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2020年7月

2020年7月31日 (金)

USA/ Washington Quarters

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アメリカの男の子供たちは少なからずベースボールカードの蒐集ということに興味を持つようで、我が息子もHoustonに住みはじめて暫くすると友達の影響でベースボールカードを集めたいというようになりました。

そこで、家から北に車で5分程行った処にベースボールカードやサインボール、バスケットボールカード、アメリカンフットボールカード、などなど子供の欲しがるアイテムを取り揃えた店があり、息子とともにその店を訪ねたことがありました。

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その店はちょっとくたびれた倉庫のような外観でしたが、中に入りますと子供のみならず趣味にのめりり込んだ大人にも対応する所謂専門店でした。
息子がベースボールカードを物色する間に私も店内を見て回りますと、小さいながらもコインの蒐集コーナーがありました。
私はコインにはたいして興味はありませんでしたが、ふと見ると通貨として使われているコインを年ごとに纏める冊子状のフォルダーが売られているのに気付きました。
その瞬間、アメリカに住んでいる間のコインを集めてみるのも一興であると思い、¢1、¢5、¢10、¢25の硬貨に対応する冊子を買い求めたのでした。

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そして、その日から¢1、¢5、¢10、¢25の硬貨を集め始めたのでした。とはいいましても、熱心な蒐集ではありませんからカバーできなかった年も多くあります。
ただし、¢25硬貨についてはほぼ毎年のものを集めることができたようです。

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なお、¢25硬貨と一言で言いましても意外に何種類もあるようで、その辺が蒐集家にとってタマランものとなっているのかもしれませんし、時を経て集め続けると孫が喜ぶ程度のお宝にはなりえるものです。
私の冊子は1965年から始まっています。
この1965年という年は¢25硬貨が銅/ニッケル合金で造られた最初の年で、以後この材質が続いているようです。

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また、硬貨の肖像の描かれた側の4時の位置には「Mint Mark」が4種類あるということです。
この「Mint Mark」によって硬貨が造られた場所が分かるようになっており、無地(Phiradelphia、Denver、SanFranciscoのいずれか)、P(Phiradelphia)、D(Denver)、S(SanFrancisco)の4種類ありますが、記念硬貨を除きますと現在の通常硬貨はPとDの2種類のみです。

1img_0001001_20200730144201 無地

1img_0003_20200730144301 P

1img_0003001_20200730144301 D

   

2020年7月30日 (木)

USA/ ドル紙幣 (2ドル紙幣)

1img_20200729152301 肖像はThomas Jefferson第3代大統領

日本ではあまり知られてはいませんが、米国の紙幣には2ドル紙幣があります。
多分ですが、流通する枚数が少ない事がその主たる理由であると推察するところです。
そして、流通枚数が少ないのは財政政策的なものよりも需要が少ないということの方が大きな要因であるように思料しています。
これは、日本の二千円紙幣と同様なことではなかろうかと思うところです。

流通する枚数が少ないと推察しましたが、8年数カ月の間の米国勤務の間で2ドル紙幣で買い物をしたり、あるいは買い物の釣銭として受け取ったことは全くありませんでした。
従いまして、2ドル紙幣の存在に関しては対米数年の間は知ることがありませんでした。
しかし、ある日のことでしたが同僚のアメリカ人従業員と話をしていた際に2ドル紙幣の話が出て、そのことによって私は2ドル紙幣があるということを知ったのでした。

1img_0001_20200729152301 独立宣言採択の場面

そのアメリカ人の同僚氏によりますと、多くの場合2ドル紙幣はクリスマスにプレゼントとしておばあちゃんやおじいちゃんから孫子が貰うものであるということでした
また、その2ドル紙幣は使ってしまうのではなくて「お守り」として持っているというのが多くの子供たちに共通するできごとであるということでした。

では、おじいさんやおばあさんはどのようにしたら2ドル紙幣を入手できるのかと尋ねますと、銀行の窓口で交換してくれるということでした。

そこで、翌日だったと記憶していますが私の口座があるCitibankに行って窓口のお姉さんに2ドル紙幣を求めますと、2枚までなら交換できるということでしたので、2枚いただいたのでした。
いただいた2枚の2ドル紙幣は新券ではありませんでしたので、分厚いワインの本に挟んで皺を延ばしました。
この一手間で結構フラットな見た目に綺麗な紙幣に戻ったのでした。
そして、1枚は皺にならないように保管し、もう1枚はお守りとして財布に入れて持ち歩いていました。
なお、財布に入れて持ち歩いていた方の2ドル紙幣はかなりくたびれた状態になってしまいましたが、今は新しい財布の中でのんびり過ごしているようです。

   

2020年7月29日 (水)

USA/ ドル紙幣 (番号・記号)

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1995年7月に米国勤務を終えて帰国しましたが、米国勤務中は仕事だけではなくアメリカの生活や文化に係わることも多々知る機会を得ました。
その内の一つが通貨に係わることでした。
今回は「紙幣」に記されている記号について知り得たことです。

米国の紙幣は全国主要都市にある連邦準備銀行によって発行されており、その数は「12」あります。
そして、それぞれの連邦準備銀行で発行された紙幣にはその固有の数字とアルファベットの文字が印刷されており、紙幣を見ればどの連邦準備銀行で発行されたものかが分かるようになっています。

私は知人からそのことを教えられ、発行された連邦準備銀行ごとの紙幣を集めてみることにしたのでした。
なお、蒐集の対象は予算的に楽な$1紙幣を対象としました。

蒐集を始めた当初は簡単に集めることができるであろうと思っていたのでしたが、いかんせんこれが存外に難しいことで、蒐集をしていた2年間程の間では結局4番Dのクリーブランド連邦銀行の$1紙幣には出会うことがありませんでした。

なお、ミズーリ州にはセントルイスとカンザスシティの2都市に連邦準備銀行があり、またロッキー山脈より西にはサンフランシスコの1都市にしか連邦準備銀行はありません。アメリカの発展の歴史がそのようにさせたのでしょうけれども、興味ある事実です。


番号 記号 連邦準備銀行    所在州

 1  A   ボストン         MA
 2  B   ニューヨーク      NY
 3  C   フィラデルフィア    PA
 4  D   クリーブランド     OH
 5  E   リッチモンド       VA
 6  F   アトランタ        GA
 7  G   シカゴ          IL
 8  H   セントルイス      MO
 9  I    ミネアポリス      MIN
10  J   カンザスシティ     MO
11  K   ダラス          TX
12  L   サンフランシスコ    CA

   

2020年7月28日 (火)

小金井/ 貫井神社 (赤とんぼ)

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先日、雨が一時的に止んだタイミングで散歩にでました。
ここ一月ほどの間ずっと雨が降っていたことから散歩に出掛けるのは久しぶりのことでした。

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そして、貫井神社でお参りを済ませてから境内の池に目を遣りますと、蓮の葉の上に一匹の赤とんぼが羽を休めていました。
この赤とんぼは私にとっては今年初めてお目にかかるものでした。

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季節的なものと雨降りが続いたことを合わせ考えますと、この時期の赤とんぼの出現は些か早いような気がしました。
また、今年はこれまで池の周りにも野川の淵にも赤とんぼを見かけることはなく、総合的に判断しますとこの日に見た赤とんぼは生まれてくるのが少し早かったのかもしれません。
健やかに過ごしてくれることを願うところです。

なお、この日はコンパクトデジタルカメラしか携行していませんでしたので、望遠サイドでぶれないように息を止めて体が動かないようにして撮影したのでした。やはり、一眼レフは常時携行した方が無難というものです。

   

2020年7月27日 (月)

記念切手/ 最寄りの郵便局の開業記念

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今から50数年我が生家の近所に郵便局ができましたが、それから10数年ほどでした頃でしょうか・・・。
その郵便局が閉じられて駅の近くに新しい郵便局ができました。

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そして、我が母は所用があって、たまたまでしたが新しい郵便局をその営業初日に訪ねたのでした。
今回も特に何ら意識することなく出掛けたということで9時を過ぎた頃合いで郵便局に入ったところ、何と最初のお客となったということでした。

