« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月

2018年1月31日 (水)

新大阪/ 甘党 御座候 新大阪店 (御座候)

1img_5142 甘党 御座候 新大阪店

「御座候」は所謂「どら焼き」である。
単にどら焼きとはいっても、その名前の由来通り『銅鑼』の形をし、中に餡子がたっぷりつまった焼和菓子の銅鑼焼である。

いきなり冒頭から余談をさせていただくが、我が母方の祖父は武士の魂を持った人であった。
そもそも母方の家系は(などと書くと旧態依然とした話となるが)某藩の家老を連綿と継いできた家であり、男児の名前には代々必ず共通の一文字が使われている。
また、代々家老職であったということから、祖父は明治生まれであったがその祖父の祖父の代までは家老であり、武士であるという矜持をより強くもって生きてきた人達であったことから、我が祖父はその人達の気慨や感性を濃厚に受け継いでいる人であった。

さて、その祖父から幼い頃に聞かされた話が、この御座候を目の前にしたものであった。
その話というのは、
「御座候」というのは武士の言葉で、その意味は「です」
というものであった。
他愛もないことであり、普通なら忘れていてもおかしくはないようなことであるが、私がしっかりと憶えているのは、祖父が武士の血を引いているということを濃厚に意識して私に語ったからであろうと思う。
これ以外にも祖父は私に
人前で情けない態度をとってはいけない
とか、
常に姿勢を正しておくべきである
というようなことをよく聞かせていたのであった。

どら焼きの話題をきっかけに話が大きく逸れてしまったが、この「御座候」を見るたびに必ず先述の祖父の話を思いだすのである。
そして、残念なのは孫である私は根性無しであるということである。

1img_5143 実演販売

さて、先日大阪に行った帰りに新大阪駅で「御座候」を購う機会に恵まれた。
「御座候」は近畿では有名な和菓子で、薄皮の中に餡子がたっぷりと入っている。
価格も150円程度となっていて買い易く、関西では長く人気のある和菓子である。

1img_5160 御座候

1img_5174 白餡と赤餡の二種類(赤餡はつぶ餡)

   

2018年1月30日 (火)

京都駅/ 京都 季鶏屋 

1img_2990 

11月に大阪に出掛けた帰りのことである。
予め指定席特急券を購入していたのぞみよりも東京に早く戻ることにして、新大阪駅に着いてから早い時間帯ののぞみかひかりに変更しようとしたのであったが、考えが甘かった。
秋の行楽のため、京都より東京方面は全て売り切れとなっていて、指定席の変更は不可能という状態であった。
この時点で、予定していたのぞみには2時間以上の時間があった。
そこで、一旦京都に移動して昼食を摂ることにし、在来線で京都に向かったのであった。

1img_2952 

京都駅に着くと、駅の構内や駅前は凄まじい数の観光客で溢れかえっていて、案の定荷物を預けるコインロッカーは全て使用中であり、また案内所で教えてもらった荷物の一時預かり所も長蛇の列となっていたのであった。
この時は結構大きめの荷物を携えていたので、錦市場まで地下鉄を乗り継いで行くことは諦め、駅の北側で昼食を摂れそうな店を探すことにした。

京都駅の周辺には学生時代も含めて殆ど来たことがなく、土地勘はないのであったが、少し歩けばちょっとした店が見つかるであろうとの思いでいた。
そして、これも甘い考えであることに気付くのに左程の時間は要しなかったのであった。
仕方がないので、暫らく歩いている内に目に留まった焼鳥の店「季鶏屋」に歩を進めたのであった。

1img_2965 

「季鶏屋」に入ったのは11時半を少し過ぎた頃合いであったが、入口を入って左側にあるブース席に案内され、一息付くとともにお品書に目を通した。
周りを見ると先客は無く、私がこの日の最初の客となった様子であった。

1img_2958 

先ずはお品書をに目を通すと、京都を中心に近畿地方の清酒が揃えてあることに気付いた。
しからば、先ずは喉を潤すこととし、「澤屋まつもと」(純米酒)[京都府]をいただくこととした。

