« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »

2020年6月

2020年6月30日 (火)

冷し中華

1dscn8295 

なかなか梅雨明けには至らず、連日蒸し暑い日が続きます。
おまけにマスク着用で歩き続けますと息苦しいことこの上無しですが、老いの身に鞭打って姿勢を正して歩きますと何やら目まいに近い状態になります。
これをウォーキングハイと勘違いしないようにしないとならず、万一道端で気を失いでもしようものならコロナ感染を疑われて想像を絶する処置を受けたり、医療関係者に迷惑をかけてしまうことになります。

1dscn8297

こういう状況では、アイスキャンディをペロペロしてサッパリするか、はたまた心身ともにリフレッシュされる食べ物でも食するか、とうことが脳裏をよぎるものです。
過日は機会があってセブンイレブンの「冷し中華」を食べました。
会社勤めを終えてからは、あまり口にすることが無くなった食べ物ですが、久しぶりにいただきますと、その冷え具合、酢醤油タレのサッパリ感がヨロシク、あっという間に食べ切っておりました。

1dscn8300

余談ではありますが、私は「冷し中華」という食べ物を20歳の夏まで知りませんでした。
20歳の夏といいますのは、武徳殿で京都学生弓道の試合があったのでしたが、その時の昼食で先輩と一緒に入った町中華の店で食べたのが人生初の「冷し中華」でした。
その時までは、「冷し中華」という言葉も料理も知らなかった訳ですから先輩の注文に合わせて中身も知らずに同じものを注文したのでした。
そして、食べましたが、憶えているのは辛子がメチャクチャに辛いということだけです。
当時は私も純真な学生であったのでした。

1dscn8301 錦糸玉子、茹で卵、ハム、ワカメ、キュウリ、紅生姜(時計回りに)

   

続きを読む "冷し中華" »

2020年6月29日 (月)

小金井/ 天丼てんや 武蔵小金井店 (天丼弁当・ご飯大盛+あさりといかと紅しょうがのかき揚げ)

1dscn8280 天丼てんや 武蔵小金井店

先日、所用があって武蔵小金井駅周辺に出掛けました。
この日も一人で昼食ということでしたので、南口ロータリーの前にある「天丼てんや」に行って天丼を持ち帰ることにしました。

店を訪れたタイミングが12時までに若干の余裕がある時間帯でしたので、幸いと言いましょうか店内は2~3人ほどのお客で占められているだけでしたし、注文カウンターの前には並ぶ人は居られませんでした。

1dscn8276 メニュ

この日は、別オーダーでかき揚げを入れてもらうことにし、最近復活したという「天丼弁当」に「あさりといかと紅しょうがのかき揚げ」を追加で盛りつけていただくことにしました。
また、かき揚げが加わりますとご飯の量的バランスが崩れるものと推察し、ご飯を大盛にしていただきました。

因みに、「天丼弁当」が500円、「あさりといかと紅しょうがのかき揚げ」が180円、ご飯の大盛が180円、という価格構成で総額が760円でした。
これは素材の構成を念頭に置きますと、私的には実に満足度の高いものとなったのでした。
といいますのは、人によって価値観は異なりますので一概には断定できませんが、前回テイクアウトした「上天丼弁当」が海老が2本でその他の食材が野菜系であったことを考えますと、今回の「天丼弁当・ご飯大盛+あさりといかと紅しょうがのかき揚げ」はいかと鱚というたんぱく質系食材がメインになっている上に「あさりといかと紅しょうがのかき揚げ」が加わったことで味の幅が広がったからです。おまけに価格は10円アップだけでしたのは印象的にも良いものがありました。

(参考情報)
 ◆天丼弁当 :海老、いか、白身魚、かぼちゃ、いんげん
 ◆上天丼弁当:海老2本、れんこん、かぼちゃ、いんげん

1dscn8279 電子マネー決済、消毒液スプレー

さて、注文を終えて消毒液で手の平と甲、手首をスリスリしてから、交通系電子マネーで支払いを済ませました。

1dscn8284 天丼弁当・ご飯大盛+あさりといかと紅しょうがのかき揚げ

出来上がった「天丼弁当・ご飯大盛+あさりといかと紅しょうがのかき揚げ」を持ち帰り、蓋を開けたのは約40分後のことでした。
この40分という時間の作用によって丼つゆが衣とご飯に程良く馴染み、ご飯の蒸気によって全体がまったりとした状態になっていました。

先ずは海老からいただきました。
次いで、「あさりといかと紅しょうがのかき揚げ」をいただきましたが、食材であるあさりとイカの存在感がヨロシク、また点在する紅生姜の収斂味が程良いアクセントなっていて、予想外に結構な味わいでした。
次回も「てんや」に立ち寄る機会があれば「かき揚げ」は必注のアイテムとなることは想像に難くありません。

   

2020年6月28日 (日)

鍾乳石 (4)

1img_0008_20200624145001 

この鍾乳石は青色を呈しており、その成分は銅(Cu)と硫黄(S)の反応した化合物が主成分であると推察しています。
私がこれまで見てきた鍾乳石は鉄(Fe)化合物で形成されている褐色のものやカルシウム(Ca)化合物の乳白色のものが多かったように記憶していますが、このような青色のものは私の中では珍しい存在です。

1img_0007_20200624145001

ところで、M社の教養人であるYA氏から便りがあり、鍾乳石に関して解説がありました。
すなわち、英語表記では

  「つらら石」(天井側から成長)は「stalactite」
  「石筍」(床面から成長)は「stalagmite」

となっています。
が、英語を母国語とする人たちにとっても些か紛らわしいということで、ちょっとした憶え方があるそうです。
それは

  stalactite has a  for eilling.
  stalagmite has a  for round.

というものだそうです。
なるほど~!です。
「瓜」と「爪」という漢字を憶えるのに「ウリにツメあり、ツメにツメなし」というのを思い出した次第でした。

1img_0007001

1img_0007002

1img_0007003

   

2020年6月27日 (土)

鍾乳石 (3)

1img_0006_20200624144401 

この鍾乳石のプレートは石筍を5mm程の厚みにカットしたものと推察しています。
石筍と推定しましたのは、4枚後の写真(上掲の面の反対側の面)を見ますと、中心部が乳白色の円状になっていることが根拠として挙げられます。
一般的に石筍は床面から上方に向かって伸びるのですが、その成長面(頂上部)は緩やかな曲面となっていて水平方向にカットしますと年輪が現れると同時にカット部位によっては成長面が同一組成で一定の厚みをもって形成されている場合はこの写真のようにある大きさのエリアとして現れるからです。
この鍾乳石のプレートは偶然に成長面が現れる部位でカットされたのでしょうけれども、成長面付近を観察できる珍しいサンプルであると思っています。

1img_0006001

1img_0006003

1img_0006002

1img_0005_20200624144501

1img_0005001

1img_0005004

1img_0005002

1img_0005003

   