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郵便局の開業初日に最初のお客になること2回とは実に希有なことでした。
そして、記念に「記念切手コレクション 1」と表題のついた冊子をいただいたのでした。
なお、中には記念切手が13枚並べられていました。

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2020年7月26日 (日)

記念切手/ 近所の郵便局の開業記念

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昔々、あれは今から50数年位前のことでした。
我が生家は所謂住宅街の中にあって、歩いて10分程度の場所に市場があったことから周囲には商業施設は無いという状況でした。
ある日のことでしたが、駅の近くにあった郵便局(私の小学校の同級生の家)が閉じられ、新しい郵便局が我が生家から20mくらいの処にできたのでした。

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その開業の日、母は所用があってその郵便局を訪ねたのでした。
すると、その郵便局にとって母は最初のお客となったのでした。
母は第1号のお客になるべく開業と同時に訪ねたのではなく、9時を過ぎて暫くしたタイミングで現金書留を出しに行くと偶然にも最初のお客となった次第でした。

そして、郵便局からは記念に1964年東京オリンピックの記念切手2種類が貼付された小さな冊子が贈られたのでした。

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2020年7月25日 (土)

記念切手/ 通信事業創始五十年記念切手・記念絵葉書

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この「通信事業創始五十年記念」の切手と絵葉書も祖母から貰ったものです。
2種類の切手が2種類の絵葉書に貼付され、加えて記念の消印(大正十年四月二十日)が押印されています。
残念ながら、専用の封筒はありません。
これも祖母から貰ったもので、大切に保管しています。

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2020年7月24日 (金)

記念切手/ 大婚二十五年記念郵便切手・記念絵葉書

1img_0003_20200723111001 大婚二十五年記念郵便切手・記念絵葉書

この「大婚二十五年記念郵便切手・絵葉書」は大正天皇陛下の銀婚式を祈念して発行されたものです。
その説明書「大婚二十五年記念郵便切手等に就て」によりますと、記念切手は4種類(2デザイン、2額面)あり、また絵葉書は2種類(2デザイン)があるそうです。

私が所有していますのは内国絵葉書用の1銭5厘の記念切手が2種類の絵葉書に貼付され、そこに記念の消印が押されたものです。
これは私が大学生の頃に祖母が私だけにくれたもので、祖母の思いでの一つとして保管してきたものの一つです。

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1img_0005_20200723111001 大婚二十五年記念郵便切手・記念絵葉書

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1img_0002_20200723111001 大婚二十五年記念郵便切手等に就て

1img_20200723111001 封筒

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2020年7月23日 (木)

記念切手/ 日本郵便切手型録 1966、 日本切手一覧 1965

1img_20200723061801 日本郵便切手型録 1966

ここのところずっと天気が優れず退屈な毎日が続いています。
朝からすることもなくボ~~~ッと過していますと、もう何年も開けていないカバンなどにも目がいくというものです。
久しぶりにその一つを開けて見ますと、子供の頃に集めていた切手帳やカタログが出てまいりました。
これらは、私が小学校低学年の頃から集め始め、中学生の頃になって飽きてしまうまでに集めたものです。

50年以上前の遠い昔に思いを馳せますと、その当時の私は成人した頃以降に我性となった出不精で人見知りする性格とは大きく異なって、かなり積極的に切手を集めていました。
あれは小学校2年の時でしたが、電車に2駅乗った鳳(オオトリ)という街にある郵便局の本局(鳳郵便局と当時は言うてました)で「切手商の切手市」が開催されているということを知りました。
そして、そこに一人で行ったのでした。

行くに当たっては、母親や祖母は賛成しなかったようですが、まあそれが普通の判断だというものでしょう。
もし、私の小学生の孫が同じようなことをすると言えば反対することは明々白々です。
しかし、多分ですが父の「まあ、ええやろ。」という言葉で行けるようになったと記憶しています。
そして、往復の電車賃の20円を握りしめて、家を出たのでした。

なお、電車に乗るに当たっては、このことの前に友人(それが誰であったかは憶えていませんが、多分YK氏であったような気がします)と一緒に二人だけで隣の駅まで往復したことがあり、この時の経験が2駅とはいえども一人旅行の決行を可能にしたようでした。
なお、YK氏と乗った電車では親が一緒でない上に初めての子供だけの小旅行であったが故に妙に嬉しくて、電車の窓から外に向かって「バイバ~イ、バイバ~イ!」とはしゃいで手を振っていたらYK氏から「おまえ、そんなにうれしいんか?」と言われたことを昨日のことのように憶えています。若干、上から目線で見られたという人生初めての経験でした。

1img_0002_20200723061801 日本郵便切手型録 1966

そして、鳳駅に降り立ち、予め教えられていた方向に坂道をテクテク下って行きますと鳳郵便局が目に入ってきました。
大人になってからの感覚では大した距離ではありませんが、あの時の私にはかなり長い道のりに思えたのでした。

鳳郵便局の前に至りますと、何処から入って何処へ行けばよいのやら見当もつきません。
暫く様子を見てウロウロしていると誰か知らないおっちゃんが声をかけてくれ、お蔭で建物の裏側から入って2階へ階段を昇っていき、漸く切手市の会場に入ることができたのでした。

その切手市は、想像していたような華やかなものではなくて、ちょっと薄暗い(子供の私にはそう感じられました)部屋の中で一寸怖そうなおっちゃんたち(子供の私にはそう感じられました)がテーブルを前にして静かに座っていて、時々お客と静かに会話をしているのでした。
買い物といえば母に連れられて行ったデパートや近所の市場しか知らない身には異質の空間なのでした。

さはさりながら、切手に興味があって訪れた小学校低学年の子供にとって目が行くのはテーブルの上に並べられた切手帳などで、おっちゃんたちに見せてもらったりしたのでした。
また、おっちゃんたちも常にお客が来ているわけではなく、また子供が一人で現れるなど珍しいことから「ぼん、どっからきたんや?」、「何歳や?」などと話しかけてくれるのでした。
中には、「一人で来たんか。えらいなぁ~。」と言って、使用済みの通常切手をくれるおっちゃんもいました。それは価値の無いものであるとは幼心に分かってはいましたが、それはそれで嬉しいものなのでした。

1img_20200723061802 日本切手一覧 1965

その後、切手商の切手市には折りに触れて訪ねる様になりましたが、中学生までは小遣いを貰っておらず財源はお年玉だけであったこともあり、購入した切手は安い物が数枚でした。そして、何を購入したかも今では忘れてしまいました。

なお、切手の蒐集家にとって切手の価値は最大の興味の対象の一つであると思います。
その価値の指標が記されたのが所謂カタログです。

ここに掲載した写真は、私が小学校高学年から中学生の頃に購入しかつ参考にしていたカタログ2冊です。
カタログを漢字で「型録」と書くとは、このブログを書いている今の今まで知らなかったことでした。

1img_0001_20200723061901 日本切手一覧 1965

   

2020年7月22日 (水)

Houston(TX)/ Violation of Traffic Rules, Municipal Court

1img_20200711160101 BINGLE Rd.

