建造

と記されています。

なお、メダルにデザインされている南極大陸や船の船尾の形から、「第弐図南丸」は捕鯨母船であることがわかります。

因みに、祖父の興した会社は大阪鉄鋼所ではありませんので、何らかの関係があって進水式に参加したように推察しています。
多分ですが、祖父の鉄工会社は、祖父の経歴を反映していて船舶関係で事業を展開していたのでしょう。

1img_20200829155501 メダルには日の丸と南極大陸

なお、ネットを検索しますと、「第弐図南丸」に関して以下の記述がなされていました。

1937年、現・日本水産の捕鯨母艦として就役。
姉妹艦の「図南丸」「第三図南丸」
と共に南極海で捕鯨船団母艦として捕鯨活動を行う。
当時としては世界最大級
の捕鯨母艦。
排水量19,000余トン、全長169mの巨艦で艦内には鯨油用タンク
を備え鯨油以外にも燃料油の輸送も可能。
1941年に海軍により徴用。
以降
多くの輸送業務に従事、1944年8月22日、米潜水艦の雷撃により沈没。

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2020年8月28日 (金)

新宿/ にんにく屋 五右衛門 (生ビール、ガーリックステーキチャーハン)

1dscn9001 にんにく屋 五右衛門

先日、新宿のクリニックが終わったのがほぼ正午というタイミングでしたので、人混みのはとんど無い高島屋新宿店の上層階にあるレストランに向かいました。
高島屋新宿店に入っているレストランは都内の有名優良店の支店がが多く、料理の価格は若干高めではありますが佳い御飯をいただける確率が高いというものです。
また、その価格設定が一般サラリーパーソンの昼食にとってはCPの面では劣るため昼食時であっても混雑するということはなく、このコロナ禍の状況でも安全に食事ができる場所の一つとなっています。

この日はラクレットの専門店を目指したのでしたが、人気店の一つであるせいでしょうか、店内を覗きますとほぼ満席という状況でした。
そこでラクレットはまたの機会に譲って他の店を探し始めますと、ショウウィンドウに展示された料理の価格が存外に安く、これならビールを飲んでも2,000円を超えないということで「にんにく屋 五右衛門」という店に歩を進めたのでした。

1dscn8994 生ビール 中ジョッキ

入口で少し待たされた後、案内された一人用のテーブルに着きました。
先ずはメニュを手に取り、眺めていますと、若い女性店員さんが水を持ってきてくれました。

そこで、先ずは生ビールの中ジョッキをお願いしました。
若い女性店員さんは直ぐに生ビールのオーダーを通してくれるものと思っていましたら、引き続きテーブルの横に立っていました。
これは料理も注文しないとイカンのであろうと思い、メニュを見まわす間もなくショウウィンドウで見て記憶に残っていた「ガーリックステーキチャーハン」をお願いしたのでした。

水を飲まずに待つこと暫し、最初に生ビールが供されました。
そして、ジョッキを徐に持ちあげ3分の1ほどを3口ほどで一気にいただきました。
暑い夏の昼間に飲むビールは格別の味わいです。

1dscn8996 生ビール、ガーリックステーキチャーハン

生ビールを飲み始めて程なく「ガーリックステーキチャーハン」が供されました。
先ずはステーキとガーリックチップを肴に残っている生ビールをいただきました。
ガーリックの旨味が肉の味と相乗的に広がり、生ビールの肴としてハイレベルな存在感を呈していました。

ステーキを半分ほど食べたところで生ビールを終え、後はガーリックの効いたチャーハンとステーキをいただきました。
ステーキを焼いた後に造られたガーリックチャーハンはコク味もヨロシク、中華料理店では味わえない美味なチャーハンでした。

1dscn8998 ガーリックステーキチャーハン

   

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2020年8月27日 (木)

Anti-COVID-19/ New Weapon (Sabo HAIRTRIMER SB-41)

1img_9108 Sabo HAIRTRIMER SB-41

一週間ほど前でしたが、新宿のクリニックに行った帰り道で東急ハンズに立ち寄り、新しい理髪用品を購入しました。
購入した商品はスイスの「Sabo社のヘアトリマーSB-41」でした。
2ヶ月前に新宿のクリニックに行った際には「グリーンベル社の2Way Dial Hair Cutter」を購入したのでしたが、これだけでは髪の毛の裾の部分を大胆にトリミングできなかったので新しいトリマーを買うことにした結果「Sabo社のヘアトリマーSB-41」を選択したのでした。

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「Sabo社のヘアトリマーSB-41」では刃の調整は6段階となっており、いろいろな長さに髪の毛をトリミングできそうです。

1img_9110 Sabo HAIRTRIMER SB-41

早速購入した日の夕方に入浴し、使ってみました。
刃のレベルは「3」にセットし、シャワーで髪の毛を濡らしてから右の耳の上辺りにある髪の毛の密集部に刃を入れました。

1img_9115 Sabo HAIRTRIMER SB-41

ジャグリという軽快な音がしたかと思う間もなくSB-41は数cm動いていました。
実に切れ味の鋭い刃です。
そして、肩に夥しい量の毛が降りかかったのでした。
む、むむ。
そして、SB-41が動いた部分を鏡で見ますと、取り返しのつかないくらい毛がそぎ落とされていたのでした。
髪の毛は短くなり、そこからは皮膚が白く透けて見えていました。
ということで、この後は刃のレベルを「6」にセットし、慎重な上にも慎重にトリミングをしたのでした。
結論としては刃のレベルさえ間違わなければSB-41は切れ味鋭い上に使い勝手の良いトリマーであるということです。
なお余談ではありますが、暫くの間は外出ができません。

今後は「グリーンベル社の2Way Dial Hair Cutter」と「Sabo社のヘアトリマーSB-41」を併用することによって我が髪の毛を整えるつもりです。

   

2020年8月26日 (水)

新宿/ 茶語 Cha Yu Tea Salon (台湾烏龍茶: 迎香烏龍茶)

