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2020年5月

2020年5月31日 (日)

Winery(VT)/ Joseph Cerniglia Winery

1img_0001_20200530153701 GRANNY SMITH Varietal APPLE WINE

アメリカのリンゴの産地についてですが、私が経験した範囲内ではニューヨーク州とミシガン州は印象に残る州でした。
また、日本のカレーからイメージするヴァーモント州も印象に残っていますが・・・。
大雑把に私がリンゴを産するエリアとして把握していますのは、APPLE STATEとして名をはせるニューヨーク州からその北側に位置する数州、および五大湖周辺の数州です。

私は自動車関連部品に関するマーケティングおよび販売関係で当時自動車産業の中心地であったデトロイトに出張している時間が長かったものですから、郊外にあった「APPLE CIDER MILL」のリンゴジュースを何度か飲んだことがあります。

「APPLE CIDER MILL」というのはリンゴを搾ってリンゴジュースにする農場の加工場であり販売所の総称で、デトロイト郊外にも何軒もありました。
建物はまさに農場風のログハウスのようなものもありましたし、それらの中には水車小屋のようになっていてその動力を活かしてリンゴを搾っている処もありました。特にこの水車小屋風の店は周りの風景とも調和していて、なかなか趣のある景色を醸し出していました。
そして、「APPLE CIDER MILL」に共通しているのが「APPLE CIDER」という搾りたてのシュワシュワのリンゴジュースと揚げたてのドーナッツが販売されているということでした。
「APPLE CIDER」は大きいのはガロンビンで、小さくても1クオート(1/4ガロン)ビンで販売されていました。
また、ドーナッツは所謂中心に穴のあるものではなくて大きめの鶏のから揚げのような形のものが小さい袋で5~6個入っていて、揚げたてにシナモンパウダーが振りかけられていました。
買った1クオートビンの「APPLE CIDER」とドーナッツを農園の中で食べましたが、味も雰囲気も空気も全てが美味でタマラヌものがありました。
なお、「APPLE CIDER」はビンからラッパ飲みでした。

さて、この「Joseph Cerniglia Winery」はSouth Central Varmontというエリアにあるワイナリーでして、所謂リンゴ酒の生産と販売も行われていたようでした。
そして、私が購入したのは「GRANNY SMITH」という品種のリンゴから作ったApple Wineでした。
その味は、一寸甘酸っぱい中にリンゴに固有のコク味があるリンゴ酒そのものでした。

   

2020年5月30日 (土)

Winery(VA)/ SHENANDOAH VINEYARDS

1img_20200530104901  SHENANDOAH RUBY, Red Table Wine

ヴァージニア州は米国の首都ワシントンDCの南と西側に位置していて米国建国時の独立13州の一つの州です。
そして、政治的にも観光的にも主要な州の一つとなっています。

また、ワシントンDCを囲む州であるヴァージニア州やメリーランド州でもワインが生産されていることは余り知られていないように思っています。

しかしながら、ヴァージニア州やメリーランド州のワインは米国大統領の就任式の際のパーティーや大統領主催の晩餐会や午餐会で供されることがあるようです。

1994年のことだったと記憶していますが「The Jefferson Hotel」に宿泊する機会があり、夕食はメインダイニングルームで摂りました。
その際にワインをボトルで注文したところ、ソムリエ氏から1993年に行われたBill Clinton大統領の就任式のパーティーで供された白ワインがお薦めであるとのことで、これをいただいたことがありました。
私の記憶が確かでしたら、そのワインはメリーランド州のものと説明を受けたようでした。
ワインクーラーで適切に冷されたそのワインは淡い黄緑色を帯びた淡黄色を呈していていました。また、馥郁とした熟成香が鼻腔に心地よく届き、含み香も程良く続くものでした。さらに、味わいは豊潤さと程良い収斂味がバランス良く広がるものでした。
このように伝統ある「The Jefferson Hotel」に宿泊し、加えてBill Clinton大統領の就任式のパーティーで供された白ワインをいただくことができたのは幸運なことでした。
ただし、惜しむらくはその銘柄に関する記録も記憶もないことです。

ところで「The Jefferson Hotel」に絡めてではありませんが、Bill Clinton大統領のフルネームはWilliam Jefferson Clintonということです。


さて、この「SHENANDOAH VINEYARDS」の赤ワインですが、葡萄は「SHENANDOAH RUBY」という種類でできているようです。
また、そのクオリティはTABLE WINEそのものだったように記憶しています。

ところで、私の担当する業務においてVirginia州のWinchesterという街に顧客の本社がありましたことから、WashingtonD.C.のNational空港からレンタカーでI-66を西のWest Virginia州との州境に向かって走らせました。
その途中でParisという街の表示を見て暫くしますとShenandoah川を通過しました。
川幅は狭く、60mph程度で走行していますとあっという間に通過してしまいます。
Shenandoah川という表示があるからそこに川があるとうことに気付くのですが、表示がなければJohn Denverのあの歌に出てくる川に気付くことはなかったことでしょう。

   

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2020年5月29日 (金)

Winery(NY)/ PALMER VINEYARDS

1img_20200527152901 CHARDONNAY 1991

ニューヨーク州産のワインについて話を進める時、最初に頭に描かなくてはならないのがニューヨーク州の形です。
地図を眺めますとニューヨーク州はマンハッタン島をイメージしている人には大きく異なる形をしていますし、かなり広大なエリアを占めています。

ニューヨーク州におけるワインの主たる産地としては、西はナイアガラの滝に近い所謂ナイアガラエリア、東はマンハッタン島の東側にあるロングアイランド島、そしてマンハッタン島の北側に延びるハドソン川渓谷エリアが主たるワインの産地ですとして取り上げられることが多いです。

昨日と一昨日に書きました「Brotherhood Winery」や「MILLBROOK VINEYARDS」はハドソン川渓谷エリアにありますが、この「PALMER VINEYARDS」はロングアイランド島にあります。
一般的にロングアイランドのワインは評価が高い方にあり、価格もハドソン川渓谷のワインよりも上にありました。

この「PALMER VINEYARDS」のCHARDONNAY 1991も「MORRELL & Co.」で購入したもので15ドルくらいしたように記憶しています。
テイスティングメモは紛失したノートの中にあったようで記録は無く、さらに残念ながら私の記憶を呼び起こすこともできないでいます。

ただし、Wine Spectatorの「GUIDE TO THE HAMPTONS & LONG ISLAND WINE COUNTRY」によりますと「PALMER VINEYARDS」はかなりレベルの高いワインとして紹介されています。
せっかく飲んでいたのにメモを紛失したことが悔やまれますが、後の祭りというところです。

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なお、ナイアガラのワインに関しましては機会があるごとに探しましたが、全く見つけることができないままでした。
多分ですが、地場で消費されているものと推察しています。
ただ、ナイアガラの滝には10回以上は行っていることから、現地に宿泊した際に1回か2回飲んだように記憶しています。
その1回はナイアガラの滝を見降ろすタワー「Skyline Fox Head」の回転展望レストランだったようにうろ覚えですが記憶しているところです。申し訳ないのですが、感動的に美味というワインではありませんでした。

   

2020年5月28日 (木)

Winery(NY)/ MILLBROOK VINEYARDS

1img_0001_20200527150001 Chardnnay 1991 Hudson River Region

私が初めてMILLBROOKのワインに出会ったのはマンハッタンにある老舗ワインショップである「Morrell & Co.」においてでした。
この老舗ワインショップ「Morrell & Co.」はワインの品揃えが豊富なだけでなくNY州のワインについても他店では扱っていない良い銘柄のものを取り揃えている店でした。

