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2020年4月

2020年4月30日 (木)

Swiss Army Officer’s Knife, Money Clip

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昨日は机の引出しに北京で贖った「箸セット」があることを書きましたが、その近くには「スイスアーミーナイフ」と「マネークリップ」が置いてあります。

「スイスアーミーナイフ」は折り畳んだサイズが66mm程の小さなものです。
胴体の反対側にはM社の米国法人の名前が記されていて、顧客サービス用の品だということが分かります。
使い道としてはハサミとナイフの部分が主で、封筒を開けたり糸の様なものを切ったりするくらいのことだけでした。
また、リングは私が後から付け足したもので、ここにオフィスのカギをぶら下げていました。(当時はヒューストンもニューヨークもオフィスのドアが手動の鍵で開けていました。)
この「スイスアーミーナイフ」は常にカバンに入れて持ち歩いており、出張の時も同様でした。
当時は空港のセキュリティチェックは厳しくなくてこのようなナイフを機内に持ち込むことができたのでした。
多分ですが、NYワールドトレードセンターが標的になった9・11以降に厳しくなったように思います。

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もう一つは1991年に入手したもので、ヒューストンのホテルで行われた日系企業とXXXONのJV設立記念パーティでいただいた「マネークリップ」です。
記憶が確かでしたらZIPPOのものであったはずです。

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これにもナイフ、ヤスリ、そしてハサミが付いていますが、主たる使い道はマネークリップでした。
これも長い間に亘って出張に持っていきましたが、今では飛行機に持ち込むことはできないことから引出しに置いてあります。

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2020年4月29日 (水)

北京/ 王府井 友諠商店 (箸セット)

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引き続き机の引出と本棚を片づけていますが、この大型連休中には終わりそうもありません。
なぜならば、一品毎に暫し眺めているからです。

昨日は机の引出しにANAからいただいた「トラヴェルクロック」があることを書きましたが、その近くには「箸セット」が置いてあります。

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この「箸セット」は1990年7月に北京を訪ねた際の最終日に友諠商店で買い求めたものです。
残念ながら購入価格は憶えていませんし、記録もありません。

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この「箸セット」は箸箱、スライド式の蓋、2本の箸、で構成されています。
材質はどれも同じですが、種類は分かりません。
分かるのはかなり硬質の木材でできているということだけです。

スライド式の蓋には「祝君長寿」と文字が彫り込まれたところに明るい緑色の着色が施されています。
また、箸は収納するのに頭と先端を逆向きに並べるという工夫がなされていて、嵩張らないようにとの配慮がなされているようです。
が、一方で箸箱の長さは265mmほどあり、携帯用としては若干長いように思えます。

何時の日か観光で中国を訪ねる時には持参しようと思って購入したと記憶していますが、使ったことは未だありません。

   

2020年4月28日 (火)

ANA/ ノヴェルティアイテム (トラヴェルクロック)

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引き続き机の引出と本棚を片づけています。
昨日は机の引出しに「吉井本家火打石」があることを書きましたが、その近くにはANAからいただいた「トラヴェルクロック」が置いてあります。

ANAからこのトラヴェルクロックをいただいたのは、米国勤務の終わり頃か、あるいは帰国してほどない頃であったと思います。
当時のANAは国際線に参入して10年に満たない頃で、サービス内容は群を抜いて良かったのではないかと推察しています。
私は日米間の往復あるいは欧州出張などではANAを使っていましたが、国際線のビジネスクラスに乗りますと搭乗記念品としていろいろと今では考えられないようなギフトをいただけました。

それらの内の一つが「トラヴェルクロック」で、「辻が花」の意匠が施された文字盤になっていたり布製の袋で包まれていたりしています。

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ANAの「トラヴェルクロック」は縦66mm、横56mm、厚16mmほどの小さなもので、旅行鞄に入れて持ち運ぶのに便利な大きさです。
また、私は国の内外に係わらずホテルの時計はあまり信用しておらず、特に海外出張の際には起きる時間を間違えることがないようこのANAの「トラヴェルクロック」を使い続けてきたのでした。
特に時差ぼけの状態で熟睡段階に入った現地の早朝にこの「トラヴェルクロック」が目を覚まさせてくれたことが何度もあり、あの時の頭がボ~~~ッとした寝起きの情景は今では懐かしい想い出となっています。
この「トラヴェルクロック」は私にとって海外出張の重要なアシスタントだったのでした。

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2020年4月27日 (月)

Jakarta(INDONESIA)/ MUSEUM NATIONAL (Pithecanthropus Erectus)

1img_1585 MUSEUM NATIONAL

机の引出しの中を整理しようとすると、そこだけではなく本棚にも影響が広がり、結果として整理する対象が部屋全体に及んでしまいました。
という状況の下、ふと手にした小さな一冊の本がありました。
表紙を見ますと、あななつかしや!、それはインドネシアの首都ジャカルタにある国立博物館「MUSEUM NATIONAL」のガイドブックでした。

1img_1584 MUSEUM NATIONALのエントランス付近

私はあるプロジェクトでジャカルタとシンガポールに頻繁に出掛けることが多くなりました。
その中で、相手のある交渉が主体であったことから時間に空きが生じることが稀にあり、そうした時間を機会ととらえてインドネシア国立博物館「MUSEUM NATIONAL」を訪ねることができました。
目的は、世界最古の原人である「Pithecanthropus Erectus」の骨を見ることにありました。

時は2006年9月13日の午後のことでした。

この日は、午前中で協議が終わり午後はポッカリと時間が空きましたので、昼食後に現地法人のカンパニーカーを借用して「MUSEUM NATIONAL」に向かいました。
車寄せで降りる際に運転手さんの携帯電話番号を控えてから、エントランスに向かいました。

すると、エントランス付近には3人の男性が居られて、私に「チャイニーズ?」と話しかけてきました。
私からは英語で「ジャパニーズ」と伝えると、俄かに日本語で「ジャワゲンジン」「ジャワゲンジン」と連呼してきたので、私からは「ピテカントロプス エレクトス」と返しました。
すると、この人たちはこの博物館に努める人たちであったようで、その内の一人のお兄さんが案内してくれるということになったのでした。

1img_0004_20200426111001 チケット

先ずはエントランスを入って直ぐの場所にあるデスクでチケットを購入し、案内してくれるというお兄さんに付いて中に歩を進めました。

1img_20200426130001 MUSEUM NATIONALのフロアプラン

1img_1583 中庭

エントランス部分に直結する石像展示室(フロアプランの16番)を抜けると、明るい中庭の前にでました。
中庭にはジャカルタの9月の温度も湿度も高い空気が溢れています。

1img_1581  ゾーン4~8番の回廊

そこから右側のゾーン(4~8番)を通り抜けて奥のPREHISTORY COLLECTIONの部屋(10番)に連れていかれ、ここに「ジャワゲンジン」の骨がある、と告げられました。
余談ですが、館内には警備の人は皆無で、所謂セキュリティが心もとないように見えましたので、お兄さんに「ピテカントロプス」(私もジャワゲンジンとは言わずにピテカントロプスと言い続けましたが、すこし頑固すぎたかもしれません)の骨は本物ですか?と問いました。
するとお兄さんは「レプリカ」ですと告げてその場を去っていったのでした。

1img_1574 PREHISTORY COLLECTIONの部屋(10番)

さて、一人残った私は展示を見ていきましたが「Pithecanthropus Erectus」と表示された骨をなかなか見つけることができませんでした。

1img_1566 Pithecanthropus Erectusと表示された骨(レプリカ)

そして、大腿骨と思しき展示に「Pithecanthropus Erectus」の表示を見つけたのでした。
レプリカとはいいましても良くできているように見えましたし、ジャカルタの国立博物館で見たということに些か嬉しいものが感じられたのは正直なところです。

1img_1571 Pithecanthropus Erectusに関する説明

なお、「Pithecanthropus Erectus」という表示はなされていないものの同じ場所に展示されていた骨の写真は以下に掲載しました。

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1img_1572 館内奥の部屋(8番)からの眺め

1img_1575 ゾーン11~13番の回廊

さて、暫し「Pithecanthropus Erectus」(レプリカ)を観させていただいた後、館内を一通り回りました。
いずれも素晴らしい展示でしたが、中には古の日本との交易を伝える展示もあり、それらの中には「大判」もありました。多分これもレプリカでしょうけれども、インドネシアと日本の歴史的繋がりを改めて認識する上で一見の価値はあるというものです。

1img_1582 BHAIRAVA石像(16番)、ずっと向こうはエントランス

1img_1586cat 昼寝するニャンコ

一通りの見学を終わってエントランスゾーンに戻り、博物館の駐車場で待ってくれているはずのカンパニーカーの運転手さんに携帯電話から連絡しました。
が、繋がらないとうメッセージが聞こえてくるだけで埒があきません。

致しかたがないので、身ぶり手ぶりで博物館のエントランスの人に頼んで呼び出しを行ってもらいました。
が、いくら待っても車は現れません。
そうこうするうちに、エントランスの外側で土産物の屋台を引くオジサンが近寄ってきて「吹き矢」のセットを薦めてきたりしました。
結構しつこかったのですが、私自身は買いたいという思いと、買って帰ってもどうしようもないなという思いの間で心が揺れ動いたのでしたが、結局は買わずに終わったのでした。