私は1987年5月から1995年7月までの米国勤務において、自動車運転中の交通規則違反で罰金を5回支払いました。
その内の3回はHoutonに於いて、1回はNY(バスに煽られた末のバス専用レーン走行)に於いて、1回はSanDiego(駐車違反)において起こした交通規則違反に関するものでした。

今回はHoustonにおいて起こした2件の交通違反について記述します。

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時は1989年4月6日のことでした。
日本から出張で来られた研究部門の部長さんで私がアメリカに来る直前の上司であられたSW氏と一緒の日でした。
翌日は米国の超大手石油化学会社での打合せが予定されている中で、簡単な打合せを兼ねて夕食を摂った後I-10(Interstate Free Way 10)の北側にある韓国クラブで軽く飲み、更にもう一軒ということでBINGLEとう名称の道を南に下り、もうすぐでI-10という場所で、いきなりポリスカーの警告灯が車の直後で光りました。

1img_0001001_20200711162401 黄色い円の辺り

こういう場合は即刻路肩に車を停車し、動かず騒がずじっとお巡りさんが寄ってくるのを待つのがお決まりの動作です。
間違っても、いきなりドアを開けて外に出ようものなら、大変な思いをさせられることになるというものです。
例えば、私の先輩は出張者を連れて移動している時にスピード違反で停車を命じられたのですが、作法を知らない出張者が「なんや?なんやねん!」と車の外へ出たためにお巡りさんは腰の銃を抜き、出張者も先輩も車のボディに手を付かされて厳重な取り調べを受けたということでした。
また、ある知人はカリフォルニアでアジア系逃走犯の疑いで停車を命じられて、何の抵抗もしないのに結束バンドで後ろ手に親指の根元を繋がれたそうで、こうなると身動きができなくなったと実感を込めて語ってくれたものでした。
これらは、アメリカが銃の所持を許されているということが根本にあり、お巡りさんもある意味命がけであることから起こる事象のようです。
とは言いましても、昨今のアメリカでおこっている警察官による傍若無人な行いはゆるされるものではありません。

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さて、路肩に停車して窓を開け、お巡りさんが横に来るのを待ちました。
お巡りさんも心得たもので、直ぐには近寄ってはきません。
懐中電灯でピカピカ照らしながらゆっくり近づいてきて、車内の様子を確かめた後、徐に「ドライヴァーズライセンスを見せてください。」とのたまわれました。決して「見せんかい!」などという乱暴な発言はなく、流石は住宅街を所轄する警察のお巡りさんらしく丁寧なのでした。
そして「時速30mphの道ですが、貴殿は40mphで走行されたので、スピード違反です。」と言い、運転免許証から私に関する情報を得て、1枚のピンク色の紙片を手渡されました。
所謂、日本でいう交通切符というものです。

その際に、自動車保険の証書も提示するように求められましたので、素直にそれをお巡りさんに差出ました。

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すると運の悪い事に、その自動車保険の証書に書かれていた有効期限が3日前に失効していたのです。
自動車保険にはちゃんと入っていたのでしたが、保険会社から新しい証書が送られてくるのが遅れていたのでした。
そのため、保険証書の不携帯ということで更に違反が成立し、2枚目の交通切符でした。
約10分ほどで解放されましたが、酒気帯び運転に関しては何の質問もなされませんでした。現在ではそのようなことはあり得ないことで、即刻ジェイル行きとなる事でしょう。
当時のHoustonの住宅街は悪質な事件も殆ど無く、おおらかだったようです。

因みに、1980年代初頭に住んでいた人の語るには、ある日軽く飲んだ帰りに信号で軽い追突事故を起こしたそうです。事故処理等が終わってお巡りさんが「貴殿は酔っぱらっているのではなですか?」と尋ねてきたので、隠すのはマズイと考えて素直に「イエッサー!」と答えたら「ソレハイカン。私が家まで送ってしんぜよう。私のポリスカーについてきなさい。」と言って家まで先導してくれたというウソのような話を聴きました。
ホンマかいなというところですが・・・。

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さて、後日のことです。
裁判所に出頭すべし、と認められた召喚状が送付されてきました。
内容は、私の権利についてと、罰金を払うか、あるいは裁判で無実を主張するか、無実を主張するなら5月3日に裁判所に出頭するようにと記載されていました。

あの夜の顛末と召喚状について秘書で生粋のテキサスガ―ルであるKD夫人に話をしますと、「スピード違反は仕方ないでしょうけれども保険証書の件について不服であるなら裁判所で申し立てれば良ろしうございます。」と言うのでした。
加えて、「裁判所に行って、あの時の警察官が裁判所に現れなかったら、あなたのペナルティは帳消しになるのです。それと、警察官が職務多忙で現れないことは往々にしてあるので、行ってみる価値はあるかもでございますわ。」などと言うのでした。

私も30歳代半ばで物事の判断は普通にできたので、「無罪は無いやろ~」と思ったのでしたが、一方でアメリカの裁判所を経験することは後にも先にも無い、あるいはあってはイカンと思いましたので、強い興味に惹かれて裁判所に行ってみることにしました。

ただし、裁判所での手続きがわからないので交通違反を経験したことがあるというKD夫人に尋ねますと、皆がするのと同じようにすれば良ろしうございます。」と教えてくれたのでした。
ただし、「罪を認めるならば「I am guilty.」と言って、後は皆と同じようにするだけでございます。」とも教えてくれたのでした。
なるほど、皆と同様に振る舞えばよいのであるな!、と納得したのでした。

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1989年5月3日、私はSpring Valley市の裁判所に出頭しました。
裁判所の中に歩を進めますと、私と同じように交通規則違反で何らかのペナルティを与えられた人達が20~30人集まっていて、被告人席には納まりきれないことから所謂傍聴席に座るよう案内されたのでした。
私は秘書のKD夫人からサジェッションされたように、先ずは皆さんがどの様に対応せれるのかを観察し、私もそれに従って対応できるよう後ろの方に座って観察を入念に行う心づもりを厳にしたのでした。

開廷時刻になり、裁判官と裁判所の人たちが所定の席に着いて裁判が始まりました。
さあ、当方の対応の方法についてマスターするぞ!と思った瞬間に、なんと最初に私の名前が呼ばれたのでした。
想定外の事態に、先ずは驚きましたです。
後で分かったのですが、名前がアルファベットの順番に告げられることになっていて、この日は運悪くAに近い私の名前から告げられたのでした。
しかし、ここは直ぐに気を取り直して起立しました。
とっさには言葉が出てこなかったことと私が明らかに外国人と判断されたようで、裁判長から「Do you admit you are guilty?」と答えを促されました。
元より無罪を主張するつもりはありませんでしたので、「I am guilty.」と答えますと、あっけなく審理は次の人に移っていったのでした。

そして、一通り審理が終わりますと解散となり、閉廷となったのでした。

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なお、この後は所定の罰金を支払うのですが、後日に「Behavioral Course in Traffic Education」という教育を受講するなら罰金の軽減措置があるということで、加えてアメリカの交通教育制度がどの様なものなのかに興味が惹かれましたので受講することにし、速度違反と保険証書携行違反についての罰金を支払って裁判所を後にしたのでした。

1img_20200711161501 「Behavioral Course in Traffic Education」の受講証書

そしてその日から約2ヶ月後、今から31年前の1989年7月22日に「「Behavioral Course in Traffic Education」を受講しました。
会場には20人程度の人が集まっていましたが、その殆どは若者でした。
最初にスライド(当時はパワーポイントなどありませんでした)で講義があり、次いで数人のグループに分かれてディスカッションが行われました。そこでは個々人が反省の念を込めて交通違反をしないための方策について自分の意見を述べなければなりません。今でも憶えているのは、私の発言についてティーンエイジャーのお姉ちゃんが「それ、良い言葉を使ってるねェ。」と言ったことでした。

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最後になりますが、Houston市はHarris群という行政単位の中の市でして広大なエリアを占めていますが、そのHouston市に囲まれてSpring ValleyというHarris群の一つである小さな市があり、正確には私はこのSpring Valley市の中で交通違反を2件同時にしていたのでした。

   

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2020年7月21日 (火)

小金井/ 燕 (飛行訓練)

1dsc_8701 とにかく摑まることのできた電線に降り立つ燕たち

一昨日は午後から雨が治まった様子になりましたので、4ヶ月ぶりにD800に広角ズームレンズ(16-35mm)を装着して散歩にでかけました。(遠目に見える燕の姿を撮影することになったので望遠ズームレンズにしておけば良かったのですが、往々にしてこういう巡り合わせになったのでした。)
すると、燕がヒューヒューと飛び交っては電線に留まっているのが見えました。

1dsc_8700 羽を広げてバランスをとる

これまでよく目にした燕の飛翔する姿は虫を捕えるために高速で飛び交うもので、電線に留まる姿は記憶にないような気がしています。
電線に留まる燕の様子を眺めていますと、カラスや雀のように一回のトライアルで電線を掴むことができないのも居るようでした。

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また、電線から飛び立っては辺りを一周して戻ってくることを繰り返しているようでした。

1dsc_8705 2羽で編隊飛行訓練か?