「Morrell & Co.」はMadison Ave.と54thSt.の交わる交差点に面した場所にあってオフィスから最も近い処にある大手の老舗ワインショップでしたことから、で昼食後や退社後に立ち寄ることを週に2回程度していました。
ある日、いつものように週末に飲むワインを選んでいましたら、店の人が薦めてくれたのが「MILLBROOK VINEYARDS」の「Chardnnay 1991 Hudson River Region」でした。
昨日も書きましたが、私の居た頃は米国産ではカリフォルニアワインがもてはやされていて、ニュートーク州のワインが置いてある店はあまり見掛けませんでした。
そうした状況の中、敢えて薦めてこられたのはかなりクオリティが高かったからであったと思っています。
因みに、「Morrell & Co.」は店の人たちが非常に行き届いたサービスをされる店でして、そのお薦めには好みの相違はあってもクオリティに関してはハイレベルなものだけが選ばれているというのが私の経験に基づく感想です。
価格は10ドル位のもので、当店が扱うカリフォルニアワインは安くても15ドル、南米産のワインが10ドル程度でしたから、価格的な面での扱いは高いとは言えないものでした。

あの時はお薦めに従って「Chardnnay 1991 Hudson River Region」も購入しました。
そして、後日いただいたのでしたが、Chardnnayの個性が濃厚にかつバランス良く感じられ、単独で飲み続けても飽きないワインに仕上がっていたのでした。
当時は「MILLBROOK VINEYARDS」の知名度が低かったせいなのか、はたまたハドソン川上流域のワインの評価が高くなかったせいなのでしょうか、10ドルという価格はめっちゃくちゃ安いと思った次第でした。

1img_0002_20200527150001 Chardnnay 1992 Hudson River Region

さて、1991年のChardnnayを味わったのは1994年のことで、翌年の2月の終わり頃に1992年を飲んでいることが記録に残っていました。
1991年が大層良かったことから期待が大きかったせいかもしれないのですが、1992年は若干平凡であったということをメモしていました。
ただし、価格が10ドル程度ということで考えれば御買得のワインであったように思います。

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なお、「MILLBROOK VINEYARDS」もRyeという街からは1時間程度で行けそうであったので、いつかは行かむ!と思っていましたが、その機会を得ることはありませんでした。
もし、今後NYに長期滞在する機会がありましたら、訪ねてみたい先の候補の一つです。

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2020年5月27日 (水)

Winery(NY)/ Brotherhood AMERICA’S OLDEST WINERY EST.1839

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日本ではあまり知られてはいませんが、ニューヨーク州にはワイナリーが沢山あります。
とはいいましても、その数は私がNYに居た頃は未だ150位だったようですが、ここ10数年の間に増え続けて現在では300を超えるワイナリーがあるらしいです。

こうした中で創業1839年の「Brotherhood」が北米大陸で最も古いワイナリーとして知る人ぞ知る!という存在になっています。

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「Brotherhood」は私の住んでいたRyeという街から自動車で1時間ほどで行けるWasingtonvilleというハドソン川の上流域にある街にあり、週末の日の朝にふと思い立ってこのワイナリーを訪ねました。
時に1994年7月2日(土)のことでした。

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当時はネットで調べるというシステムが世の中になかったことから雑誌で予め調べておいたルートを辿って辿って「Brotherhood」に行きました。
ハドソン川に架かるTappan Zee Bridgeを通過する辺りから景色は長閑さを増していきました。

漸く「Brotherhood」に至り、駐車場に車を留めて少し歩きますと大人の身長程もある大きなワイン樽が置いてあります。
そこには「Brotherhood」と木でできた文字が貼り付けてあり、エントランスであることがわかります。
このワイン樽を右手に見ながら道を奥に進んで行きますと見学者用のオフィスがあって、そこで手続きをしました。

1img_0002_20200526143801 Musiumへの入口

手続きを終えて暫くしますと、男性のガイドさんが現れて他の数人の見学者と一緒に所定のルートを案内してくださいました。
が、今となってはその内容は遥かな忘却の彼方へといってしまっております。

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一通りの見学が終わりますと、見学者の誰もが待ちわびたワインテイスティングが始まります。
1994年当時のNY州は未だ飲酒運転に関しては寛容なところがあったようで、私も躊躇することなく参加した次第でした。

因みに、カリフォルニア州は飲酒運転について既に厳しい取り締まりが実施されていて、即刻ジェイル行きとなるということでした。
更に因みにですが、監獄というのは飲酒運転程度では大部屋に放り込まれるとのことで、そこでは屈強なおっちゃん達が相部屋になるそうです。
そのおっちゃんたちの中にはオカマのおっちゃんもいて、彼らの目線では華奢に見える日本人は少々の年配者であっても襲われてエイズになるということがまことしやかに囁かれていました。まあ、ウソでしょうけれど。

1img_0007_20200526161501 メモ

さて、テイスティングでは「Brotherhood」で生産および販売されるワインの殆どが対象で、この日は15種類をいただきました。

テイスティングの量は少量ですから、運転が覚束なくなるということは有りませんでした。念のため。

当時のノートを見ますと、なんと生意気にも点数を付けていました。
なお、こういうテイスティングはそれ自体が楽しいものですし一緒に参加したアメリカの人たちの多くはフレンドリーでしたので、ガイドのおっちゃんの解説を聴きながら「Brotherhood」のワインを味わったのでした。

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テイスティングを終わり、最後に売店でデザートワインであるJOHANNISBERG RIESKING 1991を購入して帰途についた次第でした。

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なお、私が米国にいた当時はカリフォルニアワインが主流で、ニューヨークワインに関する情報はあまり出回っていませんでした。
そうした中で見つけた一冊の本が「The Wines and Wineries of the Huddson River Valley」という本でした。
この本のなかで「Brotherhood」もトータル5ページに亘って記述されていて、その歴史的存在の大きさが分かるというものです。

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1img_0001_20200526160501 Brotherhoodの創始者(出典:The Wines and Wineries of the Huddson River Valley)

   

2020年5月26日 (火)

INDIA/ Clutch Bag

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昔々、私は世界でメーカーが3社しかないRという製品を担当している時期がありました。
ある日、インドの会社から国際電話があり、その製品の件で会いたいと言ってきました。
当時は電子メールが普及する前の時代で、ファクシミリあるいは電話がコミュニケーションツールとして全盛の頃でした。

ビジネスであれば先ずは話を聴く、というのが基本スタンスでしたから面談の日時を決めますと、約束の刻限に端正な顔立ちをされた明らかに紳士と分かる二人のインド人ビジネスマンが来社されたのでした。

用件は、Rをインドで生産したいので当社の技術をライセンスして欲しいというものでした。
そして、市場環境を分析し加えて社内の関係部署と協議した結果、ライセンスはお断りしたのでした。

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この面談の際に、インドのビジネスマンさんからギフトとしていただいたのが、写真のクラッチバッグでした。
外観は爬虫類の皮革のようであり、更に良く見ますとイタリア製でした。

それから10年位経ってからでしたが、久しぶりにこのクラッチバッグを見た私は気に入ったこともあり、東南アジア地域への出張においてはセカンドバッグとして持って行くことがありました。
これを見た人は、当社の人であっても、あるいは交渉相手の会社の人であっても、多くの人が一瞬ですがギョッとした顔をされました。
そういう時には、「どうです。エグイでしょう~?」と尋ねると皆さん苦笑されるのでした。
確かに『エグイ』クラッチバッグでした。

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ただし、エグイとはいいましてもなかなかしっかりした造りになっていまして、内側にもちゃんと皮のシートが使われていて手抜きの安物ではなさそうでした。


そういえば、昔々神田にあるカバン店に同僚がカバンを探したいというので付いて行ったことがあります。
その時、店主のおっちゃんが良いカバンと安物のカバンについて得々と説明をした後、いきなり私のカバンを手に取りながら安物のカバンの内側には皮のシートは使われておらんのじゃよと言いつつ勝手にカバンを開けたのでした。
店主のおっちゃんの仕草から私のカバンが安物の代表としてやり玉に挙げられたのは明々白々でした。
そして、おっちゃんは目にしたのでした、私のカバンの内側は皮のシートでびっしり覆われていたのを。
その時、おっちゃんは慌てましたです、見ていても気の毒なくらい。
そして、言いました、こういうのが良いカバンなんじゃよ、と。