さて、車は現れず待てど暮らせど状態になりつつありましたので、危険かもしれませんが意を決して地下の駐車場まで歩いていくことにしました。
地下の駐車場は些か広いのでしたが、ゆっくり見てまわりますと、カンパニーカーがありました。
そして、カンパニーカーの中では運転手さんは窓ガラスに顔を付けてぐったりしていたのでした。
すわ一大事!と思いながらもよ~く観察しますと、運転手さんはぐっすりと昼寝をしていたのでした。
電話が繋がらなかったのは場所が地下であったため、呼び出しが功を奏さなかったのは運転手さんが熟睡していたため、であったことが判明した次第でした。


1img_20200426111001 MUSEUM NATIONAL GUIDEBOOK

1img_0001_20200426111001 Pithecanthropus Erectus

1img_0002_20200426111001 大判

1img_0003_20200426111001 BHAIRAVA

   

2020年4月26日 (日)

火打石/ 吉井本家 (火打石、火打金)

1dscn7100 火打石と火打金

引き続き机の引出と本棚を片づけていますが、部屋は少しは片付いたものの依然としてシッチャカメッチャカで収拾がつかない混沌とした状態になったままです。

昨日は、机の引出しにはNYの「Blue Note」の2階にあるギフトショップで購入した「Key Ring」と「小さなハーモニカのペンダント」があることを書きましたが、その近くには「吉井本家火打石」が置いてあります。

「吉井本家」といえば火打石の老舗で200年の伝統を誇るお店(オタナ)だそうです。

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じゃあ、ちょっくらいってくらぁ

ちょいとおまいさん、おまちじゃないかえ

カチカチ!
きをつけていくんだよ、おわったらよりみちせずにかえっといで
お~、まかせときなってぇことよ、ありがとよ

などという縁起をかついで切り火を打つという場面に自分自身の日常では遭遇したことはございませんが、火打石とくればやはり縁起のものでございますな。
この火打石はアメリカに持っていっておりましたが、お蔭で大過なく過ごすことができました。
カチカチ!

   

2020年4月25日 (土)

New York/ Blue Note (Key Rings,Pendant)

1dscn7067 テーブルの上に置かれるCLUB POLYCY

まだ机の引出を片づけていますが、ついつい本棚に気が向いて本棚もちょっと整理しはじめたらシッチャカメッチャカになってしまい、現在のところ私の部屋は収拾がつかない混沌とした状態になっています。

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先日は机の引出しには「TYLENOL」があることを書きましたが、その近くにはNYの「Blue Note」の2階にあるギフトショップで購入した「Key Ring」と「小さなハーモニカのペンダント」がありました。

これらは、「Blue Note」を訪ねた際に何となく購入したものです。
どれも未使用ではありますが、保存状態がイマイチで表面は汚れてしまいました。

1dscn7068 縦37mm、横66mm、リングの直径28mm

アメリカに赴任した最初の都市はテキサス州ヒューストン市でしたが現地法人の本社はNYにあり、毎月1回でしたが会議があってNYに出張しました。
日帰りの出張は時間的に厳しいので、NYには1泊あるいは2泊しました。
その際にはマンハッタンの中のホテルに宿泊しましたので、社内の会食が終われば時間を持て余すということもありました。
そこで、赴任して半年ほどしてだんだん慣れてきた頃から、日本からの出張者の相手で更にもう一杯付き合うことになったりした場合、日本人クラブでのカラオケということも多々ありましたが、その一方でGreenwich VillageでのJAZZ、あるいはSOHOエリアでもう一杯と提案しますと皆さん興味をしめされることも多くありました。

1dscn7069 縦26mm、横44mm、リングの直径28mm

ということで、「Blue Note」にはそこそこ訪ねるようになりました。
しかしながら、予約して行くわけではなく、当日の入場待ちをする人たちを追い越して入場するにはそれ相応のテクニックが要るというもので、何度か訪ねる内にエントランスで仕切っているお兄さんと知り合いになって、最優先で中に入れてもらえるようになりました。
更には、お兄さんの口利きで中央の良いテーブルがアレンジしてもらえるようになったのは幸運なことでした。

1dscn7073 縦39mm、横108mm、リングの直径33mm

なお、お兄さんとの人間関係を築くことも大切ですが、お兄さんにそれ相応の心付けを手渡すことはそれ以上に大切なことでした。

1dscn7079 ハーモニカ(横34mm、縦13mm、厚み12mm)

1dscn7076 箱にはBlue Noteのロゴ、ハーモニカにはOKとGOLDENCUPの文字

1dscn7081 音も出る

   

2020年4月24日 (金)

NY/ Palace Theater (Disney's BEAUTY AND THE BEAST A NEW MUSICAL)

1dscn7056 OFFICIAL BOOK

今日は青空の所々に雲が浮かんではいるものの陽射しが良いことから温かく、久しぶりに窓を開けていますと爽やかな風が入ってくるというまさに春の好い天気となりました。
ただ、外に遊びに出ることは控えていることから徒然なるままに新聞を斜めに読んでいますと、テレビ欄に「美女と野獣」が載っていました。

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それで思い出したのが、NY時代に観た「Disneys BEAUTY AND THE BEAST A NEW MUSICAL」でした。
記憶を遡ってみますと、1994年の7月か8月のことだったと思いますが、「Disneys BEAUTY AND THE BEAST A NEW MUSICAL」のチケットが手に入ったのでした。
それは、私の秘書のTC嬢にチケットの入手を頼んでいたのでしたが、このミュージカルは94年の春(4月18日だそうです)に開演されたばかりでチケットの入手は至難のことだったのです。
が、TC嬢はなかなか機転のきく人で、上手く手に入れてくれたのでした。

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劇場は「Palace Theater」で、ディズニーが注力しているだけあって正面のエントランスから華やかな設えとなっていました。
また、ステージのセットも衣装も豪華絢爛で、それまでのミュージカルからは一線を画す華やかさでした。
更には最後の変身の場面を筆頭に演出の斬新さも印象的でした。

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今の私はコロナ騒動の影響などは関係なくミュージカルを観るようなことはありませんだけに、良い経験をさせていただいたことでした。


[BROCHURE of CAST,ORCHESTRA,STUFF]

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1dscn7065 上の写真の一部を拡大

1dscn7061 出演者の紹介(部分)

1dscn7064 上の写真の左上を拡大(主役、他)



[PLAYBILL]

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2020年4月23日 (木)

TYLENOL

1dscn6903 プラスティックボトルの高さは8cm

まだ机の引出を片づけています。
机の引出しには「NASAのエンブレムやミッション毎のエンブレム」がありましたが、その近くに「TYLENOL」のプラスティックボトルがありました。

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私は呼吸器が弱く、冬には気管支炎に悩まされることが多いのです。
アメリカに住んでいる時も同様でしたが、特にNYに住むようになってからは毎年1月を過ぎた頃から咳と熱に1回は悩まされました。
因みに、今年は外出頻度が極端に少なくなったこととうがい手洗いを入念にしているせいでしょうか大過なく過ごしています。

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殆どのケースはかかりつけのドクターに診てもらい抗生物質を処方してもらいますが、初期段階は市販の薬を服用して様子を見ました。
私の場合、その市販薬はアメリカでは最もポピュラな薬の一つである「TYLENOL」でした。

1dscn7054 錠剤の直径は1cm

「TYKENOL」は平均的に効力のある薬のようでしたが、私には殆ど効き目が発現せずで、先述のようにドクターから処方された抗生物質でやっと治るというものでした。
このことは現在も同様でして、掛かり付けの病院のドクターはそのことを理解して薬を処方してくださいます。

   

2020年4月22日 (水)

NASA/ EMBLEM PATCHES

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机の引出を片づけています。
机の引出しには「外科手術用螺子」がありましたが、その近くに「NASAのエンブレムやミッション毎のエンブレム」がありました。

Houstonといいますと日本の人が真っ先に思い浮かべられるのはNASA/Johnson宇宙センターでしょうか。
私はHoustonに1987年から5年ほど赴任していました。
そして、日本や他の州からの来訪者や出張者に時間があればご希望に応じてNASA/Johnson宇宙センターを案内することが多かったのでした。
といいますのは、先述の通りHoustonといえば日本人にもアメリカ人にもNASAは最初に思い浮かべられる場所で、次がテキサスのカウボーイのT-ボーンステーキという感じでした。
NASA/Johnson宇宙センターはダウンタウンのオフィスからI-45(インターステートロード45号線、アイ-フォーティファイヴと称されます)を南に車で60マイル/時で30分ほど走った場所にありました。

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来訪者が多かった私は約5年のHoustonでの勤務期間中に60回以上はNASAを訪ねています。
NASAに関する話題は機会がありましたら改めて記述させていただきますが、今回は机の引出しにありました「NASAのエンブレムやミッション毎のエンブレム」についてです。