暫く眺めていますと、7羽いる中には嘴が黄色く見えるものが数羽いて、想像するに彼らは生まれて間もない子燕たちであるようでした。

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ということは、彼らは親燕に連れられて飛行訓練を行っているように思えてきたのでした。

1dsc_8709 最後は家族揃って一本の電線に集合

そして、最後は家族揃って一本の電線に集合できたのでした。
燕の子供たちが親に連れられて飛行訓練をしているという珍しい光景を見ることができたのでした。

   

2020年7月20日 (月)

USA/ Stamps COMMEMORATIVE EDITION (25th Anniversary of the First Moon Landing)

1img_0001_20200711143101 25th Anniversary of the First Moon Landing

NYのGrand Central駅の東側、Lexington Ave.の44thSt.と45thSt.の間に大きな郵便局がありました。
この郵便局がオフィスから歩いて5分程度の近さでしたことから、昼食の後などに立ち寄っていました。
その主たる目的は記念切手を贖うことでした。
流石にコストがかかりますことから発行される全ての記念切手は贖いませんでしたが、興味をソソラレタものは購入していました。
その興味をソソラレタ切手の一つがこの「25th Anniversary of the First Moon Landing」でした。

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人類が初めて月面に降り立ったのが1969年7月20日(米国時間)のことで、日本でも大々的に報道されました。
特にNHKで放送された映像と西山千氏の同時通訳は印象深いものがありました。
多分、多くの日本人が同時通訳に触れた最初の出来事だったように記憶しています。

なお、私はこの人類初の快挙に甚く感動して、このことが一面で報じられた数紙の新聞を駅の売店に買いに行きました。
そして新聞が劣化しないようにビニールの袋に入れて保管していました。が、大学入学以降生家をはなれたこともあり、今ではどうなっているかは不明なままです。
あの時から今年で51年が経ちましたが、地球に最も近い星である月ですらまだまだ未知のものなのですなぁ。

   

2020年7月19日 (日)

小金井/ 野川 (水生調査)、 栗

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昨日は午後から雨が治まりましたので野川方面に散歩に出かけました。
野川に至ると何やら賑やかで楽しそうな声が聞こえてきました。

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声の聞こえてくる方を見ますと、中学生くらいと思しき学生さんたちが川の中に足を踏み入れて上流に向かって歩いておられました。
想像いたしますに、野川の水生を調査されておられるようでした。
また、調査とはいえ皆さんは屈託なく楽しんでおられる様子で、つられてこちらの気分も明るくなったのでした。

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また、3週間程前に見た栗の毬は直径が1cmほど大きくなったように思えましたが、それは想像していたよりも小さいものでした。
ここのところの長雨で生育が遅れているように推察したのでしたが・・・。

   

2020年7月18日 (土)

Barbados (Caribbean)/ Stamps

1img_20200716154901 恐竜に烏賊の組合せは何か謂れがあるのでしょうか

Barbadosは1966年11月にイギリスから独立した国で、イギリス連邦の一国としてエリザベス女王Ⅱを元首とした立憲君主国だそうです。
したがいまして、上下二院の議会や行政を担う内閣があり、また独自の通貨や切手が発行されていました。
また、イギリス連邦の一国であったことからブルティッシュエアが運航していた超音速旅客機コンコルドが着陸するためにランディングギアを出してホテルの上空を低空で飛んだのは如実に記憶するところです。

1img_0001_20200716154901 紫陽花に近い品種の花でしょうか

私がBarbadosに滞在していた間に日本に絵ハガキを送ることを思い付き、ホテルで絵ハガキと切手を購入しました。
ここに掲載したのは使用しなかった切手で、持ち帰ったものです。
海に囲まれた国であることから海洋生物がデザインされていたり、あるいは南国の花がデザインされているものでした。

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通貨はバルバドスドルでBB$2に対してアメリカドル$1という固定相場になっているそうです。
また、紙幣の最小額面はBB$2だそうです。

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Barbadosにおいても他のカリブ海の島の時と同じようにのんびり過ごすことができました。
カリブ海の島々は私にとって実に居心地の良い場所でした。

なお、BarbadosからNYのJFK空港に戻って来た時のことでしたが、着陸寸前に乗っていたアメリカン航空の機内に機長からのアナウンスが流れ「着陸をやりなおす」と伝えられ、同時に機体は上昇を始めたのでした。

私が人生でGo Aroundを経験したのは後にも先にもこれ一回だけでしたが、余り気持ちのいいものではありませんでした。
この時、私は何時ものように靴を脱いで足を脱いだ靴の上に置いていたのでしたが、直ぐに靴を履き緊急脱出などの非常事態に備えたのでした。



事のついでに書いておこうと思うのですが、成田からLAに飛んだ際にいつものようにANAのB747のアッパーデッキの窓側の座席(この時は右側)に座り外を見ていました。
LAX空港にもうすぐ着陸する手前で見えるコンクリートの運河(?)が見えたタイミングで米軍の輸送機がB747の機体の直下を通過したのでした。
高度差は50m程度だったように思えましたが、もう少しあったかもしれません。
これは明らかにニアミスだと思いましたが、特にANA機は飛行姿勢を変えることなく飛び続け、何事も無かったかのように着陸したのでした。
機内ではアナウンスもなく、CAさん達の笑顔に見送られて機外に出たのでしたが、後日の報道でもニアミスに触れたものはなかったのでした。

もうひとつはコンチネンタル航空でNYのLGA空港からHoustonのIAH空港に出張から戻ってくる時のことでした。
夕闇せまる機外の景色を右側の座席から眺めていますと、いつもと違ってめちゃくちゃに低い高度で空港にアプローチしているのでした。
コンチネンタル航空は毎週のように乗っていましたので、現在の場所ではどれくらいの高度でアプローチしているのかはだいたい分かっていましたが、明らかに低い高度で機体の下を流れる樹木が随分近くに見えたもでした。
おまけにエンジン音や速度から判断して失速手前のような印象でした。
大丈夫かいな?と思い始めたタイミングでエンジン音が高音側にシフトしたのでスロットルを開いたというか全開にしたようなのが分かりました。
しかし、です。
機体は直ぐに反応することは無く、暫く下降を続けたのでした。
エンジン音は高まったものの機体は高度を下げ続けました。
感覚的には随分長く感じましたが、多分15~20秒くらい経過して漸く機体は力強くフルパワーで飛び始め、そのまま高度を上げることなく滑走路に着陸したのでした。
きっとパイロットは焦ったように推察しましたが、何もアナウンスはないままCAさんの笑顔に送られて機外に出たのでした。
この時は、翌日の新聞記事で重大事故が報じられるかもしれないと身構えたのは記憶に新しいところです。

   

2020年7月17日 (金)

Barbados (Caribbean)/ 海洋生物 (サンゴの砂浜)

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私がBarbadosを訪ねたのは1993年12月のことでした。
私の認識の中ではBarbados島はカリブ海に浮かぶ島々の中では最も東側に位置する島で、カリブ海の最東端にある島はどのような雰囲気に覆われているのか知りたいというのが訪問を決めた主たる要因でした。

NYのJFK空港からアメリカン航空機で4時間ほどかかったような記憶がありますが、定かではありません。
空港にに着きますとタラップが横付けされ、徒歩で空港ビルに向かいました。
空港ビルの前ではスティールドラム楽団の賑やかな演奏で迎えられたのはカリブ海情緒満載でした。

ただ残念なことに、写真のプリントもネガフィルムも何処かに散逸してしまっていて、帰米時のJFK空港で撮影したコンコルドの写真しか手元にありません。
後は全て記憶の中ということですが、その記憶も年々薄れていくという有様でです。