因みに、その時私が持っていたカバンはT.ANTHONYで買ったカバンでした。

   

2020年5月25日 (月)

SWEDEN/ PLANBOK ÄLGSKINN BRUN [ELK LEATHER] ”KING OF THE FOREST”

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これはスウェーデンの自動車内装材メーカーの購買部長さんが日本に来られた際にいただいた多目的カード入れで、トナカイの皮が縫製されたものです。
トナカイの皮は非常に柔らかくてしなやかで、手触りが良い上に使い心地も良く、私は海外出張の際には好んで携行していました。
また、カード収納スペース以外に収納ポケットも多く、何かと便利に使える逸品でした。
現在は海外旅行は年に1回程度観光で出掛けるだけになっていて、机の引出しにしまったままになってしまいました。

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1dscn7543 仕舞いこんでいたカード(ANA、 シンガポール地下鉄MRTのSTANDARD TICKET、ドイツのTelefonkarte、AT&Tのテレフォンカード)

なお、この部長さんは部下の人と二人で日本に来られました。
非常に温厚な性格の人で、常に穏やかな口調で英語を話されました。
午後の会議を終えてお二人を夕食にご招待しましたところ、日本的なものをというリクエストがありましたので築地にある焼鳥の名店にお連れしたのでした。
そこでは、最初にお店から「ささ身の刺身」を薦められましたので、これもいただくことにした次第でした。
「ささ身の刺身」は私自身も初めての経験で注文したことをいささか後悔したのでしたが、注文したからには先ず私が食べないことにはカッコウが付かないというものです。
ということで、先ずは私からいただきましたが、悪くないねェ!という感じでした。
それを見ておられた部長さんも怖々でしたが一切れ口にされたのでした。
一方、部下の人はノータッチでした。
その後は焼鳥に移り、お二人ともにこやかに食べ進めてくださったのでした。
少し反省した会食ではありましたが、当店の焼鳥の美味さが秀逸であったことは紛れもない事実として記憶するところです。

   

2020年5月24日 (日)

USA/ BARLOW DESIGN

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事業運営に携わっていますと、実に多くの社外の人と接することになります。
また、先輩諸氏の時代から友好関係にある会社の人たちとは一定の信頼関係が構築されています。

1dscn7522 Card Holder(HORSE)

そうした中で海外の会社の人たちとは年に2回ほど会う機会があり、お互いに訪ねられたり訪ねたりすることを行っていました。
私がお付き合いをさせていただいた会社には世界的に有名な超優良企業もあり、その中のアメリカの会社の女性部長さんは頭脳明晰であると同時に非常に繊細な心配りをされる人でした。

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その女性部長さんは日本での面談に際しては一貫して「BARLOW DESIGN」の品々をプレゼントしてくださいました。
そしてその品々は決して重複するということはなく、業務の継承で前任者と一緒に会った時にはそれぞれに異なるギフトを手渡されたのは前述の配慮があったからのようでした。

1dscn7532 TIETACK(GOLFER)

「BARLOW DESIGN」というのはStephen Barlowという人が創始者のブランドで、アメリカの景色、動物、人などをデザインにして精細に彫られたプレートが特徴となっています。
製品自体のクオリティは高いものですいし、アメリカ南西部の人たちと会う際のアクセサリとしてはこれをきっかけに話が弾むことが期待できるアイテムと確信したものでした。

1dscn7534 MONEYCLIP(DEER)

なお、このことをきっかけに私もブランドを統一したギフトを用意することを考えましたが、コストと品揃えの観点からは残念ながらこれはという物に出会うことはありませんでした。

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2020年5月23日 (土)

北京/ 堆朱花瓶

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1990年7月27~31日に生まれて初めて中国に行ったのでしたが、その際に友諠商店かはたまた何処かの専門店で購入した花瓶です。

表面には精緻ではありませんが中国風の模様と花がデザインされた花瓶で、全体が光沢のある赤色をしています。

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手に持った感じはそれ相応の重みが感じられますし、渋い光沢をもったその姿にはそこはかとない気品が感じられます。
とはいいましても、これは鑑賞眼の無い個人の希望的意見ですから話にはなりません。

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それに、私が買ったものですから価格は低いものでしょうし、美術品としての値打ちは無いとみるのが妥当なところだと思っています。
もし凄いものを買っているならば明確に記憶しているはずですから、記憶していないということは上述のことをサポートしている訳です。
なお、包み紙には「北京瑞成斎」と書いてありますがので再訪してみたいと思うところですが、その前に逸早いコロナ騒動の終息を願う次第です。

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2020年5月22日 (金)

Forged Watch

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ジャカルタに2カ月に3回程度の頻度で出張している時期がありました。
当時は日本の航空会社でジャカルタに直通の定期便を運航していたのはJALだけでした。

その飛行ルートは成田空港からスカルノ・ハッタ空港への往復というものでしたが、復路で偶にバリ島の玄関口であるデンバサール空港に立ち寄る便があり、そこでは乗客全員が一旦機外に出されるのでした。
デンバサール空港のロビーでは、暫くお茶をしたり買い物をしたりする人がおられましたが、私はせいぜいお茶をするくらいで後は免税品店を眺めたりして時間をつぶしていました。

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また、ロビーには時計を持ったお兄ちゃんたちがそこここにいて、時計を売ろうと話しかけてくるのでした。
彼らが手にしている時計は有名ブランドの偽物で、日本では高級デパートや銀座の有名貴金属店でのみ見かけるものの偽物でした。
おまけに、偽のタグまで付いているのでした。
なお、偽物ですからその価格は20ドルでした。ま、これでも高いというものです。

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後日、日本でパッと見た感じでは遠目や薄暗がりでは本物かどうかは良く分からないものであるという話をしましたら、それを会社の床に置いておいたら騒ぎになるでぇ、という人がいたので、そのことを憶えていた私は写真の時計を買ったのでした。

そして、ある日そっとこの時計を机の横、私の椅子の足元に置いて昼食に出掛けたのでした。
内心、ちょっとした話題になっているのではと思いつつ昼食から戻ってきますと、・・・。
時計はそのままで、どうやら気付いた人たちは遠巻きにして様子を窺っていただけだったようです。
大した騒ぎにならず、ツマランことでした。

   

2020年5月21日 (木)

ANA/ WRIST WATCH

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昔々、ANAの国際線にまあまあ頻繁に乗っていた時期がありました。
主たる目的地はアメリカとヨーロッパの主要都市で、回数もまあまあ多かったのですがビジネスクラスであった上に1回のフライト距離も長かったことからマイルがどんどん貯まりました。

当時はマイルをEddyに振り替えることができるのは2万マイルが限度でした(ように記憶しています)ので、それ以外のマイルはANAセレクションから選んだ物品に交換しないと期限切れになって失効するのでした。

そこで、私の場合はマイルの期限が来る前にANAのロゴが入った腕時計(10、000マイル)に替えていました。
今から思いますと、使うあてもないのによくも時計ばかりにマイルを交換したものです。

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最初に入手した腕時計は文字盤が黒いクロノグラフで、いろいろな機能が付いていてなかなか良い感じの時計でした。

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二つ目の腕時計もANAのロゴが入ったクロノグラフで、これはPCを入れたカバンのハンドグリップにぶら下げていました。

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更に4つの腕時計をマイルと交換しましたが、これらは元の箱に入れたまま使わずに現在に至っています。
その内の3つは開封してどの様な腕時計なのかは以下の写真のとおり分かっているのですが、未使用の状態です。
また、1つは未開封で内容については分からないでいます。
ま、いずれ誰かが開けることになるでしょうから、その時の楽しみにしておきます。