1dscn9021001 茶語 Cha Yu Tea Salon

先日、新宿のクリニックに行きました。
前回の6月に行って以来、2ヶ月ぶりの遠出でしたし、1月末に出来したコロナ騒動以降では3回目の遠出となりました。
以前であれば都心に出掛けるのは楽しい事でしたが、もう半年も出歩くことがなくなりますと存外に疲れたのでした。

さて、クリニックを終わってから高島屋新宿店に行きました。
高島屋新宿店で所要を済ませた後、6階にある「茶語 Cha Yu Tea Salon」に立ち寄りました。

1dscn9005 ソシアルディスタンスが余裕を持って守られていた

「茶語 Cha Yu Tea Salon」では、エントランスを過ぎると大きな窓から太陽の光を一杯入れた部屋が広がり、白いテーブルクロスが敷かれた窓を背にするテーブルの一つに案内されました。
着席して室内を眺めますと、平時には余裕をもった間隔で並べられていたテーブルでしたが、今では一つ置きに使うことを禁じられており、実にコロナ対策が徹底した設えとなっていました。
こういう配慮の行き届いたお店には安心して通えるというものです。

1dscn9011 茶器セットで供された迎香烏龍茶

席に着いて先ずはメニュに目を通しました。
そして、数多あるお茶の中から台湾烏龍茶の一つである「迎香烏龍茶」をいただくことにしました。

メニュでは、この「迎香烏龍茶」には『2004年に誕生した品種で、まだ生産の少ない珍しい烏龍茶です。透明感のある爽やかな味わい。すっきりしながらも、飲んだ後から口の中に甘い香りを迎えるような特徴があり、長い余韻を楽しめます。』という説明が記されていました。

待つこと暫し、「迎香烏龍茶」が供されました。

1dscn9010 お茶を味わう手順

注文した「迎香烏龍茶」は茶器セットという設えできょうされました。
この茶器セットというのは、茶壺(いわゆる急須ですな)、濾網(茶漉し)、茶海、聞香杯、茶杯、というお茶を愛でる道具が用意されたもので、これらに御茶菓子が配されたものです。

また、テーブルの上には「お茶を味わう手順」が書かれたインストラクションが置かれていて、私のような素人でも迷うことなくお茶を味わえるようになっていました。暫く訪ねない間に工夫がなされているようで、佳店というものはこのように日々進歩を遂げていくようです。

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さて、インストラクションに書かれた手順に従って「迎香烏龍茶」をいただきました。
先ず、その香ですが、実に繊細な芳香が鼻腔を潤しますが、家で淹れる烏龍茶に比べて焙煎香は抑制されていると同時に茶葉の摘みたてのような淡いながらも爽やかな香が広がりが広がったように感じられました。
この印象的な香は、飲み込んだ際に広がる含み香では感じられず、聞香杯から直接的に吸い込んで初めて感じられるというこれまでにあまり経験したことのないものでした。

また、味わいに関しては良くは分かりませんでしたが、アッサリしているというか軽快な感じで、烏龍茶でありながら烏龍茶の個性的な渋味は殆ど現れない爽やかな味わいでした。

1dscn9017 迎香烏龍茶(茶葉には葉緑素の瑞々しさ)

1dscn9013 ドライフルーツと紅茶クッキー(アールグレイ的な味と香がした)

1dscn9022 午後2時を過ぎた新宿の街は暑さとコロナのせいで閑散としていた(@新宿駅南口付近)

   

2020年8月25日 (火)

小金井/ 野川 (太陽)

1dscn9042 野川に架かる西之橋と太陽

先週末あたりから漸く朝晩の風が涼しさを帯び始め、猛暑のピークは過ぎたようです。
太陽光の照射量やエリアからの放射熱量のバランスを考慮するとこれから秋に向かって季節が遷ることは間違いないようです。
ただし、まだまだ日中は30℃を超える日が続くようですから、体調管理には留意したいところです。

ところで、先日政府から疫病コロナについてはピークを過ぎたという話がありましたが、もうこれまで以上の数の感染者の発生は抑えられるということなのでしょうか?以前には冬に感染の増大が予測されるという話もありましたが、そのことはどういう位置付けにあるのでしょうか?
などなどを明確なセオリーと偏らないデータで根拠を提示してほしいことです。

また、政府や都あるいは首都圏の各県からは日々の感染者数の発表が続くだけで、感染拡大防止に対する方策と実行についての具体的な説明や進捗状況についての報告が非常に希薄になっているように感じています。
医療従事者に依存するだけで何もしないあるいはできない首長とそのスタッフには猛省を促すところです。

   

2020年8月24日 (月)

小金井/ 花火

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昨夜は小金井においてもサプライズ花火が上げられました。
疫病コロナのせいで今年は花火を見ることは無いと思っていただけに嬉しい花火でした。

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1img_9133 全くの手ぶれ

   

2020年8月23日 (日)

小金井/ 野川 (羽黒蜻蛉)

1dsc_8801 羽が損傷してはいるものの矍鑠たる姿勢を保つ長老的存在の羽黒蜻蛉

一昨日、貫井神社に詣でました。
その後弁天橋に至り、羽黒蜻蛉は居るかいなぁ?と橋の上から野川の川面に目を遣りますと、数は少ないものの羽黒蜻蛉がヒラリヒラヒラと飛んでいました。

1dsc_8809 羽を広げて涼をとる羽黒蜻蛉

彼らの中には増水して水面ぎりぎりのところに葉をだしている草に留まっているものがいましたが、特に羽がボロボロになりながらも足を踏ん張り背筋をピンと伸ばした羽黒蜻蛉は印象に残る存在でした。
羽の具合から判断して、齢を重ねた長老的存在の羽黒蜻蛉でしょうか。

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また、川面に向かって垂れた長い葉には急勾配にも係わらず、しっかりと摑まっている羽黒蜻蛉がいました。