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さて、こうした状況の中、息子の本棚にBarbadosの海岸の砂がありました。
これはBahamaの時と同様にホテルか何処かの土産物店で贖ったもので、ビンの中に海岸の砂と水が一緒に詰められたものです。
海岸の砂はカリブ海の他の島々と同じようにサンゴの残骸や貝殻などが波の作用で細かくなったもののようです。

実際に海岸に出て見ますと、砂浜は若干褐色を帯びた色調になっていましたが、これは砂に含まれる褐色の粒子の影響のように推察するところです。

なお、不思議なことにビンの水は27年ほど経過した現在でもほぼ元の量のまま残っているようです。

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2020年7月16日 (木)

St.Thomas (Caribbean)/  Sharlotte Amalie、 Duty Free Shop

1img_0009_20200716134701 US Coast Guard

St.Thomasはアメリカがデンマークから買収して保護領にしているVirgin諸島の一つで、自治政府が置かれています。
自治政府のあるShalotte Amalieは島の中央部の南西にある湾に面していて、そこにはアメリカのCoast Guardの船舶が停泊しているのを見ることができました。

1img_0012_20200715164701 クルーズ船(背景はターナーの絵のような雲)

また、St.Thomasは他のカリブ海に浮かぶ島々と同様にカリブ海クルーズ船の訪れる観光地で、湾には多くのクルーズ船が停泊しているのでした。

1img_0008_20200715164601 ショッピングゾーン

そして、Shalotte Amalieのショッピングゾーンには多くの免税品店が軒を連ねていて、クルーズ船から降りた観光客が観光やショッピングで訪れていました。
私は、それらの免税品店の一つである酒販店で「Tullamore Dew」というIrishウィスキーと「Goo Goo Cluster」というハードリカーを贖いました。 
今敢えて考えますと、カリブ海のラム酒を買っておけば良かったと思うところですが、ラム酒はべらぼうに安いので買わなくてもよかったのかもしれません。
また、あるいは葉巻や高級酒を買っておけば良かったのかもしれませんが、時既に遅し!というものです。
因みに、前述の通りSt.Thomasはアメリカ領ですからアメリカドルが使えるのでした。

1dsc04323 Tullamore Dew

なお、「Tullamore Dew」を買ったのは、その陶器の入れ物に惹かれたことが主たる要因でした。
この「Tullamore Dew」は未だ飲まずに保存してありますが、中身がどうなっているのかは神様のみが知り給うという状況です。

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1dsc04345 Goo Goo Cluster

一方、「Goo Goo Cluster」はいささか面妖なお酒でして、生産されたのはテネシー州、ボトル詰めされたのがマサチューセッツ州で、私が購入したのがSt.Thomas、そしてNYに持って帰って、現在は東京にあるという地球を半周ほどした数奇な運命のお酒です。
記憶が定かではありませんので、このお酒を飲んでしまったのか、はたまた保管しているのかは、保管場所を確認すれば分かるというものですが、面倒くさいので宿題にしておきます。
将来、このお酒の感想を書きましたら今日の時点では保管していたということになります。また、書かなかったらミステリーのままということになり、そのままこのブログが途絶える日がくるということになるのでしょう。

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2020年7月15日 (水)

St.Thomas (Caribbean)/ 海洋生物 (サメの口蓋)

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カリブ海に出掛けますと、どの島々も観光地(一部はTax Heavenの場所もありますが)であることから土産物店が沢山あります。
そして土産物ですから、島の名前が記されたTシャツや帽子だけでなくその土地に固有のものが店に並べられています。
その固有のものの一つが「サメの口蓋」でして、西はバハマ、東はバルバドスまでどの島でも「サメの口蓋」が売られているようでした。

私が1993年12月に訪ねたSt.Thomas島で購入した「サメの口蓋」は子サメのもので幅が10cm程の小さなものです。
小さなものとはいいましても、ちゃんと鋭い歯が並んでいてこれに噛まれたならばかなりの怪我をすることは必定でしょう。
また、店では幅が50cm以上のものも置いてありましたが、価格もかなりな額であるうえに持って帰るのに苦労しそうでしたので眺めるだけにしておきました。

   

2020年7月14日 (火)

Bahama (Caribbean)/ 海洋生物 (サンゴの砂浜)

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カリブ海の島々では、島の北側あるいは北東側は入江でなければ大西洋の荒波に洗われて断崖になっているか、あるいは洞窟のある岩場になっていることが多いです。

一方で、島の南側はサンゴなどの残骸が砕けたものが堆積した砂浜になっていることが多いです。
この砂浜に沿ってリゾートホテルが立ち並び、ホテルの前の浜はホテルのプライヴェートビーチとして整備されています。

そして、カリブ海のどのリゾートホテルに行きましても、そのギフトショップでは島の風景をデザインした容器に浜辺の砂を入れて結構良い価格で販売しています。

ここに掲げたのは、ホテルのギフトショップで贖った「Bahamaの浜辺の砂」、即ちサンゴ等の残骸が波で現れて細かくなったもの、です。

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「Bahama」の砂浜は他のカリブ海諸島のものよりも赤みを帯びているということで有名であったように記憶しています。
拡大してみますと、確かに赤褐色な粒が散見でき、そのことを裏付けているようです。
因みに、帰りの飛行機の窓から砂浜の写真を撮りましたが、赤みを帯びていたことは記憶するところです。
ただし、冒頭でも述べましたように、その写真のプリントもネガも行方不明になっていて、ここに掲載することが叶わないのが残念至極です。

   

2020年7月13日 (月)

Bahama (Caribbean)/ 海洋生物 (Conch)

1dscn8493 Conch貝の殻

日本ではカリブ海と聞きますと「海賊」を真っ先に思い浮かべる人が多いようですが、それはアメリカでも同様でした。
また、知人で酒好きのアメリカ人は「ラム酒」を思い浮かべるようですし、少し知識の広い人は「サトウキビ」も思い浮かべるようでした。
また、最近では「Tax Heaven」の島を思い浮かべる金融関係者も居られるようです。

私がアメリカに居りました当時は、日本人に限らずアジア系の人がカリブ海に浮かぶ島々を訪ねたという情報は余りなかったようですし、実際にカリブ海では私が訪ねたタイミングでは見かけたことはありませんでした。

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私が初めて訪ねたカリブ海の島は「Bahama」で、それは1989年12月のことでした。
「Bahama」へはその首都である「Nassau」へヒューストンから直行便が運航されており、楽に移動できました。
トータルで一週間滞在しましたが、当時は今のように写真を撮りまくっていた訳ではありませんでした上に、その後の写真の保管管理がヨロシク無くてネガもプリントも多くが散逸してしまっており、掲載できないことに忸怩たる思いでいます。

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さて、「Bahama」はまさに観光の島ですので、訪ねる先々ではマーケットがありいろいろな物が売られていました。
「Conch」という巻貝の殻もその一つでした。
また、港の波止場では「Conch」貝の先端の巻いた尖った部分に穴を開けて日本の法螺貝のようにブオォォォ~~~と吹き鳴らす光景があちらこちらで見ることができましたが、これは観光の演出というものでした。

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因みに、「Conch」と書いて、発音は「コンク」となります。
「Conch」は大きな巻貝でして、よく目にしたのは長方向が30cmほどありました。
その用途は主に食用で、私が食べたのはバターソテーとフリットが多かったように記憶しています。
また、ここに掲げた写真のように殻がお土産として販売されていました。

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写真の「Conch」は「STRAW MARKET」という賑わっている市場の「Conch」や貝殻などを専門に商っている店で贖ったものです。
残念ながらその価格は忘れてしまいましたが、私が買ったのですから$20以下であったと確信するところです。

1img_0009_20200713062001 手にしている紙袋にConchの殻が入っています(肩にかけているのはカメラバッグ)

その店にはアメリカなら中学生か高校生くらいと思える女の子が店番をしていて、お薦めしてくれる「Conch」貝の殻の一つをいただきました。
このお嬢さんに支払いを済ませ、お願いをして一緒に写真を撮らせていただきました。
とてもおとなしい清楚なお嬢さんでした。

   