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2020年5月20日 (水)

INDONESIA/ Traditional Rod Puppet

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国内でも海外でもいろいろな案件で他社の人たちと非常に厳しい交渉を行うことが多々ありました。
厳しいという感覚は人によって異なることではありますが、プロジェクトティームの誰もが厳しいと感じる交渉はやはり厳しいものと言っても差支えはないと思料するところです。

このような厳しい交渉を何ヶ月かに亘って行っていますと、ある瞬間を境に「おぬし、なかなかやるのう!」とお互いに認め合う関係になることがあります。
そういう所謂信頼関係が構築されますと、交渉というのは比較的スムーズに進むことを経験的に知るようになりました。
ただし、中国は交渉相手が合意してもその上のレベルでひっくり返されることが多々あり、担当レベルへの権限移譲は進んでおらず、難渋することがほとんどでしたが・・・。

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さて、インドネシアの案件では決着までに1年ほどかかりましたが、その間に交渉相手とはある程度の信頼関係が構築できました。
一般的に交渉を行うには事前に日程、場所、そしてアジェンダを決めなければなりせん。
特に相手のトップのスケジュールがタイトな場合には、窓口になる人たちとの調整がポイントの一つになってきます。

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そこで、スケジューリングにおいて尽力してくれた人たちに折りをみて御礼のギフトを差し上げたことがありました。
そして、その返礼としていただいたのが、インドネシアの伝統芸能である「操り人形」の人形でした。

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その人形に関する詳細は分かりませんが、インドネシアに伝わる伝統的なデザインかつ色鮮やかな衣装を纏った人形です。
この人形は良い想い出の一つとして元の箱に丁寧に戻した次第です。
また、いつの日か機会があれば操り人形劇を観てみたいものですし、この人形の名前も知りたいところです。

   

2020年5月19日 (火)

セールスプロモーショングッズ/ サントリー (烏龍茶:中国宮廷料理フィギュアコレクション 満漢全席、 ジョージア:メルセデスベンツ ダイキャスト オープンカー)

1dscn7606 中国宮廷料理フィギュアコレクション 満漢全席 全13種 未開封

昔々、私が小学校の高学年から中学のころであったと記憶していますが、NHKに歌番組がありました。
それは「歌のメリーゴラウンド」という名前の番組であったように記憶していますが、そのテーマ曲「歌のメリーゴーラウンド」の歌詞に『出てくる出てくるす~てきな〇〇が!』というのがありまして、それが何度も繰り返されるのでした。

ここのところ部屋の整理をず~っとしているのですが、いろいろなものが出てくるのです。
そして、何かが出てくる毎に頭の中では軽快なメロディに載って『出てくる出てくるす~てきな◇△が!』という歌詞が流れるのです。
ただし、出てきたものがすてきかどうかは何とも言えないものが殆どなのですが・・・。

先日は段ボール箱の中から二つの袋が出てきました。
その中の一つにはサントリーの烏龍茶に付いていた「中国宮廷料理フィギュアコレクション 満漢全席」の全13種が未開封の状態で入っていました。
正確にはオーバーラップしたものもあって、16袋でしたが。

これらは、汐留で勤務していた時にビルの地下にあったコンビニam/pm(その後ファミリーマートに変わりました)で贖ったもので、ネットで調べて見ますと2006年4月頃のことのようでした。
私はオフィスで仕事をしていますと3時頃の一寸した休憩時にam/pmに降りて行き、飲み物をANAのマイルで得たEddyで購入していました。

その一環の中で烏龍茶を続けて買って集めたのがこの「中国宮廷料理フィギュアコレクション 満漢全席 全13種」で、全て未開封の状態でした。

ちょっと気になったのでネットで調べてみますと、海洋堂の作品で綺麗な仕上がりになっているようです。
因みに、価格は最高で3,500円ほどでした。
お宝という程ではないので、再び段ボール箱に戻したという次第です。

1dscn7621 メルセデスベンツ ダイキャスト オープンカー 全8種 未開封

また、もう一つの袋には同じくサントリーのジョージアのカフェオレか何かに付いていた「メルセデスベンツ ダイキャスト オープンカー 全8種」でした。
これらも全て未開封の状態でした。
ネットで調べて見ますと、アマゾンで3,400円の価格が付いていました。
これもお宝という程ではないので、再び段ボール箱に戻したという次第です。

次にこれらが箱から出てくるのはいつの日になるかは神のみぞ知り給う!というところです。

   

2020年5月18日 (月)

JAL/ モイスチャーマスク [IN FLIGHT MOISTURE MASK]

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相変わらず部屋の整理を続けていますが、クローゼットに置いてある箱の中からANAやJALのビジネスクラスで配られるアメニティグッズが多量にでてきました。
それらの中にはJALの機内で使用するマスクが十数枚含まれていました。

このマスクは機内の空気が低湿度であることから喉を傷めないように湿らせた層が組み込まれたマスクで、パッケージに日本語で「モイスチャーマスク」、英語で「IN FLIGHT MOISTURE MASK]と表記されています。

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また、パッケージの裏には使用方法と使用上の注意が記されていて、そこには機内以外での使用の禁止および使い捨てなので洗濯の禁止が明記されています。
これらの事項は昨今のコロナ騒動におけるマスク不足という状況下(現在では多少は流通量も価格も緩和されてきたようですが)何度も洗って使おうという私の思惑には心への厳しい制限となっています。

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さて、正面側から見ますと、プリーツが施されていてカップ状にして使う仕様となっていることが分かります。
また、ガーゼの向こうに淡褐色の部分が見えますが、これが保水層です。

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次に、裏側(というか顔に接する側)を見ますと、三折りにしたガーゼが添えられています。
これは、キッチンペーパーでも代用できそうなので、これは使い捨てにすべきものでしょう。

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そのガーゼを取り除きますと、耳に架ける伸縮性のひもがあり、その向こうにガーゼ、そして淡褐色の保水層が見えます。

実際に我顔に装着してみますと、若干小さめではありますが十分に使える大きさですし、マスクとしてのクオリティも高いものであることが分かりました。
使用上の注意は理解した上で、自己責任において使用と洗濯を繰り返してみようと考えている次第です。

なお、保水層に関しては、予め水を含ませて冷凍することによって短時間とはいえども夏場の冷凍マスクとして使うことも考えています。

ま、それにしてもマスクの流通量の回復と価格の低下、消毒用アルコールの供給の復活、を強く望むところです。

   

2020年5月17日 (日)

Cancun(MEXICO)/ Fiesta Americana CORAL BEACH CANCUN

1img_20200517142401 Fiesta Americana CORAL BEACH CANCUN

メキシコには仕事で訪ねることが多かったですが、その仕事の中でもウルトラに楽で豪華だったのは、カンクンというユカタン半島にあるリゾートで行われた国際会議に本社の役員さんのお供で参加したのがそれでした。

この国際会議は業界の動向などについて情報を交換するという目的のもと(独占禁止法に抵触しないことは必要条件でした)世界中のリゾート地で年に1回総会として開催されるというものでした。

私は担当業務で繋がりがあったことと前月までCANCUNに比較的近いHoustonで勤務していたことが幸いし、この会議への随行を命じられたのでした。

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仕事といいますと、メインは役員さんのための情報収集および提供、そして通訳であって、その役員さんが思慮深くかつ温厚な方であったことに加えて、事前に周到な用意をするとかあるいは会議の場で厳しい交渉を行うとかの必要はなく、極めて楽なものでした。

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また、会議の場所も用意された部屋も「Fiesta Americana CORAL BEACH CANCUN」という超高級ホテルで、仕事を除きますと殆ど全ての面で快適でした。

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なお、このホテルの部屋は全てオーシャンヴューになっていて、部屋のヴェランダに出ますとプールサイドやその向こうにプライヴェートビーチが見え、更にはカリブ海で行われるパラセーリングなども目にすることができました。