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その綺麗な揺るがない姿を望遠レンズを通して暫し見続けたのでした。

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弁天橋を離れて野川の下流側に移動しますと、川の中央に平たい石があります。
そこには2匹の羽黒蜻蛉が西に向かって羽を休めていました。

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そして、西日による光の直線的な流れは羽黒蜻蛉の姿を流体力学的に理想的な形の影として石の上に投影していたのでした。

1dsc_8831 背中方向にも柔軟な体の羽黒蜻蛉

   

2020年8月22日 (土)

小金井/ 貫井神社 (足長蜂)、 栗 (色付く毬)

1dsc_8798 蓮の葉の上の足長蜂

昨日もたいそう蒸し暑かったので夕方になってから散歩に出ました。
先ずは貫井神社に詣でました。
そして池に架かる橋の上で暫し涼をとっていますと、一匹の足長蜂は私の頭の横を飛んで池に浮かぶ蓮の葉に停まりました。
その足長蜂の様子を見ていますと、まるで蓮の葉の上で池の水を飲んでいるかのように見えたのでした。
蜂って水を飲むんや!と思えるくらい暑い夕方でした。

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また、散歩の途中で通りかかった栗林では、あちらこちらの木々で茶色く色付いている毬が散見されました。
特に日当たりの良い木では茶色い毬の数が多く見られました。
7月の長雨のせいで発育が遅れていると思っていましたが、漸く栗の実が実り始めたようです。

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2020年8月21日 (金)

小金井/ 野川 (羽黒蜻蛉)

1dsc_8758 弁天橋の上から見た野川の下流側

先日、貫井神社に詣でた後、野川に架かる弁天橋の上から川面に目を遣りますと、多数の羽黒蜻蛉がヒラヒラヒラと飛んでは草の葉に留まり、暫く留まっていたかと思いますとまたヒラヒラヒラリと飛び交っていました。

お盆を過ぎて朝晩は急に秋の気配が感じられるようになってきましたが、彼らが残された命を一生懸命に生きようとしているように見えたのは私の考えすぎだったのでしょうか・・・。

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2020年8月20日 (木)

小金井/ 貫井神社 (鷺)

1dsc_8733 飛立つ直前の鷺

先日、貫井神社に詣でました。
鳥居を潜りますと右手の池の岩の上に大きな鷺が居ました。
その鷺はまさに飛び立とうという姿勢で辺りを窺っていました。

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この日は運良くD800を携行していましたので、鷺に気付かれないように木陰からD800を構えた瞬間に鷺は強く岩を蹴り羽を羽ばたかせて飛び立ったのでした。

1dsc_8736 存外に太ももは細い

そして、緩やかに飛びながら隣のお寺の樹の向こうに行ってしまいました。
久しぶりに見た鷺の姿でした。

   

2020年8月19日 (水)

西川 治 氏

1img_20200817153201 西川 治、 イタリア半島「食」の彷徨、小学館 2000年4月1日発行

先週の木曜日のことでした。
夜、寝る直前に急に激しい腹痛に襲われたのです。
余りの痛さになす術もなく、苦しんだのでした。
その痛みの部位からは久かたぶりの尿管結石を疑ったのでしたが併せて激しいPとなり、何が何やら分からない状態でトイレ通いを続けることになったのでした。
一時は尿管結石でお世話になった杏林大学附属病院へ飛び込もうかとも考えたのでした。
結局、パジャマの2セットを汗でズクズクにして漸く痛みが和らいできたので、汗を拭って眠りについたのでした。

1img_0001_20200817153201 西川 治、 悦楽的男の食卓、 BRUTUS BOOKS 第2号、 昭和60年7月21日発行

翌日の金曜日は、2ヶ月に1回の頻度で通う新宿のクリニックに行くことになっていたのでしたが、体に力は湧いて来ず、結局日を改めることにしたのでした。
そして、一日中力なく体を横たえていたのでしたが、寝ながらも久しぶりに本を読んで見る気になり、書架からとりだしたのが西川治氏の「イタリア半島「食」の彷徨、小学館 2000年4月1日発行」でした。

西川治氏は高名な写真家であり、かつ美食家として巷間にその名を轟かせられる人で、私が初めてアメリカで目にした氏の本が「悦楽的男の食卓、 BRUTUS BOOKS 第2号、 昭和60年7月21日発行」でした。(この本はアメリカから持ち帰り今でも書架に置いてあります。)

氏の文章には食に対する筋の通った考え、即ち哲学、が明確に示されており、またその表現からは料理や素材の香や味わいまでもが如実に伝わってくるというものです。
私は終日ずっと寝っころがって氏の文章を読んでいましたが、いつの日かヨーロッパを巡って佳き料理を味わいたいものであると思ったのでした。
早く疫病コロナが終息する日が訪れることを願う次第です。

   

2020年8月18日 (火)

SONY α-100

1dscn8900 SONY α-100、MAXXUM AF ZOOM 100-300mm 1:4.5(32)-5.6を装着

現在、SONYはその優れた設計・加工技術と高度なCMOSセンサー技術で世界のミラーレス一眼カメラ分野におけるリーディングカンパニーとして認知されていると推察しています。
そのSONYはカメラに関する技術をミノルタから継承した技術を礎として現在に至っているように思います。

1dscn8908

そして、SONYが最初にリリースしたのがミラーレス一眼カメラではなく一眼レフ型カメラで、その名称は「SONY α-100」でした。

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私は2007年1月19日にこの「SONY α-100」を手に入れたのでした。
場所は成田空港のカメラショップ「カメラの木村 成田空港店」で、ジャカルタ出張の途中のことでした。
何故に成田空港で購入したかと言いますと、2006年2月から貯めたJALのマイレージが使えたからでした。
なお、「SONY α-100」の価格が99、800円+税5%でしたが、全てマイレージでカバーでき、加えてフィルター(9029円+税5%)もカバーできたのでした。