1img_2959 「澤屋まつもと」(純米酒)とお通しの「鶏の南蛮漬」

当店では、清酒は「唎き猪口」で供され、その「唎き猪口」は小皿に載せられていた。
従って、注がれた清酒は殆ど溢れさせられることは無く、気分としては若干残念なものがあった。
しかしながら、注ぎ入れられた「澤屋まつもと」(純米酒)を一口含んでみたら、そういう気分は一辺に吹き飛んでしまったのであった。
この「澤屋まつもと」(純米酒)は実に清澄な味わいで、その美味さを表現する手段を残念ながら持ち合わせていないのが残念であった。
口腔内の温度で立った香も清澄で、例えるならば深山の早朝の空気を彷彿とさせられるもので、加えて含み香は一段深く鼻腔内に浸透するもので、近年飲んだ清酒の中では極上の部類に入るものであった。

さて、「澤屋まつもと」(純米酒)をいただきながら、お品書に目を通した。
選択した料理は、「ポテトサラダ」、「焼鳥」(ぼんじり、とり皮、やげん軟骨、鶏つくね)であった。

1img_2968 ポテトサラダ

真っ先に供されたのは予想の通りの「ポテトサラダ」であった。
この「ポテトサラダ」は鶏の燻製と思しき肉が混ぜられていて、これがマッシュトポテト、敢えて辛味を残した玉葱のスライス、そしてマヨネーズと合わさることによって他のポテトサラダにはない佳い味わいを醸し出していた。
最初は軽い気持ちで入った店であったが、何となくなかなかやるのではないかと思い始めていた。

1img_2970 鶏つくね

「鶏の南蛮漬」と「ポテトサラダ」を肴に「「澤屋まつもと」(純米酒)をクピリクピリと飲っていると、予想に反して「鶏つくね」が最初に供された。
焼鳥ってものは焼き立ての熱い内にササッといただくものだぜい、とばかりに食べ始めたら「ぼんじり、とり皮、やげん軟骨」が一気に目の前に置かれた。
因みに、「鶏つくね」には和辛が添えられていたが、使うのが勿体ない姿でもあり、七味でいただいた。

1img_2974 ぼんじり、やげん軟骨、とり皮

「ぼんじり、やげん軟骨、とり皮」も七味でいただいたが、「やげん軟骨」の焼き方が甘かった以外は美味しくいただいた。

1img_2982 「しほちゃん」さん

「焼鳥」を食べ始めた頃合いには「澤屋まつもと」(純米酒)が残り少なくなっていて、もう一杯いただこうかなァ、などと考えていると、ふと横に人の立つ気配を感じた。
目を遣ると壇蜜女史の雰囲気を漂わせたうら若き女性が立っていた。
その名を尋ねると「しほちゃん」とのたまわれた。
そして、その話しぶりはしっかりしたもので、店長かと思った次第であった。
先ずは、「しほちゃん」さんにこれも京都の清酒である「聚楽菊」(純米酒)[京都府]をお願いした。
次いで「しほちゃん」さんのことを店長ではあるまいかと尋ねると、アルバイトで竜谷大学の学生さんであるという。
学生アルバイトとはいえ、並居る男性店員衆よりは遥かにしっかりした人であった。

なお、私の世代の人間にとって「しほ」という名前は「大魔神」における藤村志保女史であるが、まあそういうことは語った処で誰も興味のないことであろうか・・・。

1img_2979 聚楽菊(純米酒)

「聚楽菊」(純米酒)も佳い清酒であり、「唎き猪口」で供された。
なお、「聚楽菊」は佐々木酒造の清酒で、佐々木酒造は映画俳優の佐々木蔵之助氏の生家だそうである。

1img_2984 鶏スープ茶漬け(明太)

京都の清酒2杯をいただき、最後に軽く食事を摂ることにした。
「しほちゃん」さんにお薦めを尋ねると、「鶏スープ茶漬け」の明太子ヴァージョンがお薦めであるとのたまわれた。
ということで、「鶏スープ茶漬け(明太)」をサバサバサバと啜り込んで、店を後にしたのであった。