1img_0001_20200422133601 NASA

NASAは広大な敷地内にミッションコントロールセンター、各種研究施設、そして展示見学施設などがあり、展示見学コースの終わりにギフトショップが用意されています。
そのギフトショップではTシャツやキャップなどの定番の土産物が販売されていましたが、さらに宇宙に関連するグッズ、例えばSpace Icecreamなどの宇宙食も販売されていました。
そして、特別なのが「NASAのエンブレムやミッション毎のエンブレム」でした。
私が居た当時でも数十種類のエンブレムが販売されていました。

1img_0002_20200422133601 アポロ計画

エンブレムの価格は、あの当時で一つが$4位であったと記憶しています。
決して安くはなかったというのが印象です。

1img_0004_20200422133601 アポロ1号(メンバーは火災で殉職)

私は興味を惹かれたデザインのものを購入しました。
今から思えはもう少し系統的に買い揃えれば良かったと思うところですが、時既に遅しです。

1img_0003_20200422133601 SPACE SHUTTLE (Engle・Covey・Lounge・Fisher・Van Hoften)

1img_0005 SPACELAB

1img_0007 SPACE SHUTTLE ENTERPRISE APPROACH AND LANDING TEST

1img_0006_20200422133601 SPACE SHUTTLE (CHASE TEAM) 

   

2020年4月21日 (火)

外科手術用螺子

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机の引出を片づけています。
机の引出しには「フロッピーディスクドライブ(FDD)ユニット」がありましたが、その近くに「螺子」がありました。

その「螺子」は、長さが18mm、頭の径が3mmほどの小さくて細長いもので、2本ありました。

ところで、今から20年ほど前のことですが、家の2階から1階へ階段を降りている時、左足を踏み外して3段位落下しました。
とはいえ、当時はまだ反射神経もまあまあでしたようで、かろうじて右足で踏みとどまることができたのでした。
が、その右足は親指の付け根付近で持ちこたえたため、その付近に局部的な痛みが残ったのでした。
そして、翌日からは痛みに加えて、内出血が親指を先頭に広がり足の先側半分ほどが紫色になりました。

その頃、息子は大学でアメリカンフットボールをしており、私の足を見て「そんなのは怪我の内には入らんでェ。」などというものですから、痛む足を引きづりながら通勤を繰り返したのでした。

三日ほど通勤を続けたのでしたが、どうも様子がオカシイと思い、当時オフィスのあったビルにあるクリニックで診てもらいました。
すると、ドクターはさらりと「折れてますよ。親指の関節側の剥離骨折です。」と告げられ、仙川にある病院を紹介してくださったのでした。

そして、その仙川の病院で整形外科の部長先生の手術を受けたのでした。
手術の内容は、剥離骨折した部分を螺子で固定する、というものでした。
手術は下半身の麻酔だけで、頭付近には遮るものがないので手術室の様子は視界に入る範囲は見ることができましたが流石に我が足が切られるところは見えないようになっていました。
手術が始まり、麻酔の効いた足にメスが入るとジリジリジリという感じで伝わってきましたが、痛みは全くありませんでした。
なお、あの当時、私は抜群に視力が良くて、手術台の上方に大きな照明があり、その外縁部は光沢のある金属となっていて、そこに映る我が右足を見ることはできたのでした。
ただ、余り気持ちの良いというものではなかったので、後は見ないようにしていました。

なお、これは私にとって生まれて初めての入院と手術でした。

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手術の翌日、若い先生と看護師さんが部屋に現れ、我が右足の膝から下を石膏のギブスで固めてくださったのでした。
何故そういうことを記憶しているかといいますと、石膏に混ぜる水を用意するのにトイレのバケツ(バケツにそう記してありました)を使われたのが強烈な印象として残っているからです。
患者とは弱き者で、そのことに気付いてはいても抗議の声を上げることはできないというものです。

3日入院して仕事に復帰しましたが、40歳代後半に差し掛かろうという当時は真面目で早く仕事に復帰することだけを考えていたのでした。
また、入院期間が3日と短かったものですからN生命からは1円たりとも出なかったのでした。
あの時が55歳くらいなら私も世間慣れしていたでしょうから、ドクターにお願いして入院を延ばしてもらい、病院から指示を出して後はのんびり過ごしたことでしょう。
保険金も貰えたことでしょう。

1dscn7024 表面にコーティングあり

さて、退院して1ヶ月ほどして、固定に使った螺子を取り外すための手術を受けました。
そして、手術後に看護師さんが小さな袋に入れて渡してくださったのが「固定に使った螺子」でした。
それが、冒頭に書きました「長さが18mm、頭の径が3mmほどの小さくて細長い螺子」です。

この螺子が私の足に入っていたものかどうかは分かりませんが、怪我をしないお守りとして大事に保管しています。

   

2020年4月20日 (月)

コカ・コーラ 

1dscn6838 コカ・コーラ

過日、M社で同期入社のST氏から、「コカ・コーラ」で10円硬貨がピカピカにできる、ということを教えていただいていました。
そこで、このコロナ騒動で外出自粛が続く中、徒然なるままに実験を行ってみました。

用意したのは10円硬貨数枚と「コカ・コーラ」でした。

1dscn6836 10円硬貨(浸漬前、 5円硬貨は参考資料)

では、実験の開始です。
まず、生協のヨーグルトの容器のポリプロピレン製の蓋に10円硬貨を並べました。

1dscn6841 コカ・コーラに浸漬中の硬貨

次いで、並べた10円硬貨に対して約100mlのコカ・コーラを注ぎました。
コカ・コーラには炭酸が含まれていますので、10円硬貨は瞬時にして気泡で覆われましたが、時間とともに消えていきました。
この後、そのまま約20時間ほど放置しました。
そして、10円硬貨を取り出すために「コカ・コーラ」を捨てましたが、その際に10円硬貨の周辺から何やら濁った液体が流れて行くのが見えました。きっと硬貨の表面にあった汚れが溶出したものと推察しています。

1dscn6831 10円硬貨(浸漬前)

1dscn6920 10円硬貨(浸漬後)

そして、水洗いした10円硬貨を見ますと、ア~ラ不思議、10円硬貨は明らかに綺麗になっていたのでした。
やはり入社同期のST氏のご教示の通り、10円硬貨は「コカ・コーラ」で綺麗になったのでした。
ただ、ピカピカではありませんでしたが、「コカ・コーラ」の量、浸漬時間、温度、などのファクターを調整すればST氏の情報通りピカピカになるものと思料するところです。

1dscn6839 コカ・コーラの成分

それにしても「コカ・コーラ」の洗浄パワーには凄いものがあることが分かりました。

ところで、10円硬貨を水に浸漬しておいてもピカピカにならないことは衆知のことです。
しからば、10円硬貨が綺麗になったのは「コカ・コーラ」に含まれる成分が作用しているのであろうと考え、先ずはラベルの表記を見ますと以下のように記されていました。

 原材料名 
  糖類(果糖ぶどう糖液糖、砂糖)/炭酸、カラメル色素、酸味料、香料、カフェイン

これらは、水以外に含まれる成分ですから、これらの内のどれかが寄与したもの推察できます。

一般的にですが、金属表面の汚れを落とすのに酸成分が有効であることは私達が経験的に知っていることです。
また、「コカ・コーラ」の成分に炭酸が含まれていることが判明していますので、この炭酸が大きな要素となっているのではという仮説を立て、その証明として「炭散水」を用いた実験を試みました。

1dscn6983 炭散水

「炭酸水」には代表的な「WILKINSON」を使いました。
代表的と書きましたが、私が家でウィスキー&ソーダを飲む時に好んで「WILKINSON」を飲んでいるというだけの理由ですので、他意はありませんです。

1dscn7002 炭散水の成分

先ず「WILKINSON」の成分を見ますと、以下のように記されていました。

 原材料名 水/炭酸

ということで、『炭酸』の効果だけを調べるにはうってつけの液体です。

1dscn6978 10円硬貨(浸漬前、中央の硬貨は比較用硬貨)

先述のように、並べた10円硬貨に対して約100mlの「WILKINSON」を注ぎました。

1dscn6986 10円硬貨(浸漬直後)

「WILKINSON」を注ぎますと、10円硬貨は瞬時にして多数の気泡で包まれました。
それは「コカ・コーラ」よりも激しい泡立ちでしたので、『炭酸』が重要な要素となっているのであれば、「コカ・コーラ」の場合よりも硬貨の表面はピカリンコとなることが予測できます。

1dscn6993 10円硬貨(浸漬中)

約20時間経過後も小さな気泡が散見できます。
ただし、液体は色が変わることがなく、表面の汚れは溶出していない様子でした。

1dscn6998_20200419141601 10円硬貨(浸漬後、下は比較用硬貨)

そして、水洗いした10円硬貨を見ますと、それらの表面に変化は生じていないのでした。

即ち、ここまでの結論として

コカ・コーラに含有される「糖類(果糖ぶどう糖液糖、砂糖)/炭酸、カラメル色素、酸味料、香料、カフェイン」の内、どれかの成分が単独で、あるいは何種類かの成分が相互に作用することで、10円硬貨の表面を綺麗にした