2020年7月12日 (日)

Galveston(TX)/ 海洋生物 (アシナガサンゴ)

1dscn8034 アシナガサンゴ

あれは確か1992年の3月頃のことだったと思います。
M社の研究開発のトップであるYF専務が米国の巨大化学会社の一つと協議されるためにHoustonに来られました。

YF専務は京都大学の農学部の助教授で将来は教授の道が約束されている人でしたが、M社に今でいうヘッドハントで来られた人でした。
M社に来られる以前はバイオケミカルの世界では多くの実績を積まれていて、各種の賞を受賞されていました。
YF専務のM社における業績の一つは、バイオケミカルの知見を活用されてシコニンの生合成を事業レベルで成功させられたのでした。

シコニンというのはムラサキ科の植物であるムラサキの根から抽出される成分で、毛細血管の再生促進効果を活かした薬剤やそのムラサキ色を活かした染料として使われてきましたが、天然由来であったことからその生産量は少ないものでした。
しかしながら、YF専務による研究開発の成果として、大量生産が可能となったのでした。
YF専務は、このことからも世界中の学会・業界から表彰を受けられたのでした。

そのTF専務のHouston出張においてアテンドをする機会に恵まれたのは望外の喜びでした。

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さて、そのYF専務の時間が空いた午後にHoustonをご案内することになり、ダウンタウンから3時間ほどでコロニアル風の街とメキシコ湾を見て戻って来れるGalvestonをご案内しました。
記憶が朧気ですが、NASAは余り興味が無いと仰せになったこともGalvestonを選んだ理由だったと記憶するところです。

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そして、Galvestonの街を通り、メキシコ湾に突き出した突堤でメキシコ湾の海を眺めた後、砂浜に沿ってならぶカフェ兼ギフトショップで飲み物を飲みました。
その後、YF専務はギフトショップを少し見て回られました。
そして、突然でしたが「君に何かプレゼントしよう!」と仰ったのでした。
既に我オフィスにお出でになった時に多量のお土産をいただいていましたので最初は固辞させていただきましたが、再びそういうお申し出をいただいたので、ありがたくお受けすることにして、このサンゴを買っていただきました。
M社えでは、出張して来られた役員さんに食事をごちそうになることはよくあることでしたが、何かを買っていただくということは希有なことでした。
価格は$10はしなかったと思いますが、私にはなかなかの逸品です。

写真では2つになっていますが、購入時は一体でした。
引っ越しの際に割れてしまったようです。
手に触れますと硬いカルシウムでできたような手触りが感じられます。
先端部の薄い部分に至ってはマイセンのティーカップの縁を連想させられる薄さと強靭さとデリケートさが感じられるのでした。

なお、アシナガサンゴと書きましたが、実は名前が分からなないのでYA氏に相談しましたら「サンゴ 標本 写真で調べたらいかがジャ。」との返事をいただき、早速調べたのでしたがドンピシャの物が無く辛うじて似ていたのがアシナガサンゴでしたので、そう書かせていただいた次第です。請うご容赦です。

   

2020年7月11日 (土)

堺/ 古墳 (出土品)

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私は19歳で初めて生まれ育った堺の街を離れて京都で下宿暮らしを始めましたが、その頃までは近所にある天皇陵の外堀の淵辺りには自由に出入りできたように記憶するところです。
ただし、もっと以前に立ち入り禁止になっていたような記憶もありますが、少なくとも中学生の頃まではお堀の淵の松の木の根元に座って景色を眺めることはできていました。

その頃は、周辺に建てられた家の数は少なく、場所によっては畑となっている処もあり、そこでは父に連れられてギンヤンマを獲りにいったものでした。

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さて、私が多分小学生でそれも低学年の頃でしたが(55年程前)、その畑の処で見つけたのが小さな像でした。
私は、これは天皇陵からの出土物ではないかと考え、その夜に父に見せましたが余り興味を示すことはありませんでした。
子供にとって大人、それも父親の意見や見解は大層影響力を持つものですが、父が興味を示さなかったことで私の興奮も次第に冷めたのでした。
その後暫くは大事に保管していたのでしたが、大学に入って京都に移ってからはいつの間にか忘れてしまっていたのでした。

そして、数年前でしたが母がふと思い出して手渡してくれた缶に私が中学生の頃までに集めた雑多なもの(バッジ、キーホルダー、など)が入っていて、その中にこの小さな像も含まれていました。
これも何かのご縁と思い、大切に保存しておこうと考える次第です。

   

2020年7月10日 (金)

チャレンジ/ カレーラーメン

1dscn8439 生協の「こくと旨みの中華そば しょうゆ味」と「牛肉の旨味が溶け込んだ ビーフカレー」

ここのところ、といいましてももう既に6ヶ月となるでしょうか、散歩も含めて出歩くことが著しく減りました。

従いまして、頭の劣化を少しでも遅延させるベく行っているブログにつきましてもネタが枯渇する事態となっています。

昔の出来事で興味のあったことについて記述するのも一興かと思っていますが、いかんせん整理整頓が悪く適当な写真がでてこないでいることからなかなか掲載させていただくまでには些か時間を要することになりそうです。

そこで、今日は一計を案じまして、予てよりチャレンジしてみたいと考えていました「カレーラーメン」を作ってみることにしました。
ここで使いましたのは、生協の「こくと旨みの中華そば しょうゆ味」と「牛肉の旨味が溶け込んだ ビーフカレー」です。

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先ずは鍋でお湯を沸かし、そこでレトルトの生協の「牛肉の旨味が溶け込んだ ビーフカレー」を温めました。
次いで、生協の「牛肉の旨味が溶け込んだ ビーフカレー」のレトルトパックを引き上げた後のお湯に「生協の「こくと旨みの中華そば しょうゆ味」の麺を投入し、程良く煮えたところで粉末スープを投入して適宜かき混ぜた後、丼鉢に移しました。
なお、レトルトの外側はお湯に投入する前に入念に洗っておいたことはもちろんのことです。

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そして、生協の「牛肉の旨味が溶け込んだ ビーフカレー」を開封し、丼鉢に治まった生協の「こくと旨みの中華そば しょうゆ味」の上にかけまわしました。
これで所謂カレーラーメンの出来上がりです。

そして、箸を手にして徐に食べ始めました。
良い味です。
ほんの数分で食べおわりましたが、塩分は合計で8gほどあるようで一日の適正塩分量をこれ一食で超えてしまったようです。

なお、今回はスープにしたお湯の量が多かったようで、カレーが麺に絡まる量は存外に少なくなり、後追いでスープを口に送り込むことが必要でした。
将来、万一カレーラーメンを作る機会がありましたら、注意するポイントです。まさに失敗は成功の基というものです。

   

2020年7月 9日 (木)

堺/ 世界遺産 百舌鳥古市古墳群 (記念切手)

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今日は急ぎの所用があって郵便局に出向きました。
そして、所用を終えて支払いのタイミングで釣銭を待っていましたら、窓口の傍に並べてある記念切手シートの一つがふと目に入りました。
良く見ますとそれは「世界遺産シリーズ 第3集 百舌鳥・古市古墳群」の切手シートで、私の生家が近くにある天皇陵の切手も含まれていました。
そこで、「世界遺産シリーズ 第3集 百舌鳥・古市古墳群」の切手シートを躊躇せずに購入した次第でした。

家に帰って良く見ますと天皇陵や埴輪の絵が描かれた切手が10枚ありました。
以前にリリースされた「百舌鳥・古市古墳群」の切手シートは写真ヴァージョンでしたことから我生家を見ることができましたが、今回のには描かれていませんでした。
少しですが残念な気分です。

   

2020年7月 8日 (水)

小金井/ 東京都知事選挙 (選挙ポスター) [2020]

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7月4日に都知事選挙が実施されました。
立候補者は22人と過去最高の数ということでしたが、前回は21人で一人増えたようです。
それぞれの候補者の方々は都政に対する崇高なる志をもって立候補されたものと信じたいところですが・・・。