2020年6月26日 (金)

鍾乳石 (2)

1img_0004_20200624143701 

これも鍾乳石(つらら石と推察)の断面です。
自然によって形成されたその模様の妙に惹かれます。

1img_0003_20200624143701

1img_0003003_20200624143701

1img_0004001

   

2020年6月25日 (木)

鍾乳石 (1)

1img_0002_20200624143401 

これは鍾乳石を水平方向に5mm程の厚さにカットした後、カット面を研磨したものです。
元の鍾乳石がつらら石なのか石筍なのかは不明です。
が、中央に結晶が析出した空間がありますので、つらら石から採取されたものと推察しています。

1img_0001_20200624143401

カット面の両側をスキャナーで撮影しましたが、年輪状に成長した鍾乳石は僅か5mm程を隔てただけなのにその模様は微妙に異なっています。
また、成長過程において水に含まれていた成分や不純物の相違が年輪の色の違いとして現れており、どういう環境であったのかに思いを馳せますといろいろと想像が膨らむというものです。

1img_0001003

1img_0001002_20200624143401

1img_0001001_20200624143401

また、年輪のパターンを見ていきますと、中心部の赤色の層には0.5mm以下の幅で色の濃淡が観察されますが、周辺部分になりますと褐色と乳白色の層が厚みをもってできています。
即ち中心部は比較的短い時間をかけて、外側は長い期間をかけて形成されたということが推察されます。

   

2020年6月24日 (水)

San Antonio(TX)/ Natural Bridge Caverns (鍾乳石:石筍)

1img_0001001_20200624114601 Natural Bridge CavernsはSan Antonioから北に約25マイル

San Antonioという街は「The Alamo」すなわち「アラモ砦」で有名な街です。
私の持つ街のイメージとしては、まず規模的にはダウンタウンエリアに高層ビルが林立するアメリカの地方都市(高層ビルの数は新宿よりも多いような印象)ですが、「アラモ砦」が主体になった観光都市でもあります。
ダウンタウンの中心には「River Walk」という遊覧ボートが行きかう幅が10m程の運河とそれに沿った遊歩道があり、多くのレストランや土産物店が軒を並べています。
また、周辺には住宅地が広がり、気候が温暖な(私には一寸気温も湿度も高めに感じられますが)ことからアメリカの中では退職後の居住地として人気が高い街の一つとなっていました。
更には郊外には観光名所や「Sea World」(10年ほど前にクローズされたとの報道がありました)のような施設があり1泊2日あるいは2泊3日で「アラモ砦」と一緒に観光を楽しめる街でした。

1img_20200624131901 Natural Bridge Cavernsの内部

その郊外の観光スポットの一つに「Natural Bridge Caverns」という鍾乳洞がありました。
この鍾乳洞は全米でも屈指の規模を誇るものだそうで、多くの人が訪れていました。
特に、理科の教材として訪れる学生さんの数は多かったように思えました。
この鍾乳洞にはガイドツアーがあり、1時間ほどかけて洞内を登ったり下ったり、また要所要所で説明があったりして、興味有る人には楽しいツアーです。

1dscn8288 石筍の頭部

ツアーを終えて鍾乳洞の外に出ますと、そこにはギフトショップがあります。
ギフトショップでは「Natural Bridge Caverns」に関係する物(あるいは全く無関係な物)が販売されていますが、それらの中に鍾乳石をカットした物も販売されていました。
私が選んだのは石筍(床面から上方に向かって成長する鍾乳石、因みに天井側から下に向かって成長すろのは「つらら石」だそうです)の頭部分でした。
価格は7.50ドルと値札が付いています。

1img_20200624132301

カットしてから研磨された面を見ますと、中央部に結晶状の部分とアモルファス状の部分とが混在した乳白色のエリアがあります。
この中央部分は元々は酸化ケイ素でできた岩石で、この岩石の表面に褐色の層が成長していったように推察しています。
褐色の層は注意深く見ますと色に濃淡があり、その時々で水に溶解していた成分あるいは濃度に違いがあったことが分かります。

1img002_20200624132501 

なお、もっと沢山の鍾乳石を買っておけば良かったのにと思いますが、時既に遅しです。

   

2020年6月23日 (火)

献血

1img_20200623142701  献血手帳(1冊目)

私が献血を初めて行ったのは1979年10月22日で、26歳の時でした。
私はM社に入社して1年目のことで、この機会がなかったならば献血に参加しないで一生を終えていたかもしれません。
しかしながら、献血を一度経験しますと、それは大げさなことではなくて思っていたよりも簡単に終わるということを知り、また加えて世の中で血液を必要としている人の助けになるということを意識するようになりました。

1img_0001_20200623143301

私が献血をするきっかけになったのは、次の通りでした。
1979年10月の上旬でしたが、M社の千葉工場に勤務する人が心筋梗塞で手術を行うことになったのでした。
あの当時は輸血するのにあたって、適合する血液でかつその新鮮血が必要だったようです。
さらに、その人の血液型が数十人に一人という珍しいものでした。

そこで、M社では千葉にある工場および研究所の有志の人達数百人が検査を受けた結果、50人ほどの献血適合者が見つかったのでした。
そして、実際に献血することになったのは若い方から十数人で、新入社員であった私もその中の一人に入っていました。
その後、手術は上手く終わり、患者さんは元気に復職されたのでした。
私は千葉の研究所に勤務していた時は最初は年に2回ほどでしたが献血をしていましたが、仕事が忙しくなるにつれて遠ざかってしまいました。

因みに、求められた血液は「A・Rh(+)・Le(a-b-)」型で、私の血液もこの型でした。
[Le:Lewis式血液型、成人人口の10%程度]

なお、ネットで調べますと『Le(a-b-)型の人のみ癌の診断に使われる消化器系腫瘍マーカーのCA19-9を作る遺伝子が欠落するので、癌があってもマーカーが検出されないという特徴を持つ血液型』であるとの記述がありました。
何となくではありますが、要注意のようです。

1img_0004_20200623143301  献血手帳(2冊目)

さて、アメリカ勤務を終えて帰国してから数年経ったタイミングで献血を再開しましたが回数は増えず、2016年からは血液凝固防止薬を服用し始めたことから献血ができなくなりました。
できないとなると、そんなに貢献していないのに些か残念な気分です。

1img_0005_20200623143301

1img_0006_20200623143301 献血カード

1img_0007_20200623143301

1dsc_0158 最後の献血(@汐留、20140910)

1dsc_0159

   

2020年6月22日 (月)

小金井/ 天丼てんや 武蔵小金井店 (上天丼弁当)

1dscn7974 

緊急事態宣言が解除されてから1ヶ月ほどたったとある日に所用があってJR武蔵小金井駅付近にでかけました。
この日は諸般の事情から家の外で昼食を摂るかあるいは何かをテイクアウトして家で食するかという状況でした。
呼吸器の強くない私は人の中で食事をする気にはなれず、何かをテイクアウトして帰ることにしました。
JR武蔵小金井駅の周辺にはテイクアウトができる飲食店が何軒もあるようでしたが、何となく足が向かったのはロータリーに面した「天丼てんや 武蔵小金井店」でした。