ということが分かりました。

もっと単純化しますと、「コカ・コーラ」には10円硬貨を綺麗にする作用があるということが証明された訳です。

さて、次に興味の対象として、アメリカの¢1硬貨に対して「コカ・コーラ」が如何に作用するのかを確かめてみました。
実験の手順は10円硬貨のものと同様です。

1dscn6955 米国¢1硬貨(浸漬前)

1dscn6959 米国¢1硬貨(浸漬中)

1dscn6972 米国¢1硬貨(浸漬後、下は浸漬前)

そして、結論は10円硬貨の場合と同様で、「コカ・コーラ」に20時間浸漬した¢1硬貨の表面は綺麗になったのでした。

1dscn6957 米国¢1硬貨(浸漬前)

1dscn6973 米国¢1硬貨(浸漬後)


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2020年4月19日 (日)

CONCORD

1img_0001_20200416142801 CONCORD(@JFK Airport in NY)

机の引出しを整理していますと「CONCORD」の写真が出てきました。

人類の歴史において最も速度の大きい旅客飛行機は「CONCORD」のようです。
その巡航飛行速度はマッハ2.2で現在の一般的な旅客飛行機の2倍強以上です。

私が「CONCORD」を見たのは3回です。
それはいずれもNY勤務時代のことでした。

1回は、日本への出張からNYに戻ってくるANAのB747がJFK空港へのアプローチに入る前の過程でJFKの東側を飛行している時に、右側の窓から見えた「CONCORD」がJFK空港の滑走路に着陸しようとしていた姿で、遠くからではありましたが斜め上から見た機体でした。
着陸後に駐機している「CONCORD」が見れないかとずっと窓の外を見つめていましたが、残念ながら見ることができなかったことを記憶しています。

もう1回は、1993年のクリスマス休暇で訪ねたBarbadosから帰米した際に、American航空の機材がJFK空港に着陸してゲートに向かってタクシイングしている途中で見たBritish Airのターミナルに駐機している「CONCORD」の姿で、横から見た機体でした。
ここに掲載した2枚の写真がこのときの「CONCORD」です。

1img_20200416142801 同上

さらにもう1回は同じく1993年12月、Barbadosの海岸で泳いでいた時、着陸しつつある「CONCORD」が至近距離の上空を飛び過ぎた姿で、下から見た機体でした。
今でも思い出しますのは、この時にカメラを持っていなかったことについて実に残念に思った、ということです。
まあ、何もかもが上手くいくということがないのが人生というものなのでしょう。
と、いいますか、私の経験では8割くらいは思い通りにならないのが実態であったように感じています。
とはいえ、めったに見ることができなかった「CONCORD」を生で見ることができたのはラッキーであった、と思っています。
もっとも、興味のない人たちにとってはドウデモヨイコトですが・・・。

   

2020年4月18日 (土)

PC/ フロッピーディスクドライブ(FDD)ユニット (MODEL FMFD-51S)

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机の引出を片づけています。
その机の引出しには「露光計」がありましたが、その隣に「フロッピーディスクドライブ(FDD)ユニット」が置いてありました。

私の記憶と手元の書類が確かでしたら、2001年11月にFujitsu製「FMV-DESKPOWER CE8/85L」を購入した際に、この「フロッピーディスクドライブ(FDD)ユニット」を富士通から取り寄せたと記憶しています。
何故なら、「FMV-DESKPOWER CE8/85L」にはFDDユニットが内蔵されていなかったからです。
また、曖昧なことですが費用は「無料」であったように記憶していますが・・・。

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当時は、記録媒体がフロッピーディスクから新しいものに切り替わる時期だったようで、このPCを購入した当時は未だフロッピーディスクもメインに用いられていました。
週末や大型連休のような休みの日には、家で仕事をするのにフロッピーディスクで持ち帰ったものでした。

なお、この「フロッピーディスクドライブ(FDD)ユニット」は今のPCに接続しても動作しません。
なにか特別なソフトでも必要なのであろうと推察しています。
ということで、現在手元にあるフロッピーディスクは、中に何が記録されているのか詳細は分からなくなっています。

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小金井/ 濡れ雀

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夜半から続く雨が降っています。
雨はかなり強い状態で、大粒の雨が庭の木の葉に当たる音や窓を打つ音が絶え間なく聞こえてきます。

7時過ぎに目を覚まして、暫くぼんやりしてから、徐に起きました。
カーテンを開けて外に目を遣りますと、一羽の雀が電線の上で頼りなげに鳴いていました。
その雀は激しい雨に打たれていて、頭から羽にかけて羽毛がグッショリと濡れそぼっていました。

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雀はずっと電線の上に留まったままで、
チュン、チュン、・・・、チュン
と鳴き続けています。

そういえば、雀は何時も群れで行動しているのを見かけますが、この雀は一羽っきりでした。
周りに仲間の姿はありません。

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そのまま雀は5分くらいの間ですが、鳴き続けていました。
すると、どこからか私の視界から外れた処から違う雀の鳴き声が聞こえ、それに続いて多くの雀の鳴き声が聞こえ始めたのでした。

そして、一羽っきりでした雀は仲間の声に安堵したかの様に、勢いよく飛び立っていったのでした。
と同時に仲間の雀の声も聞こえなくなったのでした。
どこか雨を凌げる処に行ったのでしょう。

雀も皆が寄り添いあって生きているということに気付いた光景でした。

   

2020年4月17日 (金)

露光計

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机の引出を片づけています。
その机の引出しには「OPUS ONE」のボトルがありましたが、その隣に「露光計」が置いてありました。

記憶を慎重に手繰りますと、この「露光計」は今から52年くらい前に今は亡き叔父から譲り受けたものと記憶しています。
当時私はまだ中学生で、写真は「オリンパス ペン」というハーフサイズのカメラで写真を撮っている程度でしたが、中学生にしては随分と写真を撮っているいる部類に入っていたと思います。

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ある日、それがいつであったかは思いだせないのですが景色から正月であったように思います、母方の祖父母の家に行った時、家族連れで帰省していた叔父が「露光計」をくれたのでした。
「露光計」は高価なものですし、母は使いこなせないのに勿体ないと言っていたのは記憶するところです。

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因みに、叔父は当時は写真から8ミリカメラで動画を撮ることに興味が移っていたように思います。
ということで、叔父はこの「露光計」を私にくれたのでしょう。

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しかしながら、この「露光計」は私には難しいものであると同時に「オリンパス ペン」というオートマティックカメラを使っていましたので、露光計は必要ではありませんでした。

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とはいいましても、私にとっては初めて手にした精密機械であり、これを所有していることが嬉しくて時間があるとこの「露光計」で光を測っていました。

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その後、高校2年生の時に父の援助でCanonの一眼レフカメラである「CANON FT」を買ってもらいました。
これが私にとって初めての一眼レフでした。
この「CANON FT」には露光計が内蔵されていまして、実際の撮影において叔父の「露光計」を使うことはないままで現在に至っています。

   

2020年4月16日 (木)

OPUS ONE

1img_8799 OPUS ONE 1990

「OPUS ONE WINERY」はカリフォルニアの「Robert Mondavi Winery」とボルドーの「Ch.Mouton Rothschild」とのJVであることは良く知られたことです。
そして、そのワインはクオリティの高さとクオリティに相応しい価格についても良く知られたことです。

ところで、写真のボトルは「OPUS ONE 1990」のハーフボトルです。
そして、未開栓であるにも関わらず、中にはワインが入っていません。
所謂ディスプレイ用のボトルで、ノヴェルティとして作られたように推察しています。

薄れかけた記憶を慎重に辿りますと、1994年に私は出張でNYからカリフォルニア州のLos Angelsの郊外かSan Diegoでしたか明確ではありませんが、そこのホテルに宿泊しました。
その際に、偶然手に入れたのがこの「OPUS ONE 1990」のハーフボトルでした。

これまでに「OPUS ONE」は何度かいただく機会がありましたが、そのボトルもエチケットも手に入るということはありませんでした。
それは記念に欲しいという人が多く、一方で気の弱い私はそういう人の前で自己主張することができなかったからでした。

そういう状況ですから、中身の入っていないボトルでも私には嬉しいものですし、むしろこういう未開栓で空のボトルというのは珍しいですから希少性という面で所有しているのが嬉しいというものです。

なお、このボトルは2本入手し、1本を同僚のGB氏にあげたのでした。
過日GB氏に尋ねましたら、彼はボトルのことを完璧に忘れていました。
ニャンコに金貨だったようです。

   

2020年4月15日 (水)

FREDERICK FORSYTH

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FREDERICK FORSYTH氏の小説が好きで、良く読んだものでした。
一番最初に読んだのは翻訳書の「ジャッカルの日」で、一気に引きこまれたのでした。
その後、映画で「ジャッカルの日」(The Day OF THE JACKAL)を劇場で観て、更に興味を惹かれることになったのでした。