   

続きを読む "京都駅/ 京都 季鶏屋 " »

2018年1月29日 (月)

新大阪/ 肉処 京都勝牛 新大阪駅 (特撰牛ロースカツ膳ランチセット)

1img_1044 肉処 京都勝牛 新大阪駅

「肉処 京都 勝牛」という店名である。
京の都というと、そのイメージはどちらかというと肉のカツというものではない。
それだけに寧ろイメージとしては鮮明なものがあるようである。

1img_9055 「浪花そば」の前にはウルトラに長蛇の列

昨年のことであったが、大阪での所用を終えて東京に戻ろうとしていた。
この頃は新大阪駅といえば「浪花そば」でうどんを啜るのを常としていたのであったが、いかにせむ、「浪花そば」の前にはウルトラに長蛇の列ができていたので、うどんを諦めたのであった。

1img_9056 

そこで、一旦改札を出て新大阪駅の構内を歩きまわった結果、見つけたのが先述の「肉処 京都勝牛 新大阪駅」という店なのであった。
もともと「浪花そば」でうどんをサバサバサバと啜って新幹線に乗る心づもりであったことから、食事にあてることのできる時間は左程はなかった。
店の貼紙を見ると、カツは60秒で揚がる、なんてことが書いてあったのもあって、躊躇せずに店内に歩を進めたのであった。

案内された席に着いて「昼限定」と当たり前のことが書かれた「LUNCH MENU」から「特撰牛ロースカツ膳ランチセット」をいただくことにした。
また、サイドに一品選ぶことになっていて、「牛すじ煮込み」をいただくことにした。
因みに「牛すじ煮込み」を選んだ時点で無性に生ビールを飲みたくなったのであったが、この日は左程マッタリした時間を過ごすことはできなかったので、我慢したのであった。

1img_9066 特撰牛ロースカツ膳ランチセット

当店では牛カツが上げられるのは速いようであるが、何せ店が混んでいたことから予想よりも待った後に「特撰牛ロースカツ膳ランチセット」が運んでこられたのであった。

1img_9068 特撰牛ロースカツと牛すじ煮込み

1img_9057 美味しい食べ方

供された「特撰牛ロースカツ」は店のインストラクションに従っていただいた。
6種類ある食べ方の中では、私個人としては「わさび醤油」と「牛カツソース」が良かったように思っているが、これは好みの問題であって周りにいる若い人たちは「和風カレーつけ汁」なんてのも良いようであった。

1img_9060 調味料

1img_9058 60秒で揚がるらしい

   

続きを読む "新大阪/ 肉処 京都勝牛 新大阪駅 (特撰牛ロースカツ膳ランチセット)" »

2018年1月28日 (日)

新大阪/ 柿千 (たこむす)

1img_0001 

昨年から気になっている物の一つにたこ焼きがある。
過日のことであるが、ネット情報を漁っていると、新大阪駅で「たこむす」という商品が販売されているということを知った。

1img_5146 

そこで、東京に戻る際に新大阪駅で「たこむす」を探したのであった。
そして「たこむす」は新大阪駅の新幹線コンコースにある「DELiCA STATION」という店で販売されていることを漸く探し当てたのであった。

1img_5144 

件の「たこむす」は陳列ケースの中段中央の最も目立つ場所に他の駅弁に囲まれて燦然とその存在を示しているのであった。

1img_5145 

早速、店員のお姉さんに「たこむす」を一つ所望し、手渡されたプラスティックバッグをしっかと掴んで予定していた「のぞみ」に乗るべくホームに上がったのであった。

1img_5149 

「のぞみ」が新大阪駅を出発すると、早速「たこむす」をいただくことにした。
「たこむす」の箱をプラスティックバッグから取り出すと、その箱は竹の皮をデザインしたもので、改めておむすびを主体とした食べ物であるということが良く分かった。
なぜなら、たこ焼は竹の皮には包まないからである。