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そして、この日以降Nikon製D800を購入する2013年7月19日まで約6年半の間メインのカメラとして使い続けたのでした。

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なお、現在も「SONY α-100」にはミノルタの望遠ズームレンズ「MAXXUM AF ZOOM 100-300mm 1:4.5(32)」を装着し、150-450mmレンズとして遠くの被写体を狙う際には使っています。

1img_20200817150701 取扱説明書は輸出仕様

   

2020年8月17日 (月)

Canon snappys

1dscn8943 Canon snappys

米国勤務をしていた8年間の内、最初の5年間は毎週のように出張しており、ほとんど家やオフィスに居ない状態が続きました。
アメリカの住宅エリアには所謂コミュニティが形成されていて意外と近隣の人達との付き合いもあり、そういう意味では朧気ながらも私が出張で家に居ないということが知られているようでした。
ある日向かいの家のおばちゃんが奥に「いつ離婚するの?」と冗談交じりに訊いてきたということもあったのでした。

1dscn8939  正面の回転カバーを回すとレンズが現れる、ストロボは手で引き出すとスタンバイできる

さて、出張の中には日本からの出張者のアテンドで出掛けることもありました。
そういう際にはカメラを携行して一寸した記念の写真を撮ってあげることもありましたが、一眼レフは大きくて出張のカバンに入れて持ち歩くことは現実的ではありません。
そこで、コンパクトカメラを一台購入しました。

1dscn8947 厚さは5cmほどで嵩張らない

私がアメリカで勤務していた頃は日本製のカメラが市場を席巻していて、日本のカメラメーカーの製品があちらこちらで見ることができました。、
そして、私が購入したコンパクトカメラがCanon製の「Canon snappys」でした。

1dscn8920 St.ThomasのCORAL WORLDのステッカー

私はこのCanon製のコンパクトカメラ「Canon snappys」を購入したのは、Houstonの家の近所にあるスーパー「K Mart」であったと記憶するところです。

価格は100ドル程度より安かったと思いますが、このカメラはカバンの中にコンパクトに納まって持ち運びが容易でしたし、堅牢で落としても壊れることもなく、愛用していました。
このカメラは、最初の1台は旅行中に紛失しましたが、2台目は日本に帰国した後も海外出張などに携行し、1998年にOlympusのコンパクトデジタルカメラを購入するまで約10年間に亘って使いました。

1dscn8944

なお、この一文を書いていて気付いたのですが、この「Canon snappys」が私が購入した最後の銀塩フィルムカメラとなったのでした。

1dscn8916 ソフトケース

1dscn8914 取扱説明書

   

2020年8月16日 (日)

MINOLTA MAXXUM 7000

1dscn8862 

この「MINOLTA」社製の「MAXXUM 7000」は私にとって2台目の一眼レフカメラでした。
購入したのは1987年4月にHoustonに赴任して数カ月後の秋で、NYに出張した際にグランドセントラル駅の北側のエリアにある写真機材の専門店においてでした。

1dscn8865

具体的な価格はもう忘れてしまいましたが、カメラのボディ「MINOLTA MAXXUM 7000」とズームレンズ「MAXXUM AF ZOOM 35-70mm 1:4(22)」、それに撮影日時の記録できるバックカバー「Program Back 70」などを纏めて数百ドルであったように記憶しています、
そして、これが自分の稼ぎで購入した最初の一眼レフカメラでした。

1dscn8864 MAXXUM AF ZOOM 35-70mm 1:4(22) を装着

この一眼レフカメラを購入して以降、アメリカでの写真撮影はこのカメラをメインにして行いました。
例えば、航空ショウ、カリブ海、スポーツ観戦などの多くのシーンはこのカメラで撮影したのでした。
更に1995年の帰国後も使い続け、息子のアメリカンフットボールの試合などでも使ったのでした。

1dscn8869 Program Back 70(撮影日時を記録できる)

また、このカメラはオートワインド、オートリワインドとなっていて、撮影毎にフィルムを手動で巻き揚げたり、あるいは撮影後に手動で巻き戻す必要はなく、全て内蔵モーターが自動的に行ってくれるというもので当時としては最新の機構を採用した便利なカメラでした。

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1dscn8881 MAXXUM AF ZOOM 100-300mm 1:4.5(32)-5.6 を装着

また、航空ショウで航過する航空機を撮影するために望遠ズームレンズ「MAXXUM AF ZOOM 100-300mm 1:4.5(32)-5.6」を買い足したり、屋内撮影用にストロボ「FLASH 2800AF」を購入したりしましたおかげで私なりに充実した時間を過ごすことができたのでした。

1dscn8891 ストロボ FLASH 2800AF

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なお余談ではありますが、「MINOLTA」は堺市にも工場があった会社で、カメラ事業以外ではプリンターやコピー機のリーディング企業でした。
しかしながら、カメラ事業はSONYに、プリンター・コピー機事業はコニカに継承され現在に至っています。
したがいまして、SONYの一眼型デジタルカメラにはミノルタのレンズを装着することができるのです。

1dscn8893 カメラケース

1dscn8913 取扱説明書

   

2020年8月15日 (土)

Canon FT

1dscn8846 Canon FT, Canon LENZ FL 50mm f:1.8, Filter Skylight

1969年の秋が深まった頃であったと記憶しています。
我が父がちゃんとしたカメラを買うようにと3万円をくれたのでした。
当時の私は高校1年生で、それまで使っていたカメラ(Olympus Pen)を卒業して、上級の一眼レフカメラに憧れていたのでした。
多分ですが、そのことを知った父が3万円というお金を出してくれたのでした。

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因みにネットで調べてみますと、1969年における大卒の初任給は34,100円で現在価値では138、600円となっています。
その時は凄い大金であるという認識はありませんでしたが、同時に私のする貯金ではどれくらい時間をかけても貯めることは覚束ない額であるという認識はありました。
そして、67歳の今になって凄い大金であったということを認識した次第です。愚か者でした。