1987年にアメリカに赴任してからは仕事で出張が多くありました。
アメリカの国土はかなり広い事から飛行機での移動が多く、私の場合は片道の所要時間は2~6時間ほどかかることから窓の外を眺めているか寝ているか、はたまた本を読んでいるかくらいしかすることはありませんでした。(当時はフラットパネルディスプレイなど無い時代でした。)

そういう状況で、空港の売店で見つけたのが「THE DAY OF THE JACKAL」でした。
最初は1ページを読むのに時間がかかりましたが、次第に早くなり、英語の本も楽しめるということに気付いたのでした。

その後は空港の売店に立ち寄っていろいろと本を買いましたが、FREDERICK FORSYTH氏の本は見つけるたびに購入したものでした。

さて、今日も不要不急の外出は自粛というままならない状態が続いていて、退屈しのぎといいますか徒然に部屋の中を引っかき回していますと先日発掘したFREDERICK FORSYTH氏の本が目に着きました。

退屈しのぎにどれか一冊でも読んでみようかと、まずは「THE DAY OF THE JACKAL」を取り上げてパラパラとページをめくってみましたが、何となくその気にならなかったので本棚に戻した次第でした。
しかし、これじゃダメじゃん!と考えなおして、先ずは1ページ目から読み始めた次第です。

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2020年4月14日 (火)

JAL/ 紙飛行機

1img_0002_20200414142801 紙飛行機用の折り紙

小人閑居して不善をなす、などと申します。
このコロナ騒動で家に籠って閑居してはおりますが、いかに小人ではあっても不善をなすのはいかがなものかと考え、昨日から部屋の整理を始めました。
小さな部屋ではありますが、整理するのに当たって物を動かしますと、出るは出るは、埃がどっさり出てまいりました。
特に、机の後ろ側や横側などは数年来の埃が嫌になるほど出てまいりました。

とはいえ、出てきたのは埃だけではなく、書箱やクローゼットの段ボール箱などから、有ったことすら忘れていたものも出てきました。

その内の一つがJALから送られてきた紙飛行機用の折り紙でした。
そのサイズはA4紙の半分の大きさで日の丸の半分(?)とJALの文字が印刷されていました。

また、折り方のインストラクションが日本語と英語で書かれていました。

部屋の整理が終わったら、ピコピコピコと折って、飛ばしてみようかと思うところです。
閑居の慰めになろうか、と楽しみなことです。

1img_20200414142801 インストラクション(日本語)

1img_0001_20200414142801 インストラクション(英語)

   

2020年4月13日 (月)

モスクワ/ ピザ

1img20200411wa0000 

先日、モスクワに赴任している息子から写真が送られてきました。
デリバリーされたピザの写真です。

現在、ロシアでは新型コロナウィルス対策として大統領から外出(生活物資の買い出しは除く)禁止が発令されていて、家族全員がマンションに籠っているというじょうきょうです。

こうした中、デリバリーサービスは行われているとのことで、ピザを注文したとのことでした。

価格は、ピザ3種類とポテトで、邦貨にして約2,400円ということでした。
味もヨロシイ上にサイズも大きく、日本に比べると随分と安価です。
なお、寿司のデリバリーもあるそうですが、寿司は日本のものとは若干異なるらしいです。

   

2020年4月12日 (日)

茅場町/ がんぎ (かきあげそば)

1dsc03026 がんぎ

昨日に続いて東日本大震災からちょうど一カ月目の2011年4月11日の話題です。
この日は茅場町にある業界団体での午後からの会議に出席することになっていて、この機会を活かして予てより気になっていた「がんぎ」で昼食を摂ることにしました。

1img_20200411160801 dancyu 2008年版 全部うまい店 480軒、プレジデントムック 

因みに、この「がんぎ」を知ったのは「dancyu 2008年版 全部うまい店 480軒 プレジデントムック」((株)プレジデント社、2008年1月1日発行)という本によってでした。
dancyuは発行開始当初から食に関心のある人のための指南書的な存在で、私もその情報を参考にさせていただくことが多々ある雑誌でした。
そのdancyuが2008年に纏めた推奨店が「dancyu 2008年版 全部うまい店 480軒 プレジデントムック」((株)プレジデント社、2008年1月1日発行)でして、12年を経た現在でも偶に参考にさせていただいている一冊です。

1img_0001_20200411160801 出典:dancyu 2008年版 全部うまい店 480軒 プレジデントムック」((株)プレジデント社、2008年1月1日発行

さて、茅場町駅から程近い場所にある「がんぎ」に入ったのは12時半を過ぎた頃合いで、人気店らしく多くの人で賑わっていました。
来店された方々は界隈にある会社の人たちのようで、サッと食べては出て行かれるというまさに忙しく働かれる人たちのファストフードの店でした。

記憶するところでは、券売機で「かきあげそば」の食券を贖い、厨房に面した配膳カウンタの窓口にできた列に並んでから食券を渡し、ほんの1分もしないで出来上がった「かきあげそば」を受け取って、店内中央にある大テーブルに持って行こうとしました。

しかしながら、店内は混んでいて中央の大テーブルには人の割り込む隙間はなく、店の人のお薦めにしたがって配膳カウンターの脇でいただくこととあいなりました。

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「かきあげそば」には大ぶりのかき揚げが載っていて、中には小海老、げそ、各種野菜がみっしりと入っていて実に美味なるかき揚げでした。
当店の蕎麦は新潟の「へぎそば」でして、麺自体が布海苔をつなぎにしていて滑らかなものです。
加えて当店で用意されている箸の表面が平滑であることから、生卵の絡んだそばが箸から滑って落ちていったというのは記憶するところです。

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なお、先述の通り店内は途切れることなく訪れるお客さんで溢れており、テーブルに空きができると即座に次の人がそばの入った丼鉢を手にそこに入って行くのでした。
が、驚いたことに一人のどっしりした妙齢のOLさん(と思う)が、中央のテーブルの一隅にマイ箸を置いて場所を確保してから列に並び、出来上がった蕎麦をそこで食するということをしていました。
この間、混み合う店内でその一隅だけがデッドスペースとなっていたのでしたが誰も我関せず状態であったのでした。
ただし、この人の食べるスピードがウルトラに早く、私より後から来て私より先に食べ終えていたのが印象的でした。

   

2020年4月11日 (土)

門前仲町/ 大坂屋 (串6本、玉子1個、清酒2杯、お新香)

1dsc03028 大坂屋

新型コロナウィルス感染の拡大に起因する緊急事態宣言が発出されて今日が初めての週末となりました。
1月から続く不穏な情勢の中、落ち着かない日々が続いています。

今から9年前の2011年3月の東日本大震災の後も落ち着かない日々が続いたのは記憶に新しいところです。
あの時の落ち着かなさと今の落ち着かなさは異なる背景によるものですが、ここのところ報道で知るように日々感染者や犠牲になられた人の数が増えていくという中で、外出自粛が当面の対応策であるとされ、また感染の有無の検査が十分になされなかったり、感染しても受け入れられる施設がなかったりという状況が続いていて、不安がつのるばかりです。
コロナ騒動の一日も早い終息を願うばかりです。

さて、今日からちょうど9年前、すなわち東日本大震災の一ヶ月後の2011年4月11日の時点では、余震が起こる中も東京エリアの日常は戻りつつあり、私は茅場町にある業界団体における会議に出席しました。
その会議は午後1時に始まり、午後4時半頃に終わったと記憶しています。

この会議の後、門前仲町まで出ました。
それは、当時よく訪ねていた「大坂屋」に立ち寄って、女将さんをはじめ皆さんが無事であることを確かめたく思ったからでした。

さて、「大坂屋」の引き戸を開けたのが午後5時過ぎのことで、私にとって初めての5時代という早い時間での入店となりました。
カウンターには既におっちゃん二人と、いつも居るおばちゃん一人が出来上がりつつありました。
これは何時ものことで、珍しい事ではありません。常連さんとはかくあるものです。

入店して最初に目に付いたのはいつもなら女将さんが居られる鍋の前に居られた妙齢の美人さんでした。
女将さんは居られないのかと問いましたら、女将さんは奥に居られたのでした。このころから目が悪くなっていたようです。
「大坂屋」を訪ねたのは正月以来でしたので、地震について被害を訪ねると同時にお互いの無事を喜んだ次第でした。
女将さんの語られるところでは、被害は皿が一枚棚から飛び出しただけであったそうです。

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なお、最初に気付いた美人さんは、女将さんの娘だそうで、けいこさんと言うことでした。
けいこさんは、女将さんが腱鞘炎になられたので正月頃から週の内の何日かを手伝いにきているとのことでした。
なお、女将さんと話をしていた最中に地震の大きいのが来たのでしたが、そのときけいこさんが鍋を木の板で塞いだのはご愛嬌でした。
美人は何をしても絵になるようです。

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この日は、サラリと清酒を冷で2杯、串6本と玉子、それにお新香をいただいてから、店を出ました。

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6時過ぎに東西線の門前仲町に行ったら、先ほどの地震のせいで電車は止まっていました。
取り敢えず電車の中で待っていましたら10分程度で動き出したのでした。
東日本大震災後一カ月で地下鉄も復旧が迅速になっていたのでした。

   

2020年4月10日 (金)

新宿/ 371 (SAN NANA ICHI) BAR (国産牛のローストビーフ丼 温泉卵添え、赤ワイン)

1img_8039 371 BAR

2年前の4月10日のことでした。
この日はYH氏と新宿御苑で桜を愛でた後、昼食を摂りに新宿三丁目付近を訪ねました。
最初に見つけた店はアジフライがいただけるのでしたが、地下にある店名内に続く階段を降りて行きますと丁度昼食時であったせいか近隣のサラリーパーソンさん達で行列ができていました。
そこで、町を徘徊しました結果現れたのが「371 BAR」というちょいとオシャレでカジュアルな店でした。

「371 BAR」の店頭にはウェイターさんがいて、来店を告げますと丁寧にテーブルまで案内して下さるのでした。

店内は道に面してオープンな状態にされていて、春の暖かい空気に触れながら食事ができるという設えになっていました。
そして、案内されたテーブルは道に面した列の一つで、程良い空気の流れと明るさが感じられる場所となっていました。

料理に関しては、YH氏は「エビとトマトドリア」でスープ、ミニサラダ、ドリンク、小鉢、パンがセットになったものを、私は「国産牛のローストビーフ丼 温泉卵添え」でサラダとドリンクがセットになったものを選択しました。

1img_8028 サラダ(国産牛のローストビーフ丼にセット)

先ず最初に「国産牛のローストビーフ丼 温泉卵添え」のセットになっている「サラダ」が供されました。
YH氏のサラダが供されないのでウェイターさんに尋ねますと、そちらはワンプレートにて供されるとのことでした。
ということで、「サラダ」はYH氏のドリアが供されるまで待つことにしましたが、サラダだけがテーブルの上で手持無沙汰な様子で置かれているのはなんとなくバツの悪いものでした。

1img_8029 スープ

「サラダ」続いて程ないタイミング「スープ」が供されましたが、こちらはちゃんと二人分あり、実質のところこの日の昼食は「スープ」がスターターになったのでした。
「スープ」は若干胡椒が強めではありましたがトータルでは良い感じのコンソメスープでした。

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ところで、この日はアルコール飲料は飲むつもりがなかったので注文はしていませんでしたが、やはりワインなどもよろしいように思えYH氏に打診しますと「一杯飲りますか!」と打てば響くような返事がありましたので、協議の結果赤ワインをいただくことにしました。
2年前のことをこうして思い返しますと、もう既に昼飲みが常習化していたことが改めて分かるというものです。
この日も、「昼のワインってぇのは良い味わいですなァ~。」などと語っていたのは記憶するところです。

1img_8035 エビとトマトドリア、ミニサラダ、パン、キシュ(メニュには小鉢と表記)

春のそよ風が感じられる中、赤ワインを啜っていますと注文の料理が運ばれてきました。
YH氏の「エビとトマトドリア」は色合いが良く、加えてアツアツの様相にはソソラレルものが濃厚に感じられました。
現に、美食家のYH氏は満足そうに食されており、これが一番の選択であったと推察したのでした。

1img_8033 国産牛のローストビーフ丼

私が選択した「国産牛のローストビーフ丼」は肉もグレイビーソースも良質であり、かつその量も多めで満足いくものでした。
添えられたホースラディッシュを適宜合わせていただきますと、これまた結構な味わいでした。
この日は春の暖かい日でしたが、そうはいっても時節柄ではアツアツの料理の方が体には心地よいというもので、そういう意味では料理の選択はYH氏の判断が正しかったように思うところです。
それと、ローストビーフには、願わくばホースラディッシュをもっと沢山いただければイウコトナシというものでしたが・・・。

1img_8036 コーヒー

最後に、ドリンクの中からコーヒーをいただきました。
セットになっているドリンクのコーヒーでしたが、上質のコーヒーで、ストレートでいただきましたが好い香りと味わいでした。

因みに、どちらの料理も900円~1,000円という破格の価格設定なのにクオリティも量も満足度の高いものでしたことは記憶に留めるところです。

   

2020年4月 9日 (木)

言葉/ Lockdown (元来の意味)

歌は世に連れ、世は歌に連れ。
と、古くから語られていますが、言葉の意味するところも時代とともに変遷していくようです。
昨今では「やばい」という言葉も私が若かった頃とは正反対の意味で使われることがあるようです。

さて、コロナ騒動のさなか「Lockdown」という言葉が俄かに使われ始めました。
報道で使われる際には「Lockdown」の後に「都市封鎖」というような補足説明がなされているので、そういう意味で使われているとういことが分かりました。
ただし、緊急事態発令下においては一定の規範でのもとでの自粛行動が求められていて、「Lockdown」も「都市封鎖」も行われてはいないのが実態のようです。

なお余談ですが、どのような意図があったのかは分かりませんが「Lockdown」などと表現せずに最初から「都市封鎖」で統一すれば分かりやすいように思うのは私だけかもしれませんが、私のごとき凡庸なる日本人に対しては言葉としてのインパクトは都市封鎖の方が強いように推察するところです。

ところで、この「Lockdown」という言葉が「都市封鎖」という意味で使われていることに何となく違和感がありましたので、私が所持している辞書を調べてみました。

1img_0001_20200405105501 Merriam Webster's Collegiate Dictionary TENTH EDITION (1993)

先ず「Merriam Webster's Collegiate Dictionary TENTH EDITION 」を調べました。
この辞書は私がNYに居る時に購入したもので、1993年に発行されたものです。
もう27年前のものですから、現在の用法とは異なった解説がなされているかもしれませんが、この辞書が当時の大学生レベルを対象にしているものとしますと、その記述内容は現在40歳代後半から50歳代前半くらいの年齢で現在の米国社会における壮年期にある人たちが基本的知識として持っている概念とほぼ同等と推察しても支障はないように思料するところです。

1img_20200405105501 出典:Merriam Webster's Collegiate Dictionary TENTH EDITION

その「Merriam Webster's Collegiate Dictionary TENTH EDITION 」には「Lockdown」に次のような解説が記されていて、都市の封鎖という概念は含まれていなかったようです。
が、なかなか興味ある内容の解説です。

n (1977)  : the confinement of prisoners to their cells for all or most of the day as a temporary security measure

なお、カッコ内の1977というのは1977年のことです。
この辞書の解説によりますと、この年の表示は『英語において最初に使われた年』とのことです。
したがいまして、「Lockdown」という言葉は、1977がミスプリントでなければ43年前という比較的新しい時期に現れた言葉のようです。

1img_0003_20200405105501 英米法辞典 第6刷 (東京大学出版会 1997年)

一方、1997年に発行された「英米法辞典 第6刷」には次のように記されています。

1img_0002_20200405111801 出典:英米法辞典 第6刷

「Merriam Webster's Collegiate Dictionary TENTH EDITION 」に於きましても「英米法辞典 第6刷」に於きましても、犯罪者を収容施設に一時的に留置するという意味で使われた言葉のようでした。

現在では都市封鎖という、対象が犯罪者ではない一般市民を主体にした規模の大きな留め置きというケースに使われているようで、やはり言葉というものは時代とともに変遷していくようです。



なお、downという概念があればそれに対するupという概念があるので、「Lockup」を調べてみました。
結果は、以下の通りでした。

1dscn6731 出典:Merriam Webster's Collegiate Dictionary TENTH EDITION

1img_0002001 出典:英米法辞典 第6刷

   

2020年4月 8日 (水)

原宿/ Repi Doll (グラスワイン、スモークチキン サラダ添え)

1img_7117 Repi Doll

2017年の6月の蒸し暑い日でした。
YA氏と「東郷神社」に詣でた後、何処かで休憩をしましょうということになり、竹下通りの中程にあってYA氏が訪ねられたことのあるカフェを目指しました。
そのカフェはオシャレな店でしたため、ランチタイムの終わりに近い時間でしたが店内は混んでいましたので、他の店を探すことにしたのでした。

1img_7120 Repi Doll は2階

暫く竹下通を緩々と歩いていますと、ビルの2階に「Repi Doll」という竹下通の中ではひと際落ち着いた佇まいのカフェが目に入りました。

あそこに行くにはどのルートを辿ればよいのであろうかと見渡しますと直ぐ近くに階段がありました。
階段を登って左を見ますと、入口にはコーヒーカップとワイングラスと「Repi Doll」という文字が書かれたプレートがあり、その横にOPENという札が掛けられていました。

1img_7111 Repi Doll店内(竹下通側)、右手にエントランスのドア

ドアを開けて店内に歩を進めますと、落ち着いた静けさに包まれた店内には一組の先客が居られただけでした。
これは、多分ですが、ランチタイムとティータイムに挟まれた時間帯であったことが要因かと推察するところです。

私達は店内のほぼ中央にある丸テーブルに着きました。
このテーブルは竹下通に面した大きな窓から入る光の加減が丁度良く、落ち着いた明るさとなっていました。
また、店内は竹下通に溢れる若者たちとは一線を画す大人の雰囲気で満ちているのが印象的でした。

1img_7114 グラスワイン

テーブルに着いて、先ずはメニュを眺めました。
YA氏は飲み物としてコーヒーでもと考えておられた様子でしたが、私から敢えてワインをお薦めして同意を得ることができました。
ということで、YA氏は白ワインを、私は赤ワインを注文したのでした。

今から思い返しますと、YA氏はコーヒーの方が良かったのではなかったかと反省するところですが、その一方でワインに付き合っていただいたことには改めて感謝申し上げるところです。

1img_7116 スモークチキン サラダ添え

また、ワインに合わせる軽い料理を探してメニュを見ていますと、ご主人からご主人手製のスモークトチキンを薦められ、「スモークチキン サラダ添え」をいただくことにしました。

6月とはいえども真夏のような日差しと若者が溢れる竹下通の雰囲気を意識の中で感じながら、落ち着いた店内で窓から入る淡い光に浮き上がるワイングラスを眺めつつ、実にマッタリとした時間を過ごしたのでした。


昨日、政府から非常事態宣言が出ました。
10日程前から不要不急の外出を自粛するべく都知事からの要請があり、竹下通の人出は著しく減ったことを報道で知りましたが、今日以降は人通りもほぼ皆無になることでしょう。
コロナ騒動の早い終息を切願するところです。

   

2020年4月 7日 (火)

原宿/ 東郷神社

1img_7085 東郷神社参道入口

あれは2017年のことでした。
6月の下旬に差し掛かった頃でしたが、とても暑い日でした。

この日は珍しくYA氏と原宿に行ってみましょうということになり、原宿駅を出て若者で賑わう竹下通りを下って行きました。
そして、竹下通りを抜けた先に「東郷神社」があることに気付きました。
「東郷神社」は日露戦争で連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮した東郷元帥を祭神とする神社です。

話題は逸れますが、私は大学生の頃の読書の中で、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を通して日露戦争やその戦争に係わった人物について知りました。
そして、最も興味が惹かれたのはやはり主人公の秋山好古氏と秋山真之氏のことであり、その後ご兄弟に関する書籍を少なからず蒐集したものでした。
「坂の上の雲」においては特に秋山真之氏に非常に惹かれるものがあり、氏との関係の中で東郷元帥も大きく記憶に残る存在でした。

1img_7087_20200407143801 参道

さて、この日まで「東郷神社」には参詣したことがありませんでしたので、YA氏を誘って参道を進んでいきました。

1img_7088 東郷会館

参道を進みますと、東郷会館が池の向こうに現れました。
先述の通りこの日は暑く、池の周辺には人は居られなかったことからとても静かな空気に包まれていました。

1img_7091_20200407143801 狛犬

東郷会館を右手に見ながら進みますと階段があり、その階段を登り切った処に狛犬が鎮座ましましていました。

1img_7092 狛犬

が、それらの狛犬はこれまでに見てきた狛犬とは異なり、その形が実にロボティックだったのです。
丸みのない角ばったフォルムはロボットを彷彿とさせるものがあり、非常に斬新な形状の狛犬でした。

1img_7095 手水舎

狛犬の斬新なフォルムに感心しつつ歩を進めますと手水舎に至りました。

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手水舎ではYA氏が作法に従って清めの所作を執られましたが、私は何故かパスしていました。

1img_7100 拝殿

拝殿の前では参詣の人が拝礼されており、私達も順次拝礼させていただきました。

1img_7103 狛犬

1img_7105_20200407143901 狛犬とZ旗

なお、拝殿の前の狛犬は曲線でできた狛犬で、見なれた姿のものでした。
が、そのことによって先ほど見たロボティックな狛犬がより強く印象付けられてしまい、今でも神社で狛犬を見るとここのロボ狛犬を思い出してしまうのです。

   

2020年4月 6日 (月)

Houston(TX)/ AZALEA TRAIL (54th Annual 1989)

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米国テキサス州ヒューストンという街は、この100年ほどの間に発展した街です。
亜熱帯性の高温多湿な気候のため、それまではヒューストンエリアに住む人はほとんど居なかったそうです。

因みに、暑さに関しましては、私は1987年5月に赴任したのでしたが、空港に着いてコンチネンタル航空機の搭乗口に繋がるボーディングブリッジを歩く間と、バゲイジクレイムでコンベアの荷物を待つ間に感じた蒸し暑さはヒューストンの第一印象として今でも憶えています。
また、オフィスのあったダウンタウンはビルが地下のトンネルで繋がれていて外に出なくてもビル間の往来は可能でした。
例えばの話ですが、オフィスのあったビルから3ブロック離れた処にハイアットがありここに宿泊した出張者がトンネルを使わずに徒歩でオフィスのあるビルまで来ることがありましたが、皆さん汗でズクズクになっていました。

しかしながら、1900年代初頭に石油の埋蔵が発見されて所謂オイルラッシュが起こったことと、その後エアコンが開発されたことが大きな要因となり、ヒューストンは今では人口200万人を超える全米4位の都市となっています。

先述の通りヒューストンは亜熱帯性気候のゾーンに位置していますが、短い冬(といっても日本の春先程度)もあり四季にはそれぞれの風物も愛でることができます。
例年3月になりますと、日本でいう春が訪れ、テキサス州の花であるブルーボンネットなどが一斉に咲き始めます。
それらの花に交じって「AZALEA」の花も一斉に咲き始めます。

ところで、ヒューストンには主に石油で財をなした人たちが多数おられ、幾つかの家庭はヒューストンの中の超高級エリアである「RIVER OAKS」という場所に豪壮な住居を構えておられるのです。
因みに「RIVER OAKS」という場所は財力があれば住むことができるという場所ではなくて、先ず住民の合意がなければ入っては来れない場所と聞いたことがあります。
また、住民の合意を形成するための諸条件は多岐に亘っているようですが、門外漢の日本人駐在員には知る由もありませんでした。
「RIVER OAKS」という場所はある規範に準じた超富裕層のコミュニティで、一つのコミュニティとしての共通の価値観や生活レベルが維持されていたのでした。
また、コミュニティ専用のゴルフクラブ「RIVER OAKS COUNTRY CLUB」(もちろん立派なゴルフコースです)やプールなどがエリア内にあります。

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さて、3月の「AZALEA」のシーズンになりますと、「RIVER OAKS」にある数軒の豪邸の庭が一般開放されて、「AZALEA」を愛でることができます。
この豪邸の庭園の一般開放は「AZALEA TRAIL」と名付けられていて、地図の付いた解説書を手にして庭園を順次回遊して行くものです。
場所はヒューストンという広大な土地ですから、見学者は自動車で「RIVER OAKS COUNTRY CLUB」の駐車場や周辺に駐車しましたが、私はその際にゴルフコースを見ることができました。
手入れの行きとどいた素晴らしいコースが住民の庭のように静かな佇まいを見せていました。

なお、「AZALEA」とは、日本では「つつじ」に相当しますが、品種の違いでしょうか、若干花の雰囲気が異なるようです。

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私はヒューストンに赴任して2年程経った1989年の3月に「AZALEA TRAIL」に行く機会がありました。
記憶しているのは、凄い豪邸と見学者の多さです。
その際に写真は撮ったと思いますが、フィルムの整理が完了できておらず、見つけることが出来ないままです。

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さて、日本でもそろそろ「つつじ」の季節です。
穏やかな気持ちで「つつじ」を愛でることができれば良いのですが・・・。

   

2020年4月 5日 (日)

銀座/ レストラン 早川 (ビール、ポテトサラダ、オムライス大盛)

コロナ騒動のせいで不要不急の外出を控える生活が続いています。
従いまして、弊ブログの主体を構成する「出掛けた際に遭遇した出来事や飲食」について記述できる題材に巡り合うことは皆無となりました。
そこで、この機会を活かして、過去に出会ったものの掲載するタイミングが合わなかった事柄について記していこうと考えています。
また、コロナ騒動が早く終息することを心から祈っております。

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1dsc07380 レストラン 早川

銀座広しといえども洋食を標榜するレストランは左程多く在る訳ではありません。
そうした中、「レストラン 早川」は昭和11年(1936年)から続く超老舗です。

会社員時代は、昼食を摂るために「泰明庵」、「中華 三原」、「ちりちりラーメン 風鈴屋」に次いで足繁く通ったのが「レストラン 早川」であり、その回数は100回に近くなっています。

一方、「レストラン 早川」で夕食を摂ったことは一度も無く、初めて夕食を摂りに訪ねたのはリタイアして約2年半後の2016年4月13日のことでした。

1dsc07360 ビール(中瓶)とおつまみ

夕食をいただくということですので、先ずはビールをいただくことにしました。
また、料理は「ポテトサラダ」と「オムライス(大盛)」をお願いしました。

当店ではお酒は「ビール(中)」と「ハイネケン」の2種類のみがお品書に載せられていて、「ビール」をお願いしますと「キリンのラガー」が供されました。
老舗洋食店らしくビールは定番中の定番銘柄の一つでした。
これは私個人の嗜好の問題かもしれませんが、定番の銘柄というのは安心感があって心が落ち着くというものです。

1dsc07364 おつまみ

また、ビールのおつまみとして「濃厚 カレー柿ピー」の小袋が供されました。
この小袋は小皿に載せられていて、中身をこの小皿に移せるように配慮されたものでした。
銀座の数ある名店でもこのような行き届いたことはされていません。
流石は80年を超える歴史を誇る老舗です。そつがありません。

1dsc07361 ポテトサラダ

また、「ビール」を一口飲んでホッと一息ついたタイミングを見計らって「ポテトサラダ」が供されました。
女将さんの細やかな心遣いがありがたいです。

1dsc07362 ポテトサラダ

「ポテトサラダ」はボウルに敷かれたレタスの上にそっと載せられ、横には貝割菜が添えられていました。
また、ポテトにはスライス後水で晒されたタマネギと茹でた人参が混ぜられていて、見た目に清楚な中に深い味わいのあるサラダでした。

1dsc07379 オムライス大盛

「ポテトサラダ」が終わるとタイミング良く「オムライス」の大盛が目の前に置かれました。
私は体が比較的大きい方なので、この当時は大盛が丁度好いサイズでした。
「オムライス」は、何時ものように上に掛けられた自家製ケチャップソースを玉子シートの上に塗り広げてから、左側の端から食べ始めました。

当店の「オムライス」はできたてのアツアツが供されますので、最初は半口ほどの量から食べ始めるのが丁度好いというものです。
半分ほど食べた段階で添えられた千切りキャベツもいただきますと、食感に変化が現れるのと同時に濃厚な自家製ケチャップを纏ったライスの味わいが暫時円やかになります。
こうして口腔内をリフレッシュして再びオムライスを口に含みますと、二度目の落頬垂涎落涙迸鼻の境地に達するのでした。

1dsc07372

因みに、「レストラン 早川」は席数14の小体な店です。

しかし、店内に飾られている営業許可証を拝読すると、その歴史は長く、昭和11年3月16日付で京橋区木挽町に飲食店営業が京橋築地警察署長によって許可され、種目は『西洋支那料理和洋酒喫茶』となっています。

1dsc07371 御曹司

今は御主人、女将さん、御曹司の三人で切り盛りされています。
御曹司は明朗快活な人で、私が未だサラリーマンであった時に店に出てこられるようになったように記憶しています。
私が現役の頃は御主人が屋台骨を背負っておられたのでしたが、先日久しぶりに訪ねた際には現在の屋台骨を背負うのは御曹司であるように思えました。
三人とも寡黙なものの明るい雰囲気の方々で、居心地の良いお店です。
当店の益々のご発展を祈念しております。

1dsc07370 歌舞伎座のポスターの定位置

1dsc07304 歌舞伎座ビル4階より(昼間に撮影)

   

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2020年4月 4日 (土)

小金井/ 貫井神社 (鴨の戯れ)

1dscn6660 最後尾の鴨に追われて逃げる2羽の鴨

今日は最高気温が20℃を超えて温かい一日となりました。
風は強かったものの好い天気に誘われて貫井神社に詣でました。

貫井神社の池では数羽の鴨が遊弋しいていましたが、その内の1羽が他の鴨達を追いかけまわしていました。
時々見る光景ですが、追いかけるのはどうやら何時も同じ鴨のようです。

追いかけられた鴨達は飛び上がって数メートル先に退避するのですが、この時に鴨が水面から飛び上がる姿を見ることができました。
追いかけられる鴨たちにはご苦労なことですが、動きのある鴨を見るのはなかなかないだけに貴重な機会でした。

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2020年4月 3日 (金)

健康/ Glico GABA for Sleep

1dscn6567 GABA for Sleep

もう2週間前ほどのことでしたが、近所のドラッグストアにマスクが置いてないか見に行った際に販売されていたのが「GABA for Sleep」というチョコレートです。

ここ数カ月に亘って夜中に目が覚めることが多く、睡眠の安定を求めている中、医薬品ではないチョコレートで睡眠が確保できるのならそれに越したことはありません。

1dscn6568 説明書

パッケージの裏側には効能と用法に関して詳しく説明が書かれています。
それによりますと、睡眠の質(眠りの深さ、すっきりとした目覚め)の改善に役立つ機能のある「γ-アミノ酸」が含まれていると記されていました。

1dscn6571

そこで、まずは試しに就寝前に一粒を食べて、しっかり歯を磨いて寝たのでした。

すると、ア~ラフシギ!良く寝むれたのでした。(個人の感想です。)

まず、摂取して30分以上経過した頃から、後頭部から肩や背中の上部にボワ~ッとした温かみが感じられるようになり、なんとなく睡眠の世界に誘われるような、そんな感じになりました。(個人の感想です。)

そして、頭を枕に置きますと、数分の内に眠っていたようでした。

ただし、午前3時ころでしたが、家の外の音で目が覚めたのでしたが、気分は良く寝た~ぁという良い感じでした。(個人の感想です。)

そこで思いますに、推奨摂取量は三粒でしたが摂取したのは一粒だけでしたので、ということは、私に対する一粒の効用は3~4時間くらいというところでしょうか。(個人の感想です。)

また、以前は夜中に目が覚めると余り気分は良くなかったのでしたが、このチョコレートの効果でしょうか、目覚めはスッキリしたものでした。(個人の感想です。)

その後、同様の実験を繰り返しますと、似たような睡眠を得ることができたように思います。(個人の感想です。)

なお、比較のために摂取しないで寝ることも実施しましたが、睡眠に入るまでの時間は長くかかったのは実感ですし、夜中の目覚めはスッキリしないものが多かったのです。(個人の感想です。)

したがいまして、私個人に対する「Glico GABA for Sleep」の効果は、①頭を枕に置いて睡眠に入るまでの時間が短くなったこと(個人の感想です。)と、②目覚めがスッキリした(個人の感想です。)、という二つであると思料するところです。

   

2020年4月 2日 (木)

小金井/ 野川 (桜) [2020.04.02.]

1img_8753 坂下橋の西側

都知事の要請以降、不要な外出を控えてきました。
が、今日は買い物の途中に野川に沿って歩きました。
3月の24日以来のことですから、野川を歩くのは9日ぶりのことです。

桜が満開になったのは3月22日頃のことでしたから、野川に架かる橋に出るまでは桜の花はかなり散ってしまっているように考えていました。
ところが、実際は未だ三分から多い樹では四分程の花が残っていたのでした。
いとうれし!と思いコンパクトデジタルカメラを構えたのでしたが、現下の状況を考えてササッパッと撮影を済ませたのでした。

1img_8744 桜の花弁と鴨ちゃん

また、野川の流れを見ますと、桜の花弁が無数に流れていて、鴨ちゃんの傍を通り過ぎていました。

1img_8750 花筏

更には、野川の淀みには桜の花弁が留まって花筏になっていました。
新しい花弁が集まっていたので、これはこれで綺麗でした。

1img_8718 弁天橋の西側

1img_8713 西之橋の東側

1img_8707 西之橋の西側

1img_8763 たんぽぽ

   

2020年4月 1日 (水)

NHK/ テレビ講座 (旅するスペイン語、ロシアゴスキー [2019.4~2020.3])

1img_0001_20200329103901 

NHKのテレビ講座はフランス語やイタリア語など過去に何度かチャレンジしたことがありました。
が、全てが3カ月も続かずに挫折してしまっていました。
2019年度はスペイン語とロシア語の講座にチャレンジし、スペイン語については年間を通して全てのプログラムを見ることができました。
これは私にとっては初めてのことで、奇跡的なできごとなのでした。

プログラムは全て録画しておいたものを見ましたし、テキストもちゃんと購入して目を通してきました。
しかしながら、語学の才能には恵まれておらず、文法は全くの無視状態で、興味あるフレーズを憶える程度のものでしたがそれはそれで一年間を通して学習したという気分にだけは浸っております。

昨年の4月、スペイン語講座を始めた頃は、スペインへの観光旅行を視野にいれていましたが、このコロナ騒動がいつになったら治まるか、また治まったとしてもそのダメージは大きくて、将来のスペイン旅行についてはいつのことになるかは分からないというものです。

なお、自分なりに一年間続いた要因を考えますと、スペイン語は発音がしやすいということ、米国勤務時代にメキシコやベネズエラに出張する機会が結構あってスペイン語に多少なりとも触れていたこと、最初に住んだヒューストンという街ではメキシコ系の人やレストランが多くスペイン語が近い存在であったこと、そしてテレビの構成が映像主体で半分以上はカナリア諸島やアルゼンチンの旅番組的であって楽しく見ることができたこと、などがあげられます。

1img_20200329103901

一方、ロシア語につきましては息子一家がモスクワに転勤になったのを機会にチャレンジしましたが、キリル文字も文法もチンプンカンチンなまま映像を見ただけで、ホンの数えるほどのフレーズしか憶えることができませんでした。
が、映像を通してこれまで知らなかったロシアの文化に触れることができたのは大きな収穫でした。

ロシアへの観光旅行ではとても会話などはできそうにないので、もし行くならパッケージツアーになるでしょうけど、これもコロナ騒動が治まるまでは目処も付かないというものです。

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