さて、小金井市は有権者数が約10万2千人ほどのようで、それを候補者がどのように評価するかは与かり知るところではありませんが、私が居住するエリアに限りますと候補者によっては選挙ポスターでアピールすることをしない人たちも居り、その数は10人を数えました。
その良し悪しは敢えて論じるところではありませんが、候補者としての存在感は希薄であるような印象を持ったのでした。
因みに、前回2016年の都知事選挙では8人で今回は10人というのは、特定の候補者の圧勝を予測した結果なのかあるいは資金力の限界によるものなのかなどと推測を巡らせています。

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2020年7月 7日 (火)

小金井/ すき家 武蔵小金井南口店 (牛丼 並 弁当)

1dscn8421 龜屋本店には七夕の飾り

今日は七夕です。が、疫病コロナのせいでこのような七夕になるとは誰が想像したことでしょうか。
早く終息することを切に願うのみです。

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ところで、過日のことですが、左足の小指を我部屋の柱に打ち付けてしまい、その翌日から内出血で薬指のゾーンまで紫色になりました。
そうは言いましても次第に痛みも和らぎ内出血も治まったことから余り気に留めないでいたのでしたが、ずっと鈍痛が継続したままなので今日整形外科医院を訪ねたのでした。
そして、診断の結果は骨折は無く打撲による痛みであるということでしたので、時々痛みが走るのを我慢すれば特に配慮する必要もなく普通の生活を自信をもってできるようになったのでした。
なお、小指を柱に打ち付けたのは、足をストレートに前に踏み出さないで、チンピラの如く一旦横方向に円を描くように動かしているからなのかもしれないと反省するところです。

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さて、整形外科医院を出た後時刻は12時半を回っていましたので、何か食べ物を買って帰ることにしました。
そこで、目に着いたのが「すき家」で、最もスタンダードな「牛丼」の並を購入しましたが、なんと価格は350円なのでした。
一昔前なら、価格破壊の核弾頭、的な表現がなされるというものです。

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約40分ほどかけて持ち帰った「牛丼」は、朝食がヨーグルトとグラノラであったことから既に空腹になっている胃袋に向けてかなりのハイペースで送り込んだ次第でした。


   

2020年7月 6日 (月)

セブンイレブン/ 焼きそばパン、 おにぎり

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昨日は東京都知事選挙の投票日でした。
午前の11時前という頃合いでしたが、まだ人の出は左程ではないものと思って投票所に向かいました。
すると、予想に反してかなり長い列ができていました。
これが食べ物屋の列であれば直ぐに踵を返すところですが、選挙となるとそうもまいりません。
そこで、列の末尾に並び、漸く投票を終えたました。
が、そのタイミングで無性に「焼きそばぱん」を食べたくなり、家に向かわずに最寄りのセブンイレブンに歩を進めたのでした。

セブンイレブンでは数種類の調理パンが売られていましたが、初志貫徹で「焼きそばパン」を手に取りました。
しかしながら、「焼そばパン」1個では空腹がみたされることはありませんので、おにぎりのコーナーに行き「鶏そぼろ卵黄」というのを取りました。

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そして、家に帰って正午の時報と共に、先ずは焼きそばパンの袋を開けました。
中からは期待に違わぬ艶やかな光沢を放つ焼きそばを挟んだコッペパンが現れました。
そして、左側の末端に大きく開けた口を寄せ、ガフリと噛みつきフニュフニュフニュと咀嚼を繰り返しました。
そうしますと、口腔内では、ソース、焼きそばの加熱された小麦粉の旨味、発酵した小麦粉が焼かれることによって発現するパンの旨味、がそれぞれのクラスタを保ちながら次第に一体化していき、その過程で生じる味わいの変化が忘我の境地に誘うのでした。

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焼きそばパンを食べ終え、おにぎりを手にしました。
このおにぎりは、「大きなおにぎり 鶏そぼろ卵黄」というもので、サブタイトルとして「大きな」という言葉が添えられており、かつ中身は今まで食べたことのない「卵黄」というものが使われているものでした。
先ずは包のフィルムを剥がし、おにぎりの底辺中央部から垂直に手で開きますと、中には卵黄でしょうか黄色いトロリとした部分が見え、そこに鶏そぼろが一緒に配されていました。
先ずは黄色いトロリとした部分を目がけて噛みつきますと、卵黄というか安いチェーン店の寿司店で出てくるウニのような味がしました。
ここに濃い目の醤油味がついた鶏そぼろが絡んできて、これはこれで結構な味わいとなっていました。

   

2020年7月 5日 (日)

小金井/ 松のや 武蔵小金井店 (ロースかつ丼 弁当)

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先日、所用があって武蔵小金井駅周辺に出掛けました。
この日も一人で昼食ということでしたので、駅北口側の商店街にある「松のや」でテイクアウトしました。
「松のや」でのテイクアウトは初めてでしたので、最もスタンダードな「ロースかつ丼」を選択しました。
が、例によってタッチパネルディスプレイでの注文であったことと、かつ丼カテゴリの表示が小さかったことから操作を2回やり直し、漸く3回目で成功しました。

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注文を終えて向かいのビルにあるダイソーでジョウゴ(漏斗)を購入してから戻りますと、出来上がった品をお姉さんが丁寧に手渡してくださいました。

40分ほどかけて持ち帰り、プラスティックバッグから取り出しますと、黒地に蒔絵の紅葉を模した蓋が目に飛び込んできました。
持ち帰りの弁当箱にこういう配慮をするのは結構なことでして、食べる方としてはなんとなく気分が良いものです。
しかしながら、簡易弁当箱の調達コストを考えると、こういうデザインの物の方が仮に1円コストアップになると仮定しますと、年間に何百万円かのコスト負担になります。マーケティング部隊が費用対効果を考えてのことでしょうからそれ以上に売り上げ増が期待できることでしょうけれども、気になるポイントでした。

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さて、蓋を取りますと、ロースかつ丼が現れました。
なかなか良い感じで玉子が絡んでおります。
横からロースかつのカット面を眺めますと肉自体の厚みが1cmほどもあり、また持って帰るまでの時間の効果で衣が得も言えぬしっとり感を呈しています。
徐にロースかつの中央部にある一切れを取り上げ、その半分ほどをいただきました。
最初の一噛みで衣から甘塩っぱい収斂性のある旨味が広がり、次いで繰り返した咀嚼によってロースの旨味が広がりました。
ここに丼つゆが馴染んだご飯を送り込みますと、玉子の旨味を伴った丼つゆの収斂味とご飯の甘味がハーモナイズして、結構な味わいとなったのでした。

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なお、家で気付いたのですが、プラスティックバッグに「お弁当値引き定期券」と「マル得サービス券」というのが入っていました。
あの丁寧なお姉さんが忘れずに入れてくれたもののようです。
まず「お弁当値引き定期券」ですが、「唐揚げ10個が500円」、「厚切りロースかつが1,000円」、あるいは「かつ丼+かつ丼+味噌かつ丼が1,150円」などと超魅力的な価格が記されています。
一方、「マル得サービス券」では「コロッケ」あるいは「ポテトサラダ」などが無料と記されています。
おまけに「お弁当値引き定期券」も「マル得サービス券」も11月30日15時まで何回でも使えるという太っ腹なことです。
ただ残念なことに、我が家ではテイクアウトは私一人しか食べません上に私自身の食べる量が格段に減っていますので、「お弁当値引き定期券」と「マル得サービス券」は使う機会はないでしょう。
もし今から20年前であれば「かつ丼+かつ丼+味噌かつ丼」は挑戦したと確信するところですが。

   

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2020年7月 4日 (土)

USA/ 独立記念日 (United States Bicentennial Silver Uncirculated Set 1776-1976)

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今日は7月4日、アメリカでは独立記念日です。
が、現下の新型コロナウィルスが蔓延している状況下では祝賀ムードも控えめになることでしょう。
一日も早い終息を願うところです。