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さて、その当時の私が欲しかったのはNikon製の「Nikomart」(開放測光)が第1候補で、「Canon FT」(絞込測光)が第2候補でした。
それだけのことを念頭に父からもらった3万円とそれまでに貯めていた僅かな額のお金を持って心斎橋にある「カメラのナニワ」に行きました。
というのは「カメラのナニワ」は今でいう量販店的な位置付けにあり、他店よりは割安で購入できるという印象があったからです。

「カメラのナニワ」では「Nikomart」と「Canon FT」を見せてもらいましたが、その時の我が手持ちの現金では数千円が足りず、一旦撤退したのでした。

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後日、そのことを知った父は不足金額を手渡してくれ、年末だったか年始開けであったかは記憶していませんが、寒い日の午後に再び、カメラのナニワを訪ねたのでした。
そして、大いに逡巡したあげく若干でしたが価格が安くデザインの良い「Canon FT」を購入したのでした。

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このCanon FTはその後約20年に亘って私の愛機として大阪万博や修学旅行、さらにはアイドルMA女史のコンサート等々で活躍してくれたのでした。

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2020年8月14日 (金)

貫井神社/ 夏の風景

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一昨日、夕立が来る数時間前の午前中のことでしたが散歩に出たところ、気温も湿度も高くてマスクをして歩くこと自体が結構体力を消耗するものでした。
散歩の途中で貫井神社のお参りしましたところ、境内は背の高い木々に囲まれていることから涼しい空気が満ちていて、池の横でひと時の涼を取らせていただくことができました。

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そして、池のおもてから空に目を移しますと、木々の枝に囲まれた夏の空が見えたのでした。
夏の空は暑い空気で満たされているはずですが、存外に涼やかに見えたのでした。

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参詣の後、野川の淵を歩いていますと、羽黒蜻蛉の夫婦が水かさを増して何時もより激しい川の流れの淵に生える草の葉の上で産卵に勤しんでいました。

   

2020年8月13日 (木)

サングラス/ Ray Ban

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今から30年ほどまえのことです。

マンハッタンの5番街、トランプタワーに近い店(ひょっとしたらトランプタワー内の店かも)で購入したのがこの「Rey Ban」のサングラスです。
これは私にとって2つ目の「Rey Ban」のサングラスで、レンズの色はアンバーです。
因みに、1つ目はダークグリーンでした。

この「Rey Ban」のサングラスは、アメリカ国内の出張で空港からレンタカーで移動する際などを含めて自動車を運転する際には必ず掛けていたもので、私のお気に入りでした。

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なお、「Ray Ban」のサングラスは紫外線をほぼ100%カットするらしいです。
が、現下の状況ではマスクをしたおっちゃんがこのサングラスをして歩いていると、ちょっと怪しい人に思われるかもしれないので、暫く様子を見ることにします。

   

2020年8月12日 (水)

サングラス/ RANDOLPH AVIATOR SUNGLASSES

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RANDOLPH ENGINEERING Inc.
AVIATOR SUNGLASSES
58MM,  BLACK, BAYONET
GREY 3 LENS
532730

1img_0003_20200812141501 製品のタグ、シリアルナンバー:532730

このRANDOLPH ENGINEERING Inc.社製のAVIATOR SUNGLASSESはアメリカ軍のパイロット用サングラスとして1978年に正式採用となっています。(MIL-S-25948J)


このAVIATOR SUNGLASSESには偏光レンズが装着されていて、サングラス本来の機能に加えて強い太陽光の下でも視界に入る景色のギラギラが抑制されるという優れ物です。

私は米軍物資の通信販売のカタログでこのサングラスを見つけ、トータルで3個購入しました。(1回目に1個、2回目に2個)

最初の1個はConnecticut州のスキー場のメインスロ―プでドッヒャ~ンと転倒した際に何処かに吹っ飛んでしまい、無くなったのでした。

2個目はNY時代以降現在も使っていて、日本ではこれまでに自衛隊入間基地の航空祭や横田基地の日米友好祭、あるいは自動車での遠出(最近の十数年は遠出をする機会に恵まれていませんが)などで活用していました。
また、先日のDr.O先生のサジェッションを受けて、今後は近所の散歩にもこのサングラスを使うことにした次第です。

なお、3個目は未使用の状態で、机の引出しに保管してあります。

   

2020年8月11日 (火)

ネガフィルム

1dscn8786 アメリカは4コマづつ(左)、日本は6コマづつ(右)

今ではデジタルカメラが普及し、銀塩フィルムを使うカメラは画質に拘る人かあるいはプロの写真家がデジタル写真とは一味異なる写真を得るケース以外では使われることがなくなったようです。

私がアメリカに居た頃は未だ銀塩フィルムが全盛の頃でした。
しかし、帰国直前の1993年頃からデジタルカメラが普及し始めたようでしたが、その画質は粗いもので素人でもその画質に満足する人は少なかったようです。

さて、最近になってまた撮り溜めた写真のネガフィルムをスキャナーでデジタル化していますが、ふと気付いたことがありました。

それは、現像を終えたネガフィルムは数コマづつに切り分けられて専用のホルダーに入れて返却されるのですが、そのコマ数に日米間で違いがあったのです。
すなわち、日本は6コマづつに元のフィルムがカットされていたのに対してアメリカではそれが4コマづづになっていたことです。

この相違が何に起因しているのか知り得るところではありませんが、何か文化の違いが現れているようで興味がソソラレルところです。

   

2020年8月10日 (月)

カルビー/ 47都道府県の味 (東京、千葉、横浜、埼玉)

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7月下旬のことでしたが、スーパーマーケットに清酒を買いに行きますと、スナック菓子の売り場の一角でひと際光彩を放つコーナーが目に留まりました。
ムムッと思って近寄って行きますと、そこには金色に輝くカルビーの袋がうず高く積まれていました。
さらに良く見ますと、袋には東京、千葉、神奈川、埼玉という文字が大書されています。