1img_0005_20200517142401 初日のオフィシャルディナー

会議は初日の午後遅くから3日目の昼食まで行われましたが、総じて和やかな様子で進みました。
また、初日の夕食はオフィシャルディナーとして開催されました。
欧米からの参加者の多くは企業を代表するエグゼクティヴで夫人同伴で来られていましたが、ご婦人方はエグゼクティブの夫人として会話も洗練されていました。
そうした会話の中で今でも憶えているのはある米国企業の役員さんのご婦人がHoustonアストロズの選手で当時デビューしたてであったCraig Biggio選手が素敵です、とのたまっておられ、Houstonにいたという私への配慮で会話を盛り上げておられたことです。
アメリカ企業で役員になる人はご夫人もいろいろ勉強されているということを目の当たりにしたできごとでした。

1img_0006_20200517142401 2日目夜のプールサイドでの会食

2日目の夕食は、主催者が用意したメキシコの衣装とソンブレロに着替えて行われました。
2日目で主要な議題は終えて、皆さんは寛いでおられました。

3日目は会議の総括で、朝遅く始まって昼前に終了し、昼食を経て散会となりました。
つまらない話ですが、昼食のデザートとして供されたメロンのカクテルが大層美味であったことは今でも印象に残っていますし、あれより先にも後にもあのように美味なメロンのカクテルには遭遇していません。

   

2020年5月16日 (土)

USA/ International Driving Permit

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アメリカ合衆国に赴任した日本人およびその家族のは赴任地でDrivers Licence(運転免許証)を取得することが多いようです。
なぜなら、アメリカは自動車社会でして、マンハッタンのような大都市の中心地に住まない限り自家用車がないと買い物を含む日常生活に不便があるからです。(Southbendのようにアーミッシュの人たちの住まわれるエリアでも移動手段として自家用馬車があります。それくらい、生活圏の範囲が広いのです。)
私もHoustonに赴任するにあたって日本で国際運転免許証を取得しましたが、赴任後は遅滞なく運転免許証を取得しました。

アメリカで運転免許証を取得しますと、これを所持することでカナダでも自動車を運転することができました。(現在でも同様のようです。)
因みに、私は仕事の関係でカナダやメキシコには年に数回は出張しており、カナダのレンタルカーオフィスではアメリカの運転免許証を提示することで問題なく車を借りることができました。

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しかしながら、メキシコではそれができないことから、出張する前に予め「International Driving Permit」(国際運転免許証)を取得して出掛けました。
基本的に私達多くの外国人にとってメキシコの街で自動車を運転するということは技術的に無理があるのでしませんが、万一の必要に備えて「International Driving Permit」を携行していました。

この「International Driving Permit」は「AAA」(トリプルA、The American Automobile Association)に申請して、数日で発行してもらえました。

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この「International Driving Permit」の最初のページには適用される国が書かれており、2ページ目には英語で運転できる車輌の種類がカテゴライズされています。
この英語のページに続いて8ページに亘り同様のことがスペイン語、ロシア語、中国語、ドイツ語、アラビア語など8カ国の言語で書かれています。
が、日本語はありませんでした。

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私の場合、アメリカでの運転免許証の内容に準じてカテゴリーBの車輌の運転に関して「International Driving Permit」が発行されています。

こうして「International Driving Permit」を携えてメキシコの主要都市であるMontereyやMexico Cityに出張しましたが、残念ながら自分で運転するという機会には恵まれませんでした。
やはり安全面からは現地の事情に熟知した運転手さんに任せるのがベストというもので、Montereyではタクシーを、Mexico Cityではタクシーあるいは取引先の自動車を利用させていただいたのでした。

ただし、当時タクシーの場合は価格交渉が必要で、予め目的地までの大まかな料金を知っていないと法外な料金を請求されるのでした。
したがって、気おくれしない交渉は必須でしたし、回を重ねるにつれてこちらもそれなりの交渉ができるようになったのでした。

   

2020年5月15日 (金)

MEXICO/ 彫像

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この彫像は、MEXICO CITYに出張した後、空港でHoustonに向かうContinental航空にチェックインしてから空港ロビーにある民芸品店で購入したものです。
民芸品店の人の説明では、オニキスという石を彫って造られたもので、戦士だったか神様だったかをモチーフにしたものだったということのように記憶しています。
高さは9cmほどのものですが、手に持ちますとズシリと重いものです。

1img_0003_20200515113801 MUSEO NATIONAL DE ANTROPOLOGIA にて

私がこの彫像を購入する気になったのは、多分ですがこの日(1991年4月13日)に「MUSEO NATIONAL DE ANTROPOLOGIA」に立ち寄り、展示してあったオルメカ文明の巨大な頭石像を観て甚く感激していたからだと朧気に記憶しています。

因みに、オルメカ文明というのはメキシコ湾岸でBC1200からBC400頃まで栄えた文明だそうで、遺跡には巨大な石像があることが特徴の一つだそうです。

私が「MUSEO NATIONAL DE ANTROPOLOGIA」で観たオルメカ文明の彫像は高さが2m程もある頭の石像で、実際に傍に立ってみるとその存在感は凄いものでした。
その印象が強かったのでこの彫像を買ったのでしたが、価格は当時の邦貨にして3000円位で、高いけれどもマ良いか!と思ったことを記憶しています。

現在は、書棚に飾っていますが、個人的には戦士というよりも神様として崇めております。

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2020年5月14日 (木)

MEXICO/ SMALL MEXICAN NUMISMATICS COLLECTION

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これはメキシコの過去(といっても1900年代の後半)に発行された硬貨のコレクションで、メキシコに出張で訪ねた際に、空港の土産物店で購入したことは記憶しています。
ただ、それがMEXICO CITYだったのか、あるいはMONTEREYだったのか、定かには思いだせないでいます。

価格は裏にある値札の30000と書いてありますからだいたい邦貨にして千円くらいであったように推察していますし、私の性格からはこういう価値の分からない商品には千円以上は払わないことも推察の根拠となっています。
まあ手堅いといえばそうでしょうし、ケチといえばやはりそうなのでしょう。

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私はコインの蒐集家ではありませんが、少なからずコインに興味を持っています。
興味のポイントは個々のコインが持つ固有のデザインにあります。
デザインされている図柄にはその国に固有の歴史的建造物、あるいは風景、はたまた植物や動物、それに国家への功労者などがあり、そのことを深く調べるとその国の事を知るための一つのアプローチとなるからです。

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とはいいましても、調べ物をするというのはかなりの労力を必要とするもので、これらのメキシコの硬貨を相手にしますと調べる前から些か疲れてしまいそうです。
ということで、本件はこれにて終了です。

   

2020年5月13日 (水)

MEXICO/ 絵画

1dscn7257 全体はA4サイズ位の大きさ

私はHouston勤務時代に担当業務の一部でメキシコに出張することが年に数回ありました。
この絵画はメキシコに出張した際に購入したのか、あるいは仕事で関係のあった人からいただいたのか、記憶が曖昧で定かではありません。
ただ、確かなのはメキシコの何処かでで手に入れたものであるということだけです。

この絵画はカラフルで、描かれているのはアステカの神様かインカの神様なのかと想像をしていますが、これもまた定かではありません。
手に入れた時に画法や描かれている神様の名前を控えておくべきであったと思いますが、すでに時遅し、後悔先に立たず、という状況です。

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なお、絵画とかきましたが、所謂ペインティングの絵画ではなくて、色の付いた細い棒を並べて作り上げられたものです。
いろいろな色の細い棒が根気よく並べられたもので、色の違いを使い分けてありますし、グラデーションも施されています。
なかなか手の込んだ細密な仕上げがなされています。
メキシコにおける伝統工芸品なのでしょうか。

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この絵画に関しましては、この一文を書く前にネットを検索しましたものの情報を得ることはできずにいます。
引き続き調査は進める所存ですが、時間はかかることでしょう。