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アメリカが独立を宣言したのは1776年7月4日のことでしたが、それから200年の記念行事が1976年の全米各地で盛大に行われたということです。
その行事の一環として、記念硬貨が発行されています。
その硬貨の種類は¢1、¢5、¢25、¢50、$1の通常硬貨(銅・ニッケル合金)だけでなく、素材としては金や銀、価格としては$100のものまで様々な硬貨が発行されているようです。

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現在、私の手元にある記念硬貨は¢25、¢50、$1の通常硬貨(銅・ニッケル合金)です。
これらの3つの硬貨は真空包装されたもので、簡単な説明書が一緒に添えられていました。

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これらの硬貨を入手したのは1989年3月11日のことで、NYのJFK空港に日本からの出張者をピックアップに出向いた時のことでした。
出張者のピックアップというのは存外にしんどいもので、その時のジェット気流の方向と強さによってはフライトが到着スケジュールよりも1時間程度早くなることもあり、その一方で逆に遅くなることもままありました。ということで、空港には少なくとも1時間半ほど前には着いているということがルーティン化されていました。
当時はネット情報などだれも想像すらしていない頃で、そういう状況では空港に行って到着ロビーにあるデジタル表示(とはいっても黒い薄板がパタパタパタと音を立てて変わって行く)の表示板に出る到着便の到着予定時刻を見て、初めて早く到着するのか遅れて到着するのかが分かるというものでした。
この3月11日のフライトは1時間ほど遅れて到着するという状況でしたので、JFK空港内を見て回ることにしたのでした。

その際に、$100のトラヴェラーズチェックを現金化しておこうと考えて、立ち寄った両替商で見つけたのが上記の記念硬貨だったのです。
両替商とはいいましても、本業が記念硬貨を扱う店で、両替は副業的でした。
両替手数料は$3取られたのでしたが、3%の手数料とは随分と高額であると内心不愉快であったことは今でも記憶に残っています。
また、このことは当時のレシートがあったので、確認しましたが$3でした。
因みに、記念硬貨のセットは、$17.95+Tax($1.48)でした。
当時も今も、高かったのかはたまたリーズナブルであったのか、分からないままです。

   

2020年7月 3日 (金)

薬味/ 青山椒、花山椒

1dscn8365 青山椒、花山椒

先日、立川の陳健一麻婆豆腐店に立ち寄り麻婆豆腐をテイクアウトしたのでしたが、その際に同店のテーブル上に置かれている「青山椒」と「花山椒」を贖いました。
これらは「陳建一麻婆豆腐店」ブランドのものではありませんが、同店に置かれているということでそれなりのステイタスは存分にあるというものです。
また、販売元の三明物産の代表者が陳建軍氏という人で、同社のHPにも陳建一氏のコメントが掲載されていることから、縁戚関係はないということですがビジネス関係はあるようです。
なお、価格はそれぞれ40gがミルに入れられたもので1,150円と決して安くはありませんが、実際に使ってみるとそれなりの価値は十分にあるというものです。

1dscn8367 青山椒、花山椒

持ち帰った同店の麻婆豆腐にギリギリゴリゴリと回しかけていただきましたが、やはりその存在感は抜群でした。
とはいえ、家で四川料理というものにお目に架かる機会はありませんが、何かの折りに活用できることでしょう。

1dscn8389 青山椒

なお、「青山椒」と「花山椒」のそれぞれを取り出して一粒を味わってみました。
まず「花山椒」ですが、その香には鼻腔の奥まで清められるようで、清酒に例えるならば大吟醸酒のような清澄な香が感じられました。
また、噛んでいますと噛んだ奥歯に触れる舌のサイド部分には得も言えぬ爽快感に続いてヒリヒリ感が広がりました。
一方「青山椒」はヒリヒリ感に続いて痛みに近い感じが広がり、次第にではありましたが唇までが痺れはじめたのでした。
これは些かイカンと思って水で口腔内を濯ぎましたが、どうやら成分は水溶性ではないようで濯ぎの効果は殆どなく口腔内での拡散は続き、痺れ感は収まるどころか激しさを増していったのでした。

そこで、幸い夕食前でしたのでシャワーを浴びることにし、体よりも口に向かってシャワーを当て続けること10分、漸く痺れは治まったのでした。


そういえば、学生時代に化学の先生から知らない薬品には無暗に触れたりあるいは他の薬品と混ぜ合わせたりしないよう注意喚起があったものでしたが、うっかりそのことを忘れていた次第でした。

1dscn8388 花山椒

   

2020年7月 2日 (木)

立川/ 陳健一麻婆豆腐店 (麻婆豆腐 お土産)

1dscn8358 陳健一麻婆豆腐店

昨日は急な用件があり、立川まで出掛けました。
サッと行ってサッと用件を済ませ、サッと帰ってくるつもりでしたが、折角立川まで来たのならということで、「陳健一麻婆豆腐店」に立ち寄って麻婆豆腐をテイクアウトしました。

注文をしますと、当店ではテイクアウトのことを「お土産」と称されて厨房へ伝えられました。
これは店で食べた人が「瓜食めば子供思ほゆ」という心境で、「自分だけが美味しい麻婆豆腐を食べてはいかん、土産で持ち帰るだす。」ということでお土産にする人が多い事からこうなったのでしょうか・・・。
そういえば砂防会館の本店でも顧客接待のお土産の月餅とともに麻婆豆腐もこのように「お土産」と称されていたような朧気なる記憶があるような、ないような。

1dscn8364 麻婆豆腐

さて、家に持ち帰りますとまだ人肌以上に暖かい状態でしたが、電子レンジで温めなおして、ご飯とともにいただきました。
何故に電子レンジで温めなおしたかといいますと、他に適当かつ簡便な方法がなかったのと、午後1時を過ぎて空腹に耐えれなかったことが主たる理由です。

因みに、私は冷凍食品の解凍(湯煎できるものは湯煎でします)以外に電子レンジを使うことはめったにありません。それは、料理に温度や湿度のムラが生じるからで、如何に新型の電子レンジでもこういうことは微妙にアカンのです。
ましてや、燗酒では電磁波が照射されることで分子レベルに振動が高まり(=温度が過度に上昇し)、電磁波の照射を受けた分子の極性基近傍にある清酒の芳香成分が破壊されてそれが雑味や臭気になるからです。また、それ以上に温度のコントロールムラは許せんものがあります。
やはり燗はお湯で静かに温めるということが基本と思料するところです。
したがいまして、それ相応の料理屋でチン酒が出てきたりしたら、その店には二度と行かないということになります。

1dscn8369 麻婆豆腐

さて、電子レンジで温めなおした麻婆豆腐は、先ずそのままいただきました。
なかなか良い味ですが、若干ですが麻婆豆腐に固有のインパクトが足りません。

1dscn8365 青山椒、花山椒

そこで、併せて購入した「青山椒」と「花山椒」をゴリゴリギリギリとミルからたっぷり振りかけていただきました。
このことによって香も味もグッと引き締まり、さらに美味しくいただいたのでした。

   

2020年7月 1日 (水)

小金井/ 遺跡 (荒牧遺跡)

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先日、ふらりと散歩に出たのでした。
野川から貫井神社方面を目指して歩いておりますと、行く手が道路工事となっていました。
案内のお兄ちゃんに尋ねると、今は歩行者も通り抜けできないので遠回りになるが迂回路を行って欲しいとのことでした。
多くの場合は作業中でも横をソロリと通らせてもらえるのですが、若い案内係のお兄ちゃんでは工事現場のおっちゃん達に遠慮があるようで、顔が懇願モードになっていました。
心の中ではシャ~ナイナ~ァと思いつつヨカヨカ、ウカイシマショウという顔でお兄ちゃんの指さす方に歩いたのでした。

すると小さな公園の前に至りました。
へ~ぇ、ここにも公園があるんじゃねェ、と思いつつ看板を見ますと、そこには「荒牧遺跡」と書かれていました。

書かれている文章を読み進めますと、ここで先土器時代(1万~3万年前)の石器や縄文時代(4~5千年前)の住居址が2軒見つかったそうです。

野川の近くにこのような遺跡があったとはつゆ知らずでした。

   

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