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袋の一つを手に取って見ますと、袋の背面に「47都道府県の味」と書かれており、どうやら各都道府県の代表的な味を付けたもののようでした。
そして、我が住居エリアが東京であることからでしょうか、販売されていたのは東京、千葉、神奈川、埼玉のもので、東京がかっぱえびせん、千葉が堅あげポテト、神奈川と埼玉がポテトチップスとなっていました。

現在のコロナ禍の状況で日々の退屈を紛らせてくれる心憎いプロジェクトと理解し、東京、千葉、神奈川、埼玉の4種類を躊躇なくかごに入れたのでした。

なお、購入した品々は別途孫たちに送りましたが、どのような感想を持ったことでしょうか、興味あるところです。


[東京の味:かっぱえびせん てんぷら味]

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東京の「かっぱえびせん てんぷら味」は浅草の名店「雷門 三定」の天つゆの味が付与されているとの記述がなされています。
早速いただきますと、海老の天ぷらを彷彿とさせられる味となっていました。
かっぱえびせん単独でもビールや熱燗の美味しいおつまみとなるものですが、三定の天つゆというイメージにより一味深い味わいに感じられるのでした。

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[千葉:堅あげポテト 丸大豆しょうゆ味]

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千葉の「堅あげポテト 丸大豆しょうゆ味」は袋を開けた瞬間に香高い醤油の芳香が鼻腔の奥にまで届きました。
タイトルは丸大豆しょうゆ味となっていますが、味のみならずその佳い香の強さが印象的でした。

なお、私の個人的な印象では、海に囲まれている千葉県の名産である浅蜊を使った佃煮風味のポテチもヨロシイかと思うのですが・・・。
あるいは、もう少し高級路線で伊勢海老味とかも良いように思うところです。

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1dscn8641 醤油を纏って濃い目の褐色を呈している

[神奈川の味:ポテトチップス 横浜家系ラーメン味]

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神奈川の「ポテトチップス 横浜家系ラーメン味」は食べる前の予想に反してアッサリとした味わいでした。
先入観を持たずに目を閉じていただいたならば、コンソメ味に感じていたかも、と思うところです。

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1dscn8760 ラーメンスープを纏って薄目の色に仕上げられている

[埼玉の味:ポテトチップス うなぎの蒲焼味]

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埼玉の「ポテトチップス うなぎの蒲焼味」は淡目の風味ではありますが、まさにうなぎの蒲焼の風味が感じられました。

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1dscn8780 鰻のタレで濃い目の褐色

なお全国47都道府県の味であるので、大阪や京都の味もあるようです。
味わってみたいと思いますが、現今の状況ではまたの機会ということになりそうです。

   

2020年8月 9日 (日)

大阪/ 日本万国博覧会 EXPO70 (2)

1img_0026 太陽の塔広場

昨日、50年前(1970年)に開催された大阪万博に行ったことを書きました。
そして、今朝も引き続きネガフィルムの整理をしていましたら新たに大阪万博のものが出てきました。
撮影の時間帯は主に夕暮れ以降のものが多く、昨日とは異なった景色となっています。

なお、撮影に使用したカメラは「Canon FT, FL 50mm f:1.8」でした。

1img_0023 太陽の塔

1img_0022 太陽の塔

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1img_0018_20200809145301 EXPOタワー(左)

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1img_0014_20200809145301 地球を模したオブジェ

1img_0012_20200809145301 噴水(投射される光の色が変化する)

1img_0010_20200809145301 落下水型タワー(水に当たる光の色が変化する)

1img_0003_20200809145301 高さ2mくらいの像が複数あり、その頭部にある帽子が赤いレーザービームで繋がっていた

1img_0003001_20200809145301 赤いレーザービームが当たる帽子(レーザービームは揺れ動いていた)

1img_0016_20200809145301 何故か写真機

1img_0017_20200809145301 なぜかレンズ

1img_0004_20200809145301 日本庭園

   

2020年8月 8日 (土)

大阪/ 日本万国博覧会 EXPO70

1img_0015 太陽の塔広場

疫病コロナのせいで不要不急の外出を控えるようになって約6ヵ月の時間が経ちました。
この間、我が一族や親しき人たちのみならず多くの人たちが我慢を強いられる状況が続いています。
こうした中、家でできることは数多くありますが、その一方でやる気にならん!というのも事実です。

私はこの機会に部屋の整理整頓を行ってきましたが、ここのところ停滞しています。
したがいまして、まだまだ部屋の中には雑多なものが手付かずの状態で残っているのが実態というものです。

1img_0016_20200808131301 エキスポタワーも多くの人

とはいえ、昨日は急に思い立って昔撮った写真のネガフィルム(滅茶苦茶に多くあります)のデジタル化を再開しました。
デジタル化はCanonのプリンターに備え付けになっているスキャナで行っていますが、4コマの写真に15分以上を要しますので何時まで飽きずに続けられるかはなんとも言えませんという気分です。

1img_0019 広い会場内は人でいっぱい

さて、昨日デジタル化した写真の中に「日本万国博覧会」に行った時のものがありました。
開催されたのは1970年3月15日から9月13日の間で、「人類の進歩と調和」がテーマとなっていました。

当時、私は当時高校2年生で、行った時期は明確には憶えていませんが、最初の頃の大混雑が多少は緩和された6月から7月頃であったようです。
ちょうど今から50年前のことでした。

1img_0003_20200808131301 タイ館の前には要人の車と警備のパトカー

写真を見て思い出したのですが、万博には2回行っていました。
1回目は高校の同級生で後に慶應大学に進み、NYで金融関係の仕事に就いたMK氏と一緒でした。
この時は、ソ連館でオペラ歌手の声量の凄さに驚き(マイクなしでも後ろの方まで大音量の声が聞こえました)、次いでソ連館であったと思いますが紅茶を飲んだのでした。

1img_20200808140601 ソ連館でもらったバッジ

ただ、その紅茶は大きなマグカップに入れられていたのでしたが、取っ手が小さい上に滑り易く私の親指と人差し指で摘まんだ状態ではスルリとお辞儀をして中の紅茶がこぼれたのでした。
そして、それを外国から訪れたご婦人の二人連れがジッと見ていたのでしたが、なぜかそのことを思い出すのです。

1img_0006_20200808131401 近未来的な建物

2回目は中学の同級生のMS氏と一緒でした。
MS氏は運動が得意で、私の印象では走り高跳びで他の追従を許さないレベルでした。
ただ、残念ながら今では音信が途絶えています。

1img_0009_20200808131401 未来の自動車(イタリア館?)