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なお、この絵画はクロゼットに置いてある箱の中に眠っていたものです。
将来額装することも考えていますが、私の部屋には飾るスペースがあまりないので実現するかどうかはなんともいえないのが実情です。

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2020年5月12日 (火)

色紙/ 敏いとうとハッピー&ブルー

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引出しの整理が終わらないのにクローゼットに手を付けたものですから、シッチャカメッチャカになって収拾がつかない状態に陥っています。
クローゼットには段ボール箱が数箱に大型のスーツケースが2個、それに種々雑多なものが詰め込んであるバッグなどなどがありました。
先ずは手始めに段ボール箱を出して中身の確認をできるものから片付けを始めました。が、始めて2時間ほどでイヤになってきています。

箱を開けて中身を出しますと、色紙が出てきました。
現役時代のことですが、銀座のクラブでTY氏と飲んでいますとムード歌謡で有名な「敏いとうとハッピー&ブルー」のヴォーカルの方が居られました。
この方はママさんの知り合いということで、フラリと立ち寄られたとのことでした。
この方とはママさんを介して少しだけ話をさせていただきましたが、非常に腰の低い謙虚で丁寧な受け答えをされる人でした。

そして、ママさんのアレンジもあって一曲歌っていただけるという幸運にめぐまれたのですが、改めて述べるまでもなく実に秀逸なる歌を聴かせていただけたのでした。
ステージではなくて僅か3mほど向こうでプロの歌手さん、それも著名な人に歌っていただくというのはめったにあるものではありません。
それに歌だけではなく色紙までいただいたのでした。
すべてクラブのママさんが取り仕切ってくださったのでしたが、費用はまったく請求されませんでした。
これが銀座のクラブの心意気ってぇものです。

   

2020年5月11日 (月)

Golf/ Tiffany (Marker, Green Repairer) 

1dscn7102 マーカーの皮ケース

私ははっきり言ってゴルフは下手くそです。
スコアが100を下回ったことは人生で数回しかありません。
とはいえ、Houston勤務時代の休日には土地柄ゴルフをするかテニスをするか、はたまたぼ~~~っとするかくらいしか他にすることがないので、最初の数年間は毎週末に1ラウンド以上はゴルフをしていました。
が、下手くそなので余り楽しくはありませんでした。
私にとってゴルフというものの唯一のメリットは広いゴルフ場で気分がスッキリするということでした。

1dscn7107 ケースとマーカー

そのゴルフが下手くそな私でしたがマーカーとグリーンリペアラはティファニーの銀製のものを使っていました。(ティーは無くなることが多いものですので買わなかったです。)
実にピッグにパール、キャットにコインというものでした。

昨日は机の引出しに米軍仕様を模した「認識票」が入れてあることを書きましたが、同じ引出しの中にはアメリカ勤務時代にゴルフで使っていた「TiffanyのMarkerと Green Repairer」があります。

1dscn7219 グリーンリペアラ

数年ぶりにそれらを引出しから取り出して見ますと、手入れが疎かになっているせいで汚れが酷く付いていました。

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そこで、以前買った「富士山消しゴム」で表面を拭いますと、あ~ら不思議という感じで光沢が戻ってきました。
めでたし、めでたし、です。
とはいえ、もう使うことはなさそうなので、引出しの奥に戻した次第でした。

1dscn7251 マーカーの刻印

1dscn7249 グリーンリペアラの刻印

   

2020年5月10日 (日)

認識票(米軍仕様的)

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昨日は机の引出しに「ピンバッヂ」を入れてあったことを書きましたが、同じ引出しの中には「認識票」がありました。

認識票というのは米軍の兵士が首から下げているもので、俗称はDOG TAGと称されるものです。
認識票には名前や社会保障番号などが刻印されているもので、2枚で一組になっていて戦死した場合には1枚が仲間によって口の中あるいは歯の間に入れられるというものだそうです。(あくまでも映画や本での知識ですから間違っているかもしれませんが・・・。)

私が持っているのは横須賀のDOBUITA STREETにある「SURPLUS SHOP FUJI Military」という米軍の放出物資を扱う店で刻印代込みで売られていたものです。
したがいまして、これは本物ではなく、また記入されている事項は米軍のものとは異なっています。

横須賀を訪れた2007年4月当時は、価格が2,400円+消費税(5%)で、今から思いますと私的には結構高いものです。
購入してからは1回も外に持ち出したことはなく、引出しに仕舞ったままになっています。が、敢えて外出時に持ち出すというものでもなく、はたまた私の名前が刻印してありますので人に差し上げる訳にもいかず、引出しに仕舞ってあるだけの状態です。

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なお、この横須賀に行った日はHO氏と一緒で、昼食は「ぐいのみ」という店で「鶏野菜玉子炒め」を食べたのでした。
今から思い返しますと、折角横須賀に行ったのに何故に海軍カレーあるいは横須賀バーガーという名物料理を食べなかったのか、と反省するところです。

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ところで、先日の「ケンミンショー」では味噌汁の位置は東京は手前かつご飯の右側に置き、大阪ではご飯の右側はメインの料理で味噌汁は向こう側に置くということが放送されていました。
私は何の疑問も無く味噌汁はあちら側でメインの料理は手前右側と思っていました。
東京に住んで20数年になりますが、記憶の中ではときどき手前にある味噌汁を向こう側にして、メインの料理を手前に移し替えたことは憶えています。
東京における会社勤務時代は昼食はほとんど外食に頼っていましたから、多分ですが過去には我知らずの内に大阪式の味噌汁は向こう側に移し替えていたものと推察しています。
なお、敢えて考えますと、メインの料理は右側(右利きの人が前提)、ご飯は左側で、かつ食べる人に近い処に置くというのが合理的なように思いますが・・・。

   

2020年5月 9日 (土)

ピンバッヂ/ NASA、 軍艦旗、 Z旗、 他

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昨日は机の引出しに「テレフォンカード」があったことを書きましたが、同じ引出しの中には「ピンバッヂ」を置きました。

ピンバッヂの中には想い出のあるものもあり、その一つはGOODYEAR CHEMICALS社のものです。
GOODYEAR CHEMICALS社はOHIO州CLEAVELANDにあり、年に1回商談で訪ねました。
その席には購買担当の役員さんが出席されるのですが、その人は温厚で上品な紳士で勝手なことを書きますと我祖父に良く似て居られたのでした。
商談が終わってちょっとした雑談に移った時のことでしたが、私はその役員さんに我祖父が似ているという旨のことを話ました。
そして、それがきっかけで打ち解けた雰囲気になりました。
また話題が会社のバッヂのことになり、綺麗なバッヂであると思っていることを告げますと、その役員さんはスーツの襟に付けておられたピンバッヂを外して私に手渡してくださったのでした。
ま、それだけのことなのですが、ビジネスだけでなく人間関係で相互の少し距離が近づいたという印象を持ったことでしたので、記憶しているできごとです。

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次は、New YORKのLaGuardia空港(LGA)からContinental航空でHoustonのIntercontinental空港(IAH)に向かう機内でのことでした。
この日も運良くファーストクラスに席を確保できたのでしたが、隣にはNASAの飛行士の人がおられました。
そんなに長い間話をしたのではありませんでしたし、スペースシャトルの乗員ではないとのことは教えてくれましたがあまり詳しい事は機密事項であるとのことで、NASAに関する差し障りのない話が主体でした。
最後に、サインを貰いましたが、その際に飛行機のピンバッヂもいただけたのでした。
なお、サインにつきましては残念ながら行方不明になっています。


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2007年4月14日のことでしたが、朋友のHO氏と横須賀に行きました。
その時、日露戦争の時に連合艦隊の旗艦である「三笠」にも訪ね、売店で贖ったのが「Z旗」と「旭日旗」のピンバッヂでした。

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これらの二つのピンバッヂはM社勤務時代の社員証を下げるネックストラップに付けていましたが、特に何かを意識したわけではありませんでした。