1dscn7971

店の前にまで行きますと昼食時にはま若干の時間があったことから、店内には3名ほどのお客さんがおられるだけで店の前には全く人がいない状態となっていました。
私はこれ幸い!とオーダーカウンターの前に進み、若いけれどもテキパキとしたお嬢さん店員さんに「上天丼弁当」をお願いしたのでした。

1dscn7972

なお、支払いにつきましては現金に触れることなきようPASMOでの決済をお願いし、ピッという音とともに瞬時に完了しました。
また、そばに置いてあったアルコール消毒スプレーを手に噴霧して手の平と甲、指の先と間をスリスリして「上天丼弁当」の完成を待つべくオーダーカウンターの前にある板張りの椅子に座ったのでした。

1dscn7973

なお、注文の品を引き渡す合図となるピピピピブルブルデバイスを渡されましたので、これは椅子の上に置いて合図を待った次第でした。
そして待つこと5分もしない内にデバイスのピブピルピブピル(ピピピピとブルブルが同時に発生)という合図とともにお嬢さんが受け渡しカウンターの向こう側に立っていて、プラスティックバッグに入れた「上天丼弁当」を手渡してくれたのでした。

1dscn7978

さて、「上天丼弁当」を受け取ってから約40分後に容器の蓋を開けました。
中には、海老が2本、南瓜、蓮根、隠元豆が丼つゆを纏って鎮座ましましていました。

早速、海老からいただきましたが、家に戻るまでの約40分という時間が丼つゆの衣への染み渡り具合とご飯への馴染み具合を程良くしていて、またそこにご飯から僅かに広がった水蒸気が天ぷらをマッタリとした口当たりと味わいに変えていたのでした。
これで価格が650円ですから実にCPの良い一品でした。

   

2020年6月21日 (日)

小金井/ 東京都知事選挙 (選挙ポスター)、 栗 (小さな毬)

1dscn8260 @小金井市内某所(2020年6月20日)

東京都知事選挙が告示されました。
今回の立候補者数は22人だそうです。
が、私の散歩する道沿いのポスター掲示板に貼られた候補者のポスターは僅かに6枚でした。
候補者の皆さんはそれぞれに考え、熱意、志、などがあるのでしょうけれども、私が経験した範囲内ではポスターを貼っていなかった候補者で当選した人は記憶にありません。
なお、都知事候補者や首都圏の知事さんは朝の満員電車が超過密状態であるのを知るために実際に乗ってみて、その上でコロナ対策を考えてみられることを薦めたいと思いますがいかがでしょうか。

1dscn8215 東京都庁舎

1dscn8261

さて、昨日は久しぶりに少し散歩にでかけました。
そして、栗の木に直径が3cm程の毬ができているのを見つけました。
コロナ騒動に係わりなく、今年も栗は実を結び始めていたのでした。

1dscn8263

   

2020年6月20日 (土)

新宿/ 木挽町 天国 (天国名物かき揚を天丼で)

1dscn8246 木挽町 天国

昨日は新宿にあるクリニックを定期検査のために訪ねました。
新宿というか都心部に行くのは2月13日以来のことで、4カ月ぶりに人口密度の高いエリアに出たのでした。
また、9時過ぎの中央線は人同士が触れ合うことは少なかったものの直ぐ隣も後ろも人が立っているという状況でした。

クリニックでは今回からは担当していただけるドクターが変わられたことから新たな問診や検査があり、クリニックを出たのが12時半頃となりました。
クリニックを出てJR新宿駅西口に向かって歩いていますと、郵便局の見える通りからヨドバシカメラのある通り一帯は昼食に出られた付近のサラリーパーソンさんや買い物の人達で賑わっていました。
そこで、私は東急ハンズに寄りたかったことも考慮して高島屋新宿店の上階フロアにあるレストラン街に方向を定めました。
ここなら、もう少し人の出方は落ち着いていると考えたからでした。

高島屋では予め考えていた天ぷらか中華料理の店を探したところ、14階のフロアに「天厨菜館」と「天国」がお互いに近くで店舗を構えていたのでした。
先ず「天厨菜館」のエントランスに置かれたメニュを見ますと当店のスペシャリテである「ホウレンソウのチャーハン」が載っていませんでした。
そこで、「天国」に歩を進めますと、銀座にはもう何か月も行っていないという思いが頭の中を駆け巡り、思わず知らずの内に暖簾を手の甲で押しあけて顔に触れないようにしながら店内に歩を進めていたのでした。

1dscn8243 椅子の上に

現れたお姉さんに告げられた通り、先ず入口の消毒液自動噴霧機で手を消毒し、両の手の平と甲をスリスリしてから4人掛けのテーブルに案内されました。
そして、着席しようと椅子をひきますと片側に二つ並んだ椅子の一つには密集を避けるための案内プレートが置かれていました。
そういえば、このコロナ騒動が本格化してからは2月20日を最後に外食を控えていたので、報道では知っていましたがこういう三蜜回避の工夫が実施されているのは初めて見たのでした。

1dscn8242

さて、席に着いてお品書に目を通しますと、やはり「かき揚」に食指が向かいました。
価格を見ますと(というか見るまでもなく)相変わらず良い値段をしています。
因みに、今から30年ほど前のまだ30歳代の中頃に初めて出会った天国のかき揚天丼は、その味の秀逸さよりも価格の高さが記憶に残っています。
そのことを思い出しつつ、お品書にある『創業以来130年以上続く歴史ある名物のかき揚で、職人が一つひとつ丁寧に、熟練された技で挙げる天国自慢のかき揚げ』という口上書きを一読し、まあエエではないか!と心の中で呟きつつ注文に至ったのでした。

1dscn8221 燗たのしと盃

そして、4か月ぶりの外での食事ということで、「熱燗」をいただくことにしました。
「熱燗」は当店の酒類ラインアップの中では一品のみ「九頭龍 逸品」だけが記載されていて、一押しのもののようでした。
因みに「九頭龍 逸品」という銘柄は黒龍酒造の最もスタンダードな清酒のようです。

1dscn8222 燗たのしと徳利

注文を終えて暫しの時が経ちましたところで、「熱燗」が「燗たのし」(HPより)という縦に長い直方体の器に入れて運ばれてきました。
お姉さんからは、温燗なら1分半、熱燗でしたら3分でお召し上がりになれます、と説明され、先ずは1分半で一盃いただきました。
再び徳利を「燗たのし」に戻し、2盃目は3分ほど経過した熱燗でいただきました。
私には、やはり熱燗の方が宜しい味わいでした。

1dscn8230 徳利:黒龍酒造

久しぶりに外でいただく熱燗は格別な味わいです。
口蓋の上下を酒精が程良く痺れさせると同時に芳香が口腔内に広がり、次いで喉元を通過する際に鼻腔奥にそこはかとなく含み香が満ち、食道を下り降りて胃の腑に落ち付く、という一連の流れが得も言えぬものでした。

1dscn8231 徳利:黒龍

4カ月ぶりの外で飲む熱燗をのんびりのんびりと楽しんで、徳利に半分ほど進んだところで、天国名物のかき揚が天丼になって供されました。

1dscn8232 天国名物かき揚の天丼

かき揚の天丼には、味噌汁、ヒジキの炊いたの、そして香のもの、がセットになっていました。

1dscn8234

かき揚の天丼は、小柱、芝海老、三つ葉で構成された贅沢な一品で、そこにしいたけのてんぷらと大ぶりの隠元豆のてんぷらが添えられていました。
かき揚は丼つゆを潜ってきたことからシットリとした口当たりに仕上げられ、これを箸で程良い大きさにして熱燗で清澄に整った口に運びました。
そして、軽く咀嚼を行いますと、熱が加わった良質の素材から出る旨味と香りが広がりました。
そこに天ぷらの衣に由来する良質の小麦粉が油で揚げられた淡い甘味を纏った旨味、そして丼つゆから来る収斂性を帯びた甘辛味、それぞれが独立しつつもバランス良く混ざりあって、落頬・落涙・垂涎・垂鼻の境地に誘われるのでした。
そして、全てを飲み込んでから追いかけるがごとく熱燗を一口含みますと、口腔内がかき揚げの余韻を保ちながら清澄な状態へと変わっていくのでした。
かき揚げの半分ほどまでこれを繰り返し、熱燗が尽きたところでご飯とともにいただきました。

なお、隠元豆の天ぷらは、淡い葉緑素系の苦みが加熱で程良く甘くなった鞘の味わいと実に好い感じ相乗していて、熱燗と実に相性の良い一品としてその存在感を誇っていました。

1dscn8235

セットになっていた味噌汁は白味噌に極僅かな量の赤みそを合わせたような味わいで、かき揚げ天丼の合間にいただくとそのリフレッシュ効果は抜群でした。
また、ここでは見えませんが、中には浅蜊が2個はいっていました。

なお、一つ気になったことがありました。
それは、フロア担当のお姉さんが二人居られたのですが、どちらのお姉さんからも「ご飯とお味噌汁はおかわりできます。」と数度にわたって告げられたことです。
味噌汁に関しては良しとしましても、天丼でご飯のおかわりは生まれて初めて聞いたコンセプトでした。天国ではそのようなサービス(?)をされているのでしょうか・・・。それとも、昔々に銀座の天国でご飯の大盛をリクエストしていたことが何かの記録に残っているのでしょうか・・・。それなら、「大盛もできます」の一言で良いはずですか・・・。

1dscn8238

香の物には京都でいう「べったら漬け」が二切れありましたが、その皮側に飾り包丁が入れてあり、食感が柔和になっていました。
これは良い感じの工夫だとの印象が強かったですが、できれば更に半分づつにカットして一口サイズの大きさにしてあるともっと良かったように思った次第でした。

   

2020年6月19日 (金)

Anti-COVID-19/ New Weapon (2Way Dial Hair Cutter)

1dscn8247 2Way Dial Hair Cutter

今日は新宿のクリニックに定期検査に行きました。
新宿に行くのは2月13日以来のことで、なんと4ヶ月ぶりのことです。
因みに電車に乗ったのは3月10日に確定申告で三鷹まで行ったのが最後で、その前が2月13日の新宿行きが最後から2番目でした。

今回は実に久しぶりの新宿でしたので、この機会を活かして髪の毛をトリミングする機材を新たに探すことにして東急ハンズを訪ねました。
こういう機材の品揃えに関しては流石は東急ハンズというもので、散髪ハサミから簡易のトリマーまでかなりの種類が置かれていて迷うほどでした。
が、それらの中から使いやすそうな「2Way Dial Hair Cutter」を購入しました。
私は2月以来理髪店には行っておりませんが、「Saloneヘアカットコーム」に新兵器が加わることで更にその記録を更新できそうです。

   

2020年6月18日 (木)

化石/ セコイア Redwood

Photo_20200618142101 @The Petrified Forest

今から約30年前の1994年7月のことでした。
アメリカのワインの生産地として有名なカリフォルニア州のNapaからSonomaに向かって移動している時のことでした。
Napaの北側に位置するCalistogaという街を抜けて西に向かう峠越えの道を走っていますと、巨大な樹木が何本もゴロゴロと横たわっているエリアに出たのでした。

1dscn8201 樹木表側

その横たわっている樹木を見ますと色が何ともモノトーンに見えるのでした。
暫く走りますと金属のワイヤーでできた柵に囲まれた場所が現れ、そこの建物には「The Petrified Forest」と表示されていました。
「The Petrified Forest」とは、なんともソソラレル名前の森です。
その建物は事務所だけではなくて売店も兼ねている様子でしたので、些か興味をソソラレた私は車を降りて中に入ってみました。

1dscn8203 樹木内側

すると、そこには夥しい数の樹木の化石が並べられていて、販売もされていたのでした。
私は並べられている樹木の化石の中から小ぶりのものを一つ、それから小さな西瓜程度の大きさの塊が二つで一対になっているブックエンドに加工されたものを購入しました。

特にブックエンドのものは年輪も観察できる逸品でしたが重たいことは想像以上のもので、後部座席に置きっぱなしにできるレンタカーで移動していればこそ購入できた代物でした。
ここでは拳大の大きさの樹木の化石の写真を掲載し、ブックエンドの方はまた日を改めて掲載させていただきます。

なお、この「The Petrified Forest」とは、約3百40万年前にSt.Helena火山が噴火し、火山灰に埋もれたセコイア(Redwood)の森が石化(petrify)したものだそうです。

1dscn8204 樹皮側

1dscn8209 樹皮

さて、私が購入したセコイアの化石は、年輪は見えなくなっていましたが、その一方で褐色の樹皮が綺麗に残っていました。
なお、この樹皮は完全に石化していまして、見かけ以上にカチカチの状態です。

1dscn8207 先端部

1dscn8206 下底部

   

2020年6月17日 (水)

化石/ 歯牙

1dscn8145 表側

この歯牙の化石は「Houston Museum of Natural Science」の売店で購入したものです。
アンモナイトの化石よりは少し価格は高かったような記憶があります。

この化石はその形から判断しますと肉食動物の歯牙のものと推察しています。
そして鋭い形状のの両サイドには0.5mmよりも小さい幅のギザギザした鋸の刃のような部分も見てとれます。
なお、売店では特に説明もなく無造作に売られていましたので、どのような動物の歯牙であるのかは不明なままです。

11dscn8196

1dscn8150 裏側

1dscn8178

1dscn8153 横側

1dscn8164

   

2020年6月16日 (火)

化石/ アンモナイト (白褐色)

1dscn8010 

先日、魚類の化石のところでその真贋について懸念をもっているということを述べました。
その理由の一つに、魚の化石の周囲に沿って切削が施されている、ということを挙げました。
しかしながら、良く考えてみますと以前にニューヨークのMuseum of Natural Scienceで見た始祖鳥の化石にもそういう周囲に沿った切削が施されていたような気がしてきました。
そこで、以前Museum of Natural Scienceで撮った始祖鳥の化石の写真があったはずなので探してみたのでした。
が、ネガフィルムもプリントも見つけることができず、確認に至っておりません。
見つかり次第改めて掲載する所存です。
ところで、上野の国立科学博物館にも始祖鳥の化石があるとの情報を得ましたので、コロナ騒動が落ち着いたら見に行って確認してみようと思っていますが、暫くは難しいことと推察しています。

1dscn8016

このアンモナイトの化石も「Houston Museum of Natural Science」の売店で購入したものです。
前の二つと異なるのは色に赤みが無く、全体に乳白色の強い色をしていることです。
外側を見ますと、白っぽい岩石で覆われていて、前の2個からも分かるように埋もれていた地層の種類が内部の色に反映されていることが分かります。

1dscn8016001

また、隔壁部分における結晶の成長は観察されず、地層の酸性度が低いことで浸食が進まないでいたことが要因の一つではないかなどと素人考えで推察しています。

1dscn8014

   

2020年6月15日 (月)

化石/ アンモナイト (淡褐色)

1dscn8001 


銀座に行きますと高級貴金属店、高級ブティック、高級飲食店などなど財力があれば楽しい思いができる店が数多く在ります。
そうした中に、すすらん通を晴海通側から入ってほんの少し歩いた右側に、直径が1m以上もありそうな巨大なアンモナイトの化石を飾っている店があります。
近寄って見ますと、自然にできた色や結晶の光沢が綺麗な「住房」と「気房」、それらを縁取る「隔壁」、そしてバランス良くらせん状に広がる住房と気房の配列の妙に思わず知らず見とれてしまうことでした。
しかし、残念ながらこのアンモナイトの化石の傍には「撮影禁止」の注意書きがしてあり写真を撮ることが叶わないでいます。
さらには、非売品となっていて購入することもできません。
この巨大なアンモナイトの化石を見るには銀座に行くしか手立てはないのです。

1dscn8007

さて、この化石も「Houston Museum of Natural Science」の売店で購入したものです。
価格も昨日の化石と同様で3.5ドルから5ドルの間にあったように記憶しています。

「住房」は埋もれていた地層の色に影響を受けているのでしょうか、赤色を帯びた褐色を呈しています。
また、隔壁の一部は隙間があったせいか結晶ができている部分がありました。

1dscn8007001

また、「気房」には石英系のものでしょうか?結晶が成長していていますが、この化石では空洞のままになっています。

1dscn8003

   

2020年6月14日 (日)

化石/ アンモナイト (褐色)

1dscn7987_20200614070001 

テキサス州ヒューストン市には石油および石油化学に関連する事業で財をなした人が多く住んでいます。
したがって、その人たちの納税額の大きさだけに限らず寄付の額も大きく、市内には世界的規模と水準を誇るメディカルセンターや博物館・美術館などがあります。

話は逸れますが、私の住んでいた頃はアラブの大富豪がメディカルセンターにわざわざ入院治療や定期検査を受けに自家用ジェットで訪れることも時々あり、そういう時には市内の高級店や飲食店で彼ら(といってもお付きの人たちでしょう)が散財するのが有名でした。
私も一度飲食店で彼らとはちあわせにになり、店の従業員達が通常の10倍のチップを目当てに彼らへのサービスに注力して、他の客へのサービスが行きとどかないという憂き目にあったことがあります。
この時、人が人に服従する要因の一つは大金であるということを目の当たりにしたのでした。

さて、このアンモナイトの化石は「Houston Museum of Natural Science」の売店で購入したものです。
1990年頃のことで、価格は5ドルだったか3ドル50セントだったか曖昧ですが、5ドルを超えることはなかったと記憶するところです。

1dscn7991_20200614070101

価格が低く、かつサイズが小さい化石ではありますが、断面の渦巻きは綺麗な配列となっています。

1dscn7991001

また、空間となった部分には結晶が成長しているのも観察できます。

1dscn7990_20200614070101

外側が赤褐色の岩石で覆われていたようで、内側の色にもその影響が出ているように思料するところです。
このアンモナイトの化石は、所謂鉄分の多い火山系の地層から発掘されたものと推察していますが・・・。

   

2020年6月13日 (土)

化石/ アンモナイト (インドネシア ティモール産)

1dscn8066 

このアンモナイトの化石は、2013年9月に御成門にあるアセアンセンターで開催されていたインドネシア展で購入したものです。
価格は1,800円でした。
販売していたインドネシアの人に尋ねるとティモールで産したものであるとのことで、インドネシアでもアンモナイトの化石が産することを知った次第でした。

なお、それまでに購入したアンモナイトの化石は全てアメリカに居た時のもので、事の真偽は分かりませんがブラジル産が多いということを聴いたことがあります。

1dscn8067

アメリカで購入したアンモナイトの化石は輪切りにして中を見せるようになっていましたが、これはカットせずに表面を削るという手法で不要な岩石部分を取り除いてから多少の研磨が施されていました。
ただ、岩石部分の除去作業はそこそこに難しく手間暇を要するのですが、この化石は若干荒削りになったようで中心部分の仕上げが勿体ない状態となっています。

こういうホールのアンモナイトの化石はなかなか売りに出されていることは珍しく、これ以外では1990年頃でしたがヒューストンのショッピングモールにある室内装飾品店で直径40cm程の未研磨のものが200ドルで販売されているのを目撃しただけです。今から思いますと、あの時買っておけば良かったのに!と残念でなりません。

1dscn8068

1dscn8065

   

2020年6月12日 (金)

化石/ アンモナイト (黒褐色)

1dscn8055 

これは私が初めて手に入れた化石です。
形からはアンモナイトの化石であると容易に判別できます。
全体的に黒っぽい色をしており、加えてかなり硬度の高いものです。

1dscn8058

半分にカットされた後、表面が研磨されて鏡面に仕上げられています。
サイズは小ぶりですが手に持つとズシリとした重みが感じられます。

1dscn8060

カットされた面の反対側は研磨されておらず、元の姿は岩石のような外観をしていたことが分かります。

1dscn8061 NORTH LIGHT ART   EL MERCADO, 514 W.COMMERCE, SAN ANTONIO 78207


なお、このアンモナイトの化石は昨日の魚類の化石を販売していたのと同じ店で購入しました。
購入の順番としては、先ずこのアンモナイトの化石と同時にほぼ同じ大きさのアンモナイトの化石を購入しました。
価格は20ドルくらいだったでしょうか・・・。
そして一旦店を離れました。
しかし、先ほど見た魚類の化石が忘れられず、この機会を逃すともう二度と手には入らないであろうと考えて、再び店を訪ねて魚類の化石を購入したのでした。

なお、余談ではありますが、もう一つのアンモナイトの化石は大阪の生家にあるのではないかと朧気に憶えているのですが、定かではありません。

なお、アンモナイトの化石が入っていた箱に店の名称「NORTH LIGHT ART」と所在地EL MERCADO, 514 W.COMMERCE, SAN ANTONIO 78207とが記されていました。

将来、再訪する機会があれば参考になる情報です。(多分、そういう機会は訪れないでしょう・・・。)

   

2020年6月11日 (木)

化石/ 魚類

1dscn8022 

アメリカではいろいろな化石が博物館あるいは専門店で販売されていました。
それも、日本で見かけるよりは多くの場所で販売されていたのでした。

この魚類の化石は、テキサス州にあるアラモ砦で有名なサン・アントニオという街のはずれにあるEl Mercadoというメキシカンマーケット内にある化石や石を販売する店で買ったものです。
価格は忘れましたが、額装された状態で50ドル以上したように記憶しています。

1dscn8027

この魚類の化石は岩石の劈開面で割れた処に存在した化石のようです。

しかしながら、岩石の部分は余り硬い感じではありません。
また、魚類の骨格部分はその形状に従って岩石の部分が削られているのが怪しい感じです。
ひょっとしたら、店の関係者が夕食に食べた魚の骨を何らかの固化材料の中に入れておいたものを加工したのではないかと思えば思えないこともありません。

1dscn8029

1dscn8030

   

2020年6月10日 (水)

US HOTELS/ Membership Cards

1img_20200609071101 

アメリカでは高級ホテルからドライブインまでいろいろなホテルに宿泊する機会がありました。
それらの中で、チェーン展開しているホテルでは顧客獲得策の一環としてポイントプログラムがあり、最初に入会したのがMarriottホテルで、立て続けにHYATT、HILTON、SHERATON、WESTINなどのメンバーになりました。

しかしながら、特定のホテルだけに宿泊するということはなかったことから貯まったポイントは左程増えるということが無く、活用することがないままに終わりました。


1img_20200609140901

1img_20200609160401

ところで、ANAが1986年に成田ーWashington D.C.線を開設した頃のことです。
スチュワーデスさん達は、Washington D.C.での到着日はホテルに向かい点呼後宿泊でホテルからの外出は禁止、翌日と翌々日は自由時間、そして4日目に日本へのフライトに乗務、というのが決まりとなっていると聞いたことがありました。

彼女たちの宿泊するホテルはKEY BRIDGEというエリアにあり、それがMarriottホテルであるという情報を入手したことを日本からの出張者に連絡しますと、そこに宿泊したいとのリクエストがありました。

リクエストに従ってMarriott KEY BRIDGEを予約し、VIRGINIAにある顧客との仕事を終えてチェックインしました。
しかしながら、ANAのスチュワーデスさん達の姿どころか気配すら感じられませんでした。
ま、世の中こんなものよ!と思いました次第でした。

1img_0008_20200609071301

1img_0002_20200609140901

1img_0001_20200609140801

1img_0006_20200609071101

1img_0004_20200609071101

1img_0003_20200609140901

1img_0004_20200609140901

アメリカには日系のホテルも展開されていました。

バブル時代はそれが顕著でNYのESSEX HOUSEの買収なども含めるとかなり積極的であったように推察しています。


それらの中で、nikko hotelはシカゴのダウンタウンとメキシコシティに宿泊する時は定宿にしていました。
シカゴのはLawry’sに近くて歩いて行ける距離にあり便利でした。

メキシコシティのは一般客とは別に上層階でチェックインできたのが便利であったことと、メキシコシティが高地であることから高山病に備えて酸素ボンベが常備してあるということを聴いたことがありました。


1img_0005_20200609140901

1img_0006_20200609140901

トロントでの宿泊はPRINCEホテルが多かったでした。
一度でしたが週末の日曜日も宿泊したことがありましたが、サンデーブランチでは私達以外のお客さんたちが大皿に山盛りの料理を取っておられたのには日本からの出張者も驚いていたのを憶えています。やはり体の大きさの違いがこういうところで分かるというものでした。

1img_0007_20200609140901

   

2020年6月 9日 (火)

US AIRLINES/ Mileage PROGRAM

1img_20200608145301 CONTINENTAL AIRLINES One Pass

私が航空会社のマイレージプログラムについて知ったのはアメリカに赴任した1987年のことでした。
私が記憶する限りにおいてですが、当時は日本の航空会社にはこういう顧客確保プログラムは無かったようでした。

さて、赴任地であるヒューストンはCONTINENTAL航空の本社があり、空港はそのハブ空港となっていました。
したがいまして、ヒューストンから米国内の出張に出かけるにはCONTINENTAL航空を利用するのが最も便利で、勤めていた現地法人の本社があるNYや市場開発のターゲット企業の多いデトロイトに行くには100%利用したのでした。

このCONTINENTAL航空ではOne Passというプログラムを展開していて、ヒューストンに赴任して数日後の最初のフライトでメンバーになりました。

1img_0002_20200608145401 CONTINENTAL AIRLINES One Pass Elite GOLD

私の場合は赴任早々からデトロイトへの出張が多く、時には週に2回ということもありました。その中には、5時に家を出て車で空港に行き、朝6時のフライトでデトロイトに行って夜の最終便で帰ってくるというパターンも珍しくはありませんでした。30歳代の真ん中あたりだったのでできたことでした。

さて、このようにCONTINENTAL航空ばかりを使った出張が重なりますと自ずからマイルの積算数は増えるというもので、赴任3ヶ月後にはステイタスが上がり、10月頃にはゴールドのステイタスになっていました。
その後1992年にNYに転勤となるまではこのゴールドステイタスを維持し続けたのでしたが、それはCONTINENTAL航空がヒューストンを拠点としていたことが大きな要因でした。

なお、CONTINENTAL航空のOne Passプログラムのお蔭で、夏とクリスマスの休暇においては旅行に係わる飛行機代は全て無料で済ませることができました。もっとも、それはCONTINENTAL航空が飛んでいる都市への往復でしたが。

1img_0012_20200608145401 NORTHWEST WORLDPERKS

また、ヒューストン時代もNY時代も時々利用していたのがNORTHWEST航空で、こちらもマイルは細々とでしたが貯めることができました。
なお、当時のNORTHWEST航空はデトロイトー成田間で定期便を運航しており(マツダがフォードと提携していたことから需要があったようです)日本からの出張者をデトロイトの空港から見送ったことが何度かありました。
その時は、これに乗れば自分も日本に帰れるのに!という思いになったものでした。

1img_0014_20200608145401 American Airlines AAdvantage

NYに転勤となってからはAmerican航空を使うことがメインになりました。
お蔭で休暇における飛行機代は全て無料でした。

1img_0006_20200608145401 UNITED AIRLINES Mileage PLUS

UNITED航空もそこそこ使いました。
特にシカゴに行くにはUNITED航空がシカゴをハブにしていたので便数も多くて便利でした。
が、マイルは左程貯まりはしませんでした。

1img_0008_20200608145501 Delta Airlines SkyMiles

Delta航空は出張先がマッチしなかったのか、あまり乗った記憶はありません。
ただ、機材は綺麗であったように記憶しています。

1img_0016_20200608145501 USAir FREQUENT TRAVELER PROGRAM

USAirはNYからGreenville/Spartanberg(SouthCarolina州)に行くのに利用しましたが、早朝に行って夜遅く帰ってくることが多く、機内も雑然としていたことからしんどい旅というイメージが残っています。

それと、ナイアガラにNYから行くにはUSAirの便が多かったように記憶しています。

1img_0018_20200608145601 SOUTHWEST AIRLINES COMPANY CLUB

私がアメリカに居た当時はSOUTHWEST航空は参入して間もなく、活気に溢れていました。
所謂格安航空の草分けでしたが、コストをかけないようにしているせいで機内サービスはそこそこ、座席は自由席、CAさんはポロシャツというカジュアルなものでした。またCAさんには機内アナウンスでジョークを連発する人たちもおられて、アメリカンな明るい雰囲気の機内でした。

   

2020年6月 8日 (月)

JAL/ JAL MILEAGE BANK

1img_0008_20200607172801 JAL MILEAGE BANKの登録カード

私が初めてJALの国際線に乗ったのは韓国に出張した際のことで1983年7月10日のことでした。(パスポートの記録より。)
その後の日本からの海外出張も1987年までは全てJALのお世話になっていましたが、当時は日本の航空会社で国際線の定期運行をしているのはJALだけだったからと記憶しています。

1img_0009_20200607172201

私がJALのJAL MILEAGE BANKに入会するきっかけになったのは、多分ですが2006年の頭から担当したプロジェクトでインドネシアのジャカルタに行くようになったことにあると考えています。
更に詳しく述べますと、これも多分ですが、初めてジャカルタに向かうJALの機内に有ったJAL MILEAGE BANKの登録カードを入手し帰国後に入会手続きをして以来のことで、現在もこの登録番号が継続しています。

1img_0004_20200607173001

2006年から2007年にかけてはジャカルタあるいはシンガポールに行く機会が2カ月に3回程度の頻度でありましたことから、積算マイルはかなりのペースで増え続け、ステイタスは2006年の夏前にはCRYSTAL、その後夏過ぎに黄色いカードのステイタスを飛び越してSAPPHIRE、そして11月の終わりころにDIAMONDとなりました。

1img_0003_20200607173001

1img_0001_20200607172901

そして、どのタイミングであったかは定かには記憶していませんがJAL GLOBAL CLUBへの加入資格ができたことから加入させていただいた次第でした。
が、2008年以降はブラジルとインドに出張したのがメインで、しだいにステイタスが低下し続けました。

1img_0002_20200607173201 

そして、ここ数年は海外旅行もパッケージツアーで2回出掛けただけでマイル実績もなく、現在のステイタスは最低ランクの状態が続いています。

   

2020年6月 7日 (日)

ANA(USA)/ GOLDPASS

1img_0002_20200607144701 1989年11月の運航スケジュール

全日本空輸(以下ANA)が米国との間に定期路線を開設したのは1986年の下期であったと記憶しています。
その路線は成田ーLos Angels(LAX)と成田ーWashington D.C.の2路線のみで、前者は毎日、後者は月・水・金・土、日の運航であったようです。

1img_0003_20200607144701

私がテキサス州のヒューストンに赴任したのは翌年1987年の4月のことでしたが、その当時は(多分今も)アメリカの航空会社も含めてヒューストンから日本に向かう直行便は無くて(後にContinental航空が直行便を開設しましたが直ぐになくなりました)、JALにせよANAにせよ東海岸のNew YorkかWashington D.C.、あるいは西海岸のSan FranciscoまたはLos Angelsまで出ないと乗ることはできませんでした。

私としては、私の米国赴任とANAの米国路線開設は半年ほどの時間差であったことから何となくではありますがANAに惹かれるものがありましたし、ANAからは新規参入者としての意気込みが感じられたことから日本への出張の殆どでANAを利用させていただきました。

なお、ANAを利用するにあたって私の場合は、現地法人の本社のあるNew Yorkでの会議の後日本に向かう場合はWashington D.C.から、Houstonからの場合はLAからANAに乗りました。

1img_0004_20200607145901 GOLDPASS

1987年の12月に一時帰国したのを始めとして年に3回ないし4回あった日本への出張ではANAには随分お世話になったものです。
そして、マイレージプログラムにも参加させていただいていましたが、最初の頃のカードは何処かに行ってしまいましたものの数枚のカードが残っていました。
カードを見ますとプログラム名はGOLDPASSと称されていたことが分かります。

1img_0005_20200607145901

GOLDPASSは私の赴任中は続けられていたようで、溜めたマイレージはファーストクラスへのアップグレードで使わせていただいたこともありました。

1img_0008_20200607145901 GOLDPASS

なお、1995年7月に帰国する前にANA MILEAGE CLUBのカードに切り替えていただきました。
が、帰国後は居住地が変わったことが理由で使えないということになり、残ったマイレージは残念ながら諦めることになったのでした。

1img_0010_20200607150001 アメリカで発行されたカード

1img_0011_20200607150001

   

2020年6月 6日 (土)

マスク/ 生協の使い切りマスク

1dscn7955 

1月以降マスクが品薄状態を一気に通り越して一般市場で販売されているのを殆ど見ることがありませんでした。
最近になって7個入りの袋をドラッグストアで見かけることがあり、我が街でも先々週くらいからは一家族一袋というのを購入することができるようになりつつあります。

1dscn7964

さて、1月の後半から5月にかけてマスクの販売情報が流れますと店の前には長蛇の列ができていたようでしたが、私の方ではそういう情報はどうやって入手できるのか分かりませんでしたし、仮に分かっても感染リスクを考えると長蛇の列に並ぶことはなかったと思料するところです。

そうした中、役に立ってくれたのが偶々箱で買い置きしていた「生協の使いきりマスク」でした。
このマスクは私の花粉症対応で以前から使用していたもので、1月より前は気軽に使っては廃棄していました。
価格も1枚あたり10円程度であってまさに使い捨てのマスクだったのでした。

そして、1月下旬になって急にマスクが一般市場から消えて入手ができなくなってからはこのマスクを再使用してきました。
箱には「洗濯による再使用はできません。使いきりタイプになります。」と明記してありますが、背に腹は代えられません。
洗剤で緩やかに洗うことを2回繰り返し、自然乾燥を経て使いました。
なお、マスクと顔の間にはキッチンペーパーを折り畳んで装着しました。
このキッチンペーパーがマスクの顔側の過剰な湿気を吸収してくれましたし、加えてシールド性強化の役割も果たしてくれたようでした。

1dscn7958

このマスクは3層構造でかつ中間層は「静電フィルター」になっていて微細な粒子をトラップできるようになっていましたが、洗浄を繰り返すとその静電効果は期待できないものと判断しています。
しかしながら、再使用でも空気中に浮遊するエアロゾルは防げるようですし、エチケットとしての私からの呼気を撒き散らさないということにも効果があるので再使用しています。

1dscn7962 赤い線は5回出動の印

なお、その耐久性ですが、1回に1時間程度の徒歩による外出であれば20回以上の出動は可能であり、現在使用中のものは22回の出動に対応できています。

   

2020年6月 5日 (金)

誕生日

1img_20200605101601 

今日で67歳になりました。
例年になく思い悩むことは数多くあります。
しかしながら、自分の力だけではどうにもならないことが殆どですから、あまり肩肘を張らないで流れに任せることも大事であると考えています。

そうはいいまししても、志を立てて自分自身を奮い立たせるようにして日々を過すように心掛けたいと思っています。


小金井のジャッカル
Jackal From Koganei (JFK)

   

2020年6月 4日 (木)

ゴルフボール/ XCALIBUR 812

1dscn7934 XCALIBUR 812

昔々、あれは1987年の5月のことでした。
私がテキサス州のヒューストンに赴任したのは。

そして、直ぐ某商社に勤めるKT氏と知り合いになりました。

KT氏は奈良県出身の人で、早稲田大学を卒業後アメリカに渡り、アメリカの大学で学位を得た人でした。
そして、氏はアメリカの会社に入り、私が初めてお会いした時はアメリカにある日本の大手商社に勤務されていました。
KT氏は私よりも10才ほど年上でしたが親しく接してくださり、時々昼食やゴルフに誘ってくださったりと日本に戻ってきてからも久しくお付き合いをさせていただいていたのでした。

1dscn7929 一般のゴルフボール(左)、XCALIBUR 812(右)

ある日、KT氏から数えきれないくらいのディンプルが施された「XCALIBUR 812」というゴルフボールを見せられ、
「ジャッカルさん、ジャッカルさん!
ほらほらほら~ぁ、これを見て下さい。
どうです、珍しいゴルフボールでしょう~。
ディンプルがメチャクチャ付いているゴルフボールですでェ~。
このディンプルの数のお蔭で打球の方向はなんぼでもコントロールできるんですわ。

ジャッカルさんのような腕の人ならドローでもフェードでも、スライスでもフックでも、おまけに池ポチャでも思いのままのコースに簡単に打ち分けることができますでェ~。

こんな珍しいボールはなかなか手に入りませんでぇ~。」
と言いつつこのディンプル満載のゴルフボールを分けてくださったのでした。
そして、
「どうですやろ。このボールをジャッカルさんがお使いになるということで、FUJIでの晩御飯を握りましょうか?
まあ、このボールをジャッカルさんに使われたら私なんかイチコロですわ。ガハハハハ。」
というお誘いがありました。
しかしながら、普通のボールでもまともに飛ばない私が珍しいボールなどを使おうものなら後日のFUJIでの晩御飯は持って行かれるのは明明白白なことなので、即刻お断りした次第でした。
因みに、FUJIというのはヒューストンでは最もハイクラスの日本料理店でした。
なお、KT氏は更に一言付け加えられたのでした。
「このボールは規格外ですから、日本人商工会やら私以外の人とのコンペで使うたら怒られまっせ。」と。

1dscn7930 XCALIBUR 812

1dscn7932 一般のゴルフボール

そして、あれから30数年、このゴルフボール「XCALIBUR 812」は使うことなく私の手元にあります。
ネットで調べましたところ、ヴィンテージ物のようでしたが、価値は不明でした。

なお、昨日ゴルフボールの規格に関して調べましたが、ディンプルの数や形状に関する規制は特に見つけることができませんでした。
ということは、現在ではこのゴルフボールは公の場で使用しても問題は無いようです。

   

2020年6月 3日 (水)

小金井/ コーヒーロースト

1img_8950 

先日、国の非常事態宣言が解除されましたので、その数日後にJR武蔵小金井駅の北側にある「コーヒーロースト」まで人との接近遭遇を避けるために徒歩で出掛けました。
駅の周辺は少し人出が増えているように見えましたが、そうは言ってもコロナ騒動以前の賑わいには至ってはいないようでした。

そして、昨日の午後10時頃にコロナ感染者の増加を踏まえて東京都によって「東京アラート」という警戒警報が発せられました。このことによっての都民への直接の制限措置はないようですが、実質上は警戒を厳にして生活することを喚起しているようです。

さて、非常事態宣言解除と東京アラートの間に訪ねた「コーヒーロースト」では何時も注文している「武蔵野ブレンド」をお願いし、出来上がるまでの間に銀行のATMを回って所用を済ませました。
そして、「コーヒーロースト」に戻りますと、注文の品が包装されているところでした。
マダムからはサービスのコーヒーを薦めていただきましたが、この日は遠慮させていただきました。
といいますのは、当店は人気の高いお店であり、この時期はなるべく店内の人数が少ない方が新たにお客さんも入り易いであろうと考えたからです。

因みに、当店で供されるコーヒーはホットでいただくようにしていますが、それはヨーロピアンな濃厚な味わいに淹れられたもので、私が自分では淹れることのできない味わい深いものです。同じコーヒー豆なのになぜであろうか?といつも思うのですが、未だに分からないままです。
これまで注文したコーヒー豆が焙煎され終わるまでの間にいただいてきたコーヒーは上質の味わいでした。この日はこれをいただかないで帰るのは残念至極ではありましたが、コロナ騒動が終息した暁には改めて味わわせていただくことにした次第でした。

   

2020年6月 2日 (火)

小金井/ カッコウ

1dscn7875 

2年前の6月中旬頃から近所にカッコウが現れるようになりました。
ところが今年は5月の中旬頃に現れ、毎日早朝から鳴いています。
しかしながら、私の部屋には鳴き声が聞こえてくるだけでその姿を見ることができないままでした。

ところが、先日の夕方のことでしたが、近所の家のテレビアンテナに留まって大声で鳴いていたのでした。
そして、今年初めてその姿を見ることができたのでした。

まずはめでたしめでたし、です。

   

2020年6月 1日 (月)

アノマスク

11img

5月29日(金)の朝、朝刊を取りに郵便受けに行きますと、朝刊と一緒にアノマスクが入っていました。

11img_0001

   

« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »

2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

カテゴリー

無料ブログはココログ