展示の中で記憶するのは、アメリカ館の「月の石」(前年の1969年にアポロ11号が月面にて採取)、日本関係の展示館でのレーザービーム(大きな人形の頭をレーザービームで繋いでいる、手を差し伸べるとレーザービームの当たったところが赤く見えました)、動く歩道、身長が2mもあろうかという巨大なイタリアの警察官(?)、ロシアの女性オペラ歌手(生の声がとにかく凄い)、アメリカンドッグ(やたら美味で、これがアメリカの味かぁ、と思ったのでした)、などなどです。

1img_0017 動く歩道(右)、アイルランド館(左)

1img_0018_20200808131401 建物の裏手は空いていました

1img_0020 夕闇せまる万博会場

   

2020年8月 7日 (金)

晩酌

1dscn8710 

今日は我が小金井市においても気温が36℃という猛暑日となりました。
部屋でじ~ぃっとしていても体から汗がジワリジワジワと滲み出してくるという状況でした。
コロナという状況ですから敢えて外出することはない上に、かくも蒸し暑うては高齢者というカテゴリーに分類されて久しい我が身としては家の中でおとなしうしているのが良さそうです。

実のところ晩酌は熱燗のみをず~っと続けてきたのでしたが、流石に熱燗は些かしんどくなってきたのでした。
そこで、先日からは発泡酒に変更したのでした。
予めグラスを冷凍庫で冷やしておいて、ここに冷えた発泡酒を注ぎ込み、間髪入れずに喉元から胃の腑目がけてウングッ、ウングッ、ウングッ~~~と流し込みますと、これぞ夏の醍醐味と申しましょうか得も言えぬ快感が全身に満ち渡るのでした。
そして、現在最初の1杯は発泡酒を嗜み、2杯目以降はウィスキーのオンザロックあるはソーダ割りを飲んでおりますのですじゃ。

ということで、爺様は世のお役にはたたないものの、かというて邪魔にもならず、毎日をつつましう暮らしておりますのですじゃ。
これで疫病コロナさえなければ、実に泰平な時間を過ごせるのですがのう。

   

2020年8月 6日 (木)

小金井/ 餌咥え鳥

1dsc_8674 捕獲した餌を咥える名知らず鳥

今年は春からこの夏にかけて例年にない気象状況であったせいでしょうか、昨年まで経験しなかったことが自然界で起きているようです。
例えば、今朝も含めた最近の朝にウグイスが鳴いています。
例年でありますれば山に帰っているはずのウグイスが8月になった今でも鳴いているというのは些か変な感じです。

また、昨日の朝でしたがカッコウが鳴いていました。
私がカッコウの存在に気付いたのは3年ほど前のことで、5月中旬頃に現れて6月下旬には何処かに行ってしまっていましたが、今年は未だ近所にいたようです。

一方、、植物に目を移しますと、長雨であったせいか栗の生育も遅れているような印象です。

まぁ、地球の環境は徐々に変化しているようですから何が異常とかは断定できませんが、少なくとも住み良い環境であって欲しいものです。

   

2020年8月 5日 (水)

目の老化 (白内障)   [4]

1dscn8718 

昨年の秋から眼科のDr.O先生のお世話になっています。
Dr.O先生は何事も論理的かつご自身の医療経験に基づいた説明をしてくださるドクターであられ、医療の素人である私にでも納得ができる診断を下してくださいます。
一番最初にお世話になった昨年は、軽度の白内障があるもののそれは年齢相応のもの、との診断でした。

昨日は処方していただいていた点眼薬が残り少なくなってきたことからDr.O先生の診察を受けに訪ねたのでした。
診察室では専用の機器でチェックされ、その際に私の現在の状況(目が乾く、景色が以前に比べて明るくない)を説明しますと、前者に関してはドライアイが続いていて、また後者に関しては白内障が少し進んでいるが未だ手術を要するようなレベルではない、とのことでした。

Dr.O先生からは、ドライアイに関しては点眼薬2種類を処方していただき、白内障に関してはサングラス、帽子の着用を薦められました。
ということで、昨日の帰り道からはサングラスをして歩いています。
マスクも一緒にしていますので、すれ違う人の中には胡散臭そうに見てくる人もいるようでした。

また、進行した白内障はもとに戻ることはないもののその進行を抑制することはできるとのことで、その方策について説明をしていただきました。
その中で、甚く興味が惹かれましたのは「葉の白い野菜、例えばキャベツ、レタス、白菜など、が効果的である」ということでした。
私はキャベツは結構食べていますので、引き続き食べることを続けることにいたしましょうと思うところです。

1dscn8707 明太子高菜おやき

さて、診察を終えて武蔵小金井駅まで戻って来ますと、昼食には若干遅めのタイミングとなっていましたので、駅前のベーカリーで惣菜パンを買って帰りました。
買ったのは「明太子高菜おやき」と「牛すじ煮込みカレーパン」でした。

先ずは味わいが穏やかであると考えた「明太子高菜おやき」からいただきました。
「明太子高菜おやき」はパン生地の上に明太子ペーストが層状に塗られここにチーズが重ねられていました。
また、パン生地の中には高菜を胡麻油で香良く炒めたものが詰められていました。
これらの明太子ペースト、パン生地、高菜を同時に咀嚼しますと、最初に明太子、次いで高菜の味が2段階で感じられ、そこに少しこんがり焼かれたチーズの塩味を帯びた酪味が後追いで感じられるという味の時間差攻撃が計算されたパンなのでした。