1dsc00222 東郷元帥像と記念艦三笠

   

2020年5月 8日 (金)

ヘアカットコーム

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2月の中旬に理髪店に行ったのでしたが、その後は理髪店には行かないで現在に至っています。
ということは、前回の散髪からほぼ3カ月になろうという頃合いとなりました。

コロナ騒動が酷くなってから理髪店に行かないのは理由があります。
それは、3年程まえのことでしたが、通っていた理髪店でインフルエンザを移されたことがあったからです。
呼吸器の弱い私はそれはもう酷い症状で、インフルエンザに続いて気管支炎になり、トータルで3週間に亘って苦しんだのでした。
そういう経験がありますので、現在お世話になっている理髪店を疑う訳ではありませんがコロナ騒動になってからは大事をとって理髪店に行くことは控えているのです。

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そこで、活躍してくれているのが「ヘアカットコーム」という商品名の新兵器です。
これは私が赴任したHoustonに家族を呼び寄せるにあたって息子の整髪用に買った道具で、刃が4枚並んだ髪の毛を梳きながらカットする優れ物です。
あの当時はエイズに対する備えが必要で、息子は理髪店には行かずに自宅で髪の毛を整えたのでした。
この「ヘアカットコーム」は、日本に帰ってからは活用する場面は皆無でしたが、現在は私個人用に重宝する道具となっています。
見た目は単純な構造なのではありますが、道具というものは使いようでして髪の毛を梳くだけでなく刃の方向をコントロールすることで頭髪の裾の部分までも短くできるのです。
先日、湯浴みの際に実際にこれを使って髪の毛を整えましたが、予想以上に上手く仕上がりました。
ただし、頭頂部の毛は短くなりすぎてピンピンに立っていますが・・・。

なお、余談ではありますが、私はHouston時代はJessyというメキシコ系のおっちゃんが経営する理髪店に通っていました。
ここはエイズの件は安全ということで紹介された店でした。
場所はダウンタウンにあるTEXACOビルの地下にあり、従業員さんはかなりの数が居られたように記憶しています。
予め電話で予約しておいて、オフィスから地下道(トンネルと称されます)を右に左にと通って行きます。
到着するとオーナーであるJessyが自分専用の個室に案内してくれて、たいへん愛想よく会話をしながらカットをしてくれました。
かれはプロゴルファーのLee・Trevinoと親しくしているようで、その話がよくでました。
カットが終わるとブロアーを使って切った髪の毛を吹き飛ばして終了です。
日本のように顔を剃ったり髪の毛を洗うということはありませんでした。
従いまして、Jessyの店には夕方に行って、一旦オフィスに戻ってからすぐに家に帰るというパターンでした。
なぜなら、そうしないと髪の毛の切れ端が首から背中に入ってきてチクチクするからでした。

NYに移ってからは、マンハッタンの中程で営業する大阪が本店の「Momotarou」という日本式理髪店に通いましたが、私を担当してくれていたお兄さん(日本人)がサンダル履きで、その踵を掻いた手を洗わずに(仕事中に足の踵を掻くということ自体がイカンと思いました)私の髪を切っていたので次回からは店を変えて、RYEにある日系の理髪店に行くようになりました。

   

2020年5月 7日 (木)

テレフォンカード/ 90.8夏の甲子園野球大会、 1985阪神タイガース優勝

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昨日は机の引出しに米国勤務時代に飛行機の中で貰ったアルコール飲料の「ミニチュアボトル」が置いてあることを書きましたが、その近くには「テレフォンカード」を置きました。
テレフォンカードはもう今では誰も使わなくなったものですし、一時はコレクターアイテムとして扱われていたように記憶しています。

さて、引出しの中で眠っていたカードに「1990年の夏の高校野球甲子園大会」のものがあります。
世が世なら価値の高いものであろうかと推察しています。
このカードはYH氏から譲り受けたもので、氏の父君様が関係者の方から入手されたものであると伺ったような記憶が朧気ながらあります。
今年は高校野球の開催もコロナ騒動のせいで叶わぬようですが、何とも不憫なことです。

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次の一枚は阪神タイガースが1985年にリーグ優勝した時のものです。
こらは我父から貰ったように記憶していますが、父がこういうカードに興味を示す人ではありませんでしたので、誰か知人から譲り受けたものであったろうと推察しています。

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因みに、我父は生粋の阪神ファンでありましたが、どちらかというと礼節をわきまえる穏健派の阪神ファンでした。
私はその父の影響で生まれながらに純粋培養された阪神ファンです。
また我息子も純粋培養したのでしたが、今は野球よりはサッカーに興味があるようでセレッソ大阪のサポーターを自称しているようです。

1img_20200507142101 1枚はQuoカード

また、テレフォンカードは会社の創立記念や社会的に著名な賞の受賞記念、はたまた個人ではホールインワンなどの記念で配られることが行われていました。
引出しの中にはそういうカードが10数枚ありますが、その中にゴルフのホールインワンのものが3枚ありました。
ホールインワンは狙って達成できるものではなく、この3人という数字が多い方なのかどうかは知り得るところではありません。
私がゴルフをしていた頃は、ホールインワンをしようものなら、複数回に亘る祝い事で食事や記念品の準備、ゴルフクラブで掲げられる名前のプレート代やキャディさんへの心付けなどなど数十万円がかかるという時代で、そのための保険もありました(今でもあるようです)。

   

2020年5月 6日 (水)

USA/ Continental Airline (Miniature Bottle)

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今日は5月6日で、大型連休の最終日です。
(人によっては7日(木)と8日(金)を年休にするか、あるいは勤務先の都合で休みとなっている人たちにとっては10日までの超大型連休となるようですが・・・。)

さて、引出しの片づけをず~~~っと行ってきましたが、流石に今日まで時間をかけるとほぼ片付くというものです。
ただし、問題は山積みでして、引出しの中から廃棄すると決めたものの一部が捨てきれずに部屋の隅に残っているのもその問題のひとつです。
とはいえ、リタイアした身としては時間はたっぷりありますので、ぼちぼち片づけることにしています。

先日は机の引出しに「スイスアーミーナイフ」と「マネークリップ」があることを書きましたが、その近くには米国勤務時代に飛行機の中で貰ったアルコール飲料の「ミニチュアボトル」を置きました。
ミニチュアボトルは4本しかありませんが、30年近く前のものでして改めて良く残っていたものだと我ながら感心しています。

1dscn6900 Glenfiddich(初めてあるいは2回目でしたが、韓国に出張した際に金浦空港の免税品店で初めて買ったのがこのスコッチでした)

私は1987年に米国Houston市に赴任したのでしたが、そこはContinental航空(その後United航空に合併された)の本社がありIAH空港はそのハブ空港となっていました。
したがいまして、出張にはほとんどの場合Continental航空を使うのが便利でした。
当時から米国の航空業界はマイレージプログラムが充実していて、Continental航空では「OnePass」というプログラムが運用されていたのですが、出張の多かった私のステイタスは5カ月ほどの間に最上級の「Gold Elite」になっていました。

1dscn6901 Grand Marnier

この「Gold Elite」というステイタスでは、エコノミークラスのチケットでもファーストクラスの席が空いていますと最優先でアップグレードしてくれるのです。(それ以外にも特典は多数あり、例えばフライトポイントはプラス100%(エコノミークラスの倍)になったり、あるいは特典航空券がもらえたりと優遇措置があったのでした。)

そして、ファーストクラスでは食事も多少良いですし、飲み物も自由にいただけました。
多くの場合、飲み物はワインをいただいていましたが、食後の飲み物にはウィスキーやリキュールを選択していました。
そして、供されるのはミニチュアボトルのものでした。

因みに、ファーストクラスの乗客は私のようなフライトステイタスの人よりも企業のエグゼクティブが多くおられ、いろいろな話を聴けるというメリットもありました。
ある日、詳細は忘れましたが、私の隣に座った人から教えられたことの一つに、コーヒーに「Grand Marnier」を合わせるというものでした。
合わせるといいましても別々に飲むということではなく、コーヒーの中に「Grand Marnier」を注ぎ込むというものでした。
これがポピュラーな飲み方なのかは知るところではありませんでしたが、その後2~3回くらいこの方法で飲んでみました。
そして、やはり私的には「Grand Marnier」はそのままいただく方が好ましく、現在も「Grand Marnier」はストレートか偶にカクテルでいただいている次第です。

   

2020年5月 5日 (火)

PILOT’S MANUAL FOR BOEING B-17 FLYING FORTRESS

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先日、1992年のGalvestonにおけるAirshowで見たB-17のことを書きました。
その際に情報を整理するために書棚にある本を調べたのでしたが、「PILOT’S MANUAL FOR BOEING B-17 FLYING FORTRESS」が目に留まりました。

この本はWisconsin州OshkoshにあるEAAの航空博物館で1994年に購入したものです。

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内容はB-17のFタイプとGタイプの飛行マニュアルで、全109ページにわたって機内各部署に関する事項が記載されています。
その各部署は11のセクションに分けられていて、乗員それぞれが飛行前から着陸後までになすべき事項が記載されています。
全てを紹介することはできませんので、各セクションの最初のページを載せました。

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2020年5月 4日 (月)

Confederate Air Force

1img_20200503153901 フライトスーツの左胸に

「Confederate Air Force」は現在では「Commemorative Air Force」と名称を変えたNPOとなっているようです。
詳しくはHP「https://commemorativeairforce.org/ 」を参照していただければと思います。

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私が片倉大佐殿にお世話いただいていた1990年から1992年の頃とはCAFの活動内容は基本的に変わってはいないように思えますが、といっても当時はメンバーの方々と親しく話をさせていただいた程度で組織について詳しく知っていたわけではありませんので、機会がありましたら調査し改めて記述したいと思うところです。

1img_0004_20200503154501 片倉大佐殿よりいただいたCAFのネイムプレイト、私の名前にもCOL(大佐)を付与していただいた

また、余談ではありますが片倉大佐殿がCAFのメンバーになられた際の話としては、CAFのメンバーの面接を2回受けられ、特に2回目は上層部の面接でその人となりが評価され、CAFに相応しい人物かどうかの判断が下されるということでした。
片倉大佐殿は温厚な性格であるとともに博学にして多才な人であり、また日系企業のトップとして活躍されていましたので、即決でメンバーに認められたということに疑問を挟む余地はありません。

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1dscn7140 フライトスーツの左肩に

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2020年5月 3日 (日)

Galveston(Texas)/ North American B-25, Lockeed PV-1

1img_0002_20200430162601 North American B-25 爆撃機

今回は、昨日の続きです。
大型の機体が轟音とともに飛び交い、着陸後は展示されました。

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1img_0002_20200430162602 Lockeed PV-1 哨戒・爆撃機

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1img_0006_20200430162701 改造機

アメリカには財をなした人が昔のT-28練習機などを戦闘機仕様に改造して楽しんでいる人も多く、この機体は零戦を模したものでした。
ただ、本物を見たことが無くても明らかに違うことは分かるものでした。

   

2020年5月 2日 (土)

Galveston(Texas)/ Boeing B-17G-DL Flying Fortress ’Thunderbird’

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全米には航空機の博物館が多くあります。
そして各50州の中には規模の大きいものが複数あるのですが、その多くは米国が過去に参戦した際に使用された航空機を展示しています。
それは米国が戦勝国であったことから多数残存した航空機で戦後に解体されなかったものが民間に払い下げられたりあるいは寄贈されたからのようです。
これらの航空機の中には復元や整備が施されて、現在でも飛行できるものが多数存在しています。

1992年5月当時、Galvestonには「LONE STAR FLIGHT MUSEUM」(現在はElligton空軍基地の近くにあります)があり、当時も今もテキサス州のみならず全米でも屈指の航空博物館の一つとして 有名です。

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1992年5月2日、「Confederate Airforce」の片倉大佐の所有機で参加させていただいたAirshowの際に展示されていた航空機を観て回る機会に恵まれました。

最初に訪ねたのは第2次大戦の爆撃機として最も高い人気を集める「Boeing B-17 Flying Fortress」でした。
この機体は非常に良く整備されていて、この日には実演飛行も行われました。
また、パイロットも熟練の人のようで、3点着陸(前輪2脚と後輪1脚を同時に滑走路に接地させる)を綺麗に決めていました。

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機体の外観も綺麗に整えられていました。
また、多くの人が機体の周囲に集まっていてのどかな雰囲気に思えましたし、ヨーロッパで戦争に参加し生死をかけた兵士がこの機体に搭乗していたとは思えないくらい穏やかな空気が漂っていたのでした。

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なお、「WARBIRD HISTORY B-17 Flying Fortress」を参照しますと、この機体の緒元について次のように記載されています。

 Designation    B-17G
 No.Built         8,680
 Wingspan      103'9"
 Length          74'4"
 Height          19'2"
 Engines        WR-1820
 Top Speed    302mph
 Cruise          160mph
 Range          3,750mi

 Serial Number B-17-DL 42-38050

1img_0002_20200430161801 303rd Bomb Groupのマーキング(出典:WARBIRD HISTORY B-17 Flying Fortress、1994)

1img_20200430161001 B-17G-DL ’Thunderbird’ (出典:WARBIRD HISTORY B-17 Flying Fortress、1994)

1img_0001_20200430161001 WARBIRD HISTORY B-17 Flying Fortress、1994

   

2020年5月 1日 (金)

Galveston(Texas)/ Col.Katakura, Confederate Air Force

1img_0003_20200430163501 JFK with Col.Katakura and ’Stinson L-5 Sentinel’

1992年の5月は私はヒューストンからニューヨークに転勤したばかりで、結構忙しくしていました。
しかし、ヒューストンに居た間に知遇を得た「Confederate Airforce」のCol.Katakura(片倉大佐殿)のお誘いを受けて、ヒューストンの南のメキシコ湾に面したGalvestonで開催されるAirshowに参加する機会を得たのでした。

時は1992年5月2日のことで、前日にヒューストンに入り、早朝から片倉大佐殿が所有かつ操縦される機材(Stinson L-5 Sentinel、陸上自衛隊仕様の塗装)に搭乗し、Houston郊外にある大佐殿の機体が格納されている飛行場からGalvestonへ飛んだのでした。

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「Stinson L-5 Sentinel」という飛行機は、第二次大戦において米軍の連絡機あるいは観測機として使われた飛行機です。
その搭乗席は2座席で、前後に並んでいます。
また、機体の用途の一つに観測という任務がありますことから窓外の眺めは良く、地上だけでなく水平線、地平線まで良く見えました。

飛行においては、操縦される大佐殿が前部座席に、私は後部座席に着座し、しっかりとシートベルトで体を固定しました。
離陸においては、大佐殿が駐機されているHousuton西方郊外の飛行場は滑走路が短いのでしたが、機体は高翼で安定性が良いことから数十mの滑走でフワリと離陸したのでした。

1img_0004_20200501150701 Galveston Causeway (I-45)

そして、片倉大佐殿の操縦される機体はライス大学の上空を通過し、フリーウェイI-45に沿うようなルートでGalvestonに至り、滑らかな着陸後、誘導車に従って駐機スペースに導かれました。

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駐機後、私達はAir Showに集まった第2次大戦当時のB-17や各種機材を観たりして夕方まで過し、再び大佐殿の操縦される「Stinson L-5 Sentinel」でヒューストンに戻ったのでした。
JFKにとりましては、後にも先にも一回だけの貴重な経験でしたが、この機会を与えてくださった片倉大佐殿には心から感謝いたしております。

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