1img_5151 

箱の蓋を開くと、そこには「たこむす」の漢字名が「多幸結」であることが示されていた。
そして、小さな文字を読むと、これは登録商標と印されていたのであった。
それにしても多に幸に結とは目出度くも結構な名称である。

1img_5152 

さて、箱の中を見ると、そこには5個の「たこむす」と一袋のマヨネーズが詰められていた。

1img_5156 

カバーを取って眺めると、見た目はたこ焼の海苔巻の様相であった。

1img_5163 

1img_5165 

先ずは手で割ってみると、タコの大きめの身が入ったトロリ系のたこ焼(当たり前か)とたこ飯(と、箱に書いてある)の二層構造となっていた。
先ずはそのままを口に含んでみた。
最初は冷えた状態であることからたこ焼きとたこ飯の若干硬めの食感だけであったが、咀嚼を繰り返す内に体温で暖められた結果たこに固有の味わいが広がってきたように感じられた。
マヨネーズを付けていただいてみたが、私個人としてはストレートの方が良いように思う処である。
なお、レンジでチンしたら味わいは深いものになりそうなポテンシャルが感じられたが、新幹線の車内では叶わないことであった。

   

続きを読む "新大阪/ 柿千 (たこむす)" »

2018年1月27日 (土)

小金井/ 雪の上の落ち葉、氷柱

1img_5381 

一昨日は所用で外出しました。
道を歩いていますと、先日の大雪が積もった処にもみじの枯れ葉が落ちていました。
よく見ると、枯れ葉は鉛直方向に2cmほど沈んでいたのでしたが、枯れ葉の載った部分の雪は葉と柄の形に融けていたのです。
有りそうでなかなか出合えない光景に暫し見とれていたのでした。
コントラストの弱い画像となりましたが、融けた雪の形をお分かりいただければ幸甚です。

1img_5383 

1img_5382 

また、昨日は我が家の軒の下には一本だけでしたが、大きな氷柱ができていました。
昼間は気温が上がったせいでしょうか、氷柱の先から水滴がポタポタと落ちていました。

1img_5395 

   

2018年1月26日 (金)

小金井/ インド風カレー プ―さん (インド風カレー 野菜チキン、レギュラー、辛さ④)

1img_5211 インド風カレー プ―さん(大雪の日)

私が「プ―さん」を初めて訪ねたのは、今から約20年前のことで、小金井に世田谷区松原から引っ越してきて直ぐの頃であった。
その当時には「プ―さん」はカレー通の間では評判の店であって、昼夜関係なしに行列のできる店であった。
20年前は未だ建物は建て替えられる前であって、テーブル席主体の渋い設えの店であったように記憶している。

さて、先日は大雪となった日に所用で出ていたことから、いかに「プ―さん」であってもこの雪であるから行列に並ばなくても入店できるであろうと考え、昼食は20年ぶりに「プ―さん」で摂ることにした。

ということで、行列に並ばずにドアを開けて店内に歩を進めると、既に数組の先客が居られたのであった。
とはいうものの、U字型のカウンター席には空きがあり、その一つに着席したのであった。

1img_5197 メニュ

メニュを見ると

私の記憶に間違いがなければ、当店のカレーは野菜の素揚げが特徴となっている。
また、私はカレー店の味はチキンカレーで定点観測している。
ということで、9種類ある食べ方の中から「野菜チキン」のレギュラーサイズを辛さ④でいただくことにした。

1img_5204 野菜チキン、レギュラーサイズ、辛さ④

待つこと暫し、注文した「野菜チキン、レギュラーサイズ、辛さ④」が供された。
まずル―を一匙口に運んだ。
ル―は結構粘度が高いものであるが、それは油脂系のものではなく、すりおろされた野菜に由来する舌触りであったことから、香辛料と野菜ペーストがベースになったル―であると推察するところである。
また、ルーからは香辛料が多層的に感じられ、味わい深いル―であった。
今思うに、このル―を味わうには辛さは控えめであるほうがより香辛料を味わえるように思っている。
次回訪ねる機会があれば辛さは②くらいでいただこうかと思料するところである。

また、野菜の素揚げは一体何種類が入れられているのであろうか・・・。
パセリ、ナス、レンコン、カリフラワー、シメジ、サツマイモ、ニンジン、コンニャク、ズッキーニ、など(まだまだ野菜は入っていたが憶え切れず)が所狭しと入れられていた。
なお、素揚げされたパセリのクリスピーな食感とほろ苦い味を感じた際には、20年前に訪れた時にいただいたパセリの印象が蘇えってきたのであった。

なお、量はレギュラーサイズを選択したのであったが、今の私にはその量はかなり多く、プチサイズで十分なようであった。

1img_5199 福神漬

1img_5206 ジンジャー香るチャイ

最後に「ジンジャー香るチャイ」をいただいて、雪の降る小金井の街に出たのであった。

1img_5200 

   

2018年1月25日 (木)

小金井/ 春秋庵 (担々麺+麻辣醤)

1img_5194 春秋庵

一昨日は久しぶりに担々麺を食べに春秋庵を訪ねた。
春秋庵に出向くのは今年初めてであり、いざ食べむ、と意気込んで出掛けたのであった。

1img_5193 

店の前に至ると、担々麺の貼紙が目に飛び込んできた。
当店の担々麺は他店の担担麺には無いたいそう佳い味わいがあり、私は好きである。

1img_4753 

さて、この担々麺であるが、私個人的にはも少しラー油が強めに効かされていると好いのであるがといつも思っていたのであったが、前回訪ねた際に「麻辣醤」(自家製ラー油)を追加できることを知ったのであった。

1img_4749 

そこで、今回はこの「麻辣醤」を追加した担々麺をいただくことにし、券売機で「担々麺」と「麻辣醤」のボタンを押したのであった。

1img_5187 担々麺+麻辣醤

食券を女将さん(いっても20代か?)に手渡し、店主殿(30代か?)が「担々麺+麻辣醤」を仕上げてくださるのを待った。
待つこと暫し、「担々麺+麻辣醤」が目の前に置かれた。
そして徐にスープと麻辣醤を掻き混ぜ合わせた後、一啜りした。
実に佳い味である。
当店の担々スープは元々からして美味であるが、それが私好みの一層深い味わいへと進化したのであった。
次いで、肉味噌、水菜、麻辣醤、スープを適宜混ぜ合わせ、麺にそれらをたっぷり絡めて啜り上げた。
落頬落顎落涎落涙落鼻水という悦落(エツラク)の五重奏となったのであった。

1img_5190 

なお、女将さんからは更に辛くするのに「八味」という七味の上を行くハバネロ入り唐辛子を手渡された。

1img_5192 

後学のためと思って「八味」を少し振っていただいたが、若干尖った辛さであった。
私個人としては「麻辣醤」の角の無い辛さの方が好みであったので、「担々麺+麻辣醤」をそのまま啜り続けたのであった。
なお、残ったスープは全ていただいたが、できることならばライスを入れておじやにしていただきたかった。
いつか勇気を出しておじやもいただくことにしたいと思っている。

   

2018年1月24日 (水)

I MUSICI/ The Four Seasons (CD)

1img CDジャケット

多くの人の例に洩れず私もヴィヴァルディの四季は好きである。
今、思い返すと、私がヴィヴァルディの四季を初めてこれがヴィヴァルディの四季だと認識したのは中学2年の13歳のことであったように記憶している。
それは、構内放送で放課後の帰宅を促す放送が行われた際にヴィヴァルディの四季が流されていたことによるものであった。
構内放送の四季は、毎月1楽章ずつ進んでいくというもので、1年を通じて4楽曲各3楽章の全12楽章がコンプリートされたのであった。

その後、ず~っと時が経ち、初めて「I MUSICI」の四季のCDを購ったのはヒューストンに住んでいた1988年頃のことであった。
既に齢は35歳を数えていたのであった。

1img_0003 下端にMADE IN WESTGERMANYの文字

1img_0004 

   

2018年1月23日 (火)

NY/ LINCOLN CENTER (I MUSICI)

1img_2 

1994年1月23日(日)のことである。
ヴィヴァルディの「四季」で超有名な楽団である「I MUSICI」の演奏をLINCOLN CENTER、 AVERY FISHER HALLで聴く機会を得た。
チケットは秘書のTC女史にお願いして前もって電話予約してもらい(現在のようにネットでの予約システムは無かった)、当日リンカーンセンターの窓口で受け取ったのであった。
そして、聴いたのであった。
それはまさしく「I MUSICI」の「The Four Seasons, Op.8」であった。

1img_0001_2 

1img_0002_2 

1img_0003_2 

1img_0004_2 

1img_0005_2 

1img_0006_2 

1img_0007_2 

   

2018年1月22日 (月)

小金井/ 雪

1img_5253 

今日は朝から雪が降り始め、正午頃からは本格的に降り始めた。
15時半現在、我が家の周囲では約10cmの積雪となっている。

今日はふと思い立ってCanon SX720HSの接写機能を活かして、雪の結晶を撮影してみた。
カメラ自体は十分にその接写機能を果たしていたが、サンプルの調製(即ち、落ちてくる雪を如何にキャッチするか)が未熟であり、雪の結晶を1個だけ取りだすことはできないで終わった。
まあ、素人が初めてチャレンジした写真ということで、ご容赦を請う次第である。

1img_5267 

   

2018年1月21日 (日)

SPACE FOOD TAKOYAKI

1img SPACE FOOD TAKOYAKI

昨年のことであるが、三鷹の国立天文台を訪ねた際に売店で購ったものに「SPACE FOOD TAKOYAKI」があった。
孫達が夏休みに我が家に来た際に一緒にいただこうと思っていたが、孫達は興味が無かったようで、一瞥しただけであった。
しかたがないので、クローゼットにしまっていたが、この冬に来た時には取りだすのを失念していた。
先日、クローゼットを物色していたらみつけたので、この際に食べてしまうことにしたのであった。

1img_5059 

アルミと樹脂の多層フィルムでできたパッケージを切り開くと、直径が3cmほどあるたこ焼と思しきものが4個現れた。

1img_5065 

目を傍に寄せて見ると焼いたばかりのたこ焼のような見掛けであり、たこ焼の香が鼻腔をくすぐったのであった。
その内の1個を指で摘まんでみると、結構硬い球状の塊であった。

1img_5073 

徐に噛んでみたら、その歯応えはかなり強固なもので、強く歯を当てるとガリリという音と共に砕けたのであった。
その食感は、敢えて例えるならば「乾パン」のような感じである。

1img_5072 

味わいは、表面にソースが塗ってあって(ソースは完全に乾燥していた)、たこ焼というよりも焦げたお好み焼のような風味であった。
また、中には蛸の身が入れられていて、パサパサしてはいたが噛んでいる内に唾で柔らかくなり、そのことによって蛸の味が広がったのであった。
それにしても、合成風味料の添加でごまかすのではなくて、ちゃんと蛸の身が入れられているところは良心的であると思ったが・・・。

1img_5054 真空パック状態(開封前)

   

2018年1月20日 (土)

国分寺/ 讃岐うどん irico (かけうどん、牛肉コロッケ、鳥天、ゴボウ天)

1img_5097 讃岐うどん irico

昨日は急遽国分寺のドコモを訪ねた。
というのは、数日前から私のスマホがその動作から判断してウィルスに汚染されているように感じていたが、朝になって妙な警告が画面に現れたからである。
ドコモの専門家に診ていただいたが、現状は多分問題ないであろうとのことであった。

ドコモを終えた後、ほぼ11時半という頃合いであったので、国分寺で昼食を摂ることにした。
候補として早稲田実業の運動部の学生が行く店も思い付いたが、未だ病み上がりでもあるし思い直して讃岐うどんの店に行くことにした。
向かった先は「讃岐うどん irico」であり、当店を訪ねるのは2年半ぶりのことである。

11時