1dscn8708 牛すじ煮込みカレーパン

次いで「牛すじ煮込みカレーパン」をいただきましたが、カレーの濃厚なアクセントのなかに牛肉から出た旨味が混然となった味わいが印象的でした。
なお、このカレー餡だけを「明太子高菜おやき」に塗り付けていただくことを試みてみたところ、これが存外に美味でした。

   

2020年8月 4日 (火)

小金井/ 野川 (アゲハ蝶、羽黒蜻蛉、名知らず花)

1dscn8648 アゲハ蝶

先日、貫井神社の参詣し、金剛組による拝殿屋根の修復工事が行われているのを知りました。
その後、野川の淵を逍遥したのでしたが、梅雨がほぼ明けたタイミングであったことによるのでしょうか、アゲハ蝶がヒラヒラヒラと優雅に飛んでいました。
周囲の空気は湿度が高かったものの風は無く、数は少ない花を求めて優雅な姿で飛んでいました。

この日もコンパクトデジタルカメラしか携行していなかったことから、その姿を捕えるのは至難のことでしたが、ピントが甘いものの1枚だけ撮影できたのでした。


1dscn8673 羽黒蜻蛉

貫井新橋に至ったら、眼下10m程のところに羽黒蜻蛉が2匹緩やかに飛んでいるのが目に入りました。
10mというのは存外に遠く、飛んでいなければ気付くようなことはなかったことです。

暫く眺めていますと、川の流れに近い場所にある葉に留まりましたので「いざ撮らむ!」とコンパクトデジタルカメラを起動しました。
そして、手持ちでは画像がぶれてしまいますので、橋の欄干にカメラと左手をしっかりと固定し、そっとシャッターボタンを押したのでした。
すると羽の模様や胴体の節などが存外にクリアな画像を得ることができたのでした。

1dscn8678 名知らず花

その後、ひと際大きな花が咲いていました。
外来種でしょうか、野川では初めて目にする花でした。

1dscn8682 ガマの穂

また、今年もガマの穂を数カ所で見つけました。
ガマの穂は触ったことがありません。
どの様な感触なのか興味あるところですが、このままそっとしておくのが粋ってぇものでせふ。

   

2020年8月 3日 (月)

記念切手/ 富士山のデザイン (日本国際切手展2021)

1img_20200803134201 

今日は所用があって2回郵便局に行きました。
そして、2回目の所用を終えた際に、ふと目に飛び込んできたのが富士山が描かれた記念切手のシートでした。
一瞬のことでしたが、窓口を離れるのを止め、多分2秒くらいの時間であったと推察していますが随分と長く感じられる時間を逡巡した結果、購入に至ったのでした。

この記念切手のシートは「日本国際切手展2021」というタイトルがついていて、来年横浜で開催される「日本国際切手展2021」を記念して本日8月3日に発行されたものです。
因みに、今日の発行日を狙って郵便局に行ったのではなく、偶然今日が発行日だったのでした。

また、タイトルは英語で「JAPAN WORLD STAMP CHAMPIONSHIP EXHIBITION 2021」となっていて、CHAMPIONSHIPという言葉からは何か切手に関する優劣を競いあう展覧会なのかもしれないと推察した次第でした。
これは日本語のタイトルから想像した国際親善的な切手の展示会というイメージとは直接的に結び付かないような感じを受けましたが、私の想像力の限界と切手に関する知識の乏しさが原因であるのかもしれませんです。

一方、シートを構成する10種類の記念切手は全て富士山を題材にしたものです。
富士山が日本のイメージにマッチする題材の一つとして採用されたことは、日本で開催される国際的な催しの記念切手として綺麗で分かり易い題材であると思料するところです。

   

2020年8月 2日 (日)

小金井/ 貫井神社 (拝殿屋根修復工事 by 金剛組)

1dscn8657001 貫井神社拝殿

私の知る限りのことですが、7月下旬頃から貫井神社の拝殿の横に足場が組まれています。
先日参拝しましたら足場が組まれた屋根の一部の色が異なっていました。

1dscn8658 修復工事中の拝殿の屋根

そして、組まれた足場には「貫井神社拝殿屋根修復工事」と書かれた札が下げられていて、併せて施工は「金剛組」によってなされることが書かれていました。

1dscn8656 施工は金剛組

「金剛組」といえば世界最古の企業体として広く知られるところです。
ネットで調べますと創業は西暦578年だそうです。
さらに、金剛組は四天王寺建立のために聖徳太子によって招聘された百済の国の宮大工3人の内の一人である金剛重光師が創業者で、西暦593年の四天王寺建立を成し遂げているということです。

その金剛組が9月10日までの予定で貫井神社の拝殿の屋根の修復を行っておられるとのことです。
平日に参拝し安全ルールを遵守しかつ邪魔にならないようにすれば、その伝統ある技術を目にする機会があるかもしれません。楽しみなことです。

   

2020年8月 1日 (土)

USA/ Washington Quarters (Bicentennial)

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1img_0001001_20200801095401

この¢25硬貨はアメリカ独立200周年を記念して1975年から1976年にかけて発行されたものです。

また、刻印された年は1776-1976となっていて、独立200年を表わしています。

1img_0006001_20200801070101

なお、発行枚数はPhiladelphiaが8億9百80万枚、Denverが8億6千10万枚だそうです。
また、1975年から1976年の2年にまたがって発行されたことから発行枚数は他の単年のものに比べるとダントツに多い部類に入っています。

因みに、在米中に18枚手に入れることができましたが、Philadelphiaが5枚、Denverが18枚で圧倒的にDenver発行のものが多いという構成になっています。
これは、LasVegas(PhiladelphiaよりDenverに近い)のカジノのスロットマシンから出てきたのが多大に寄与しているのです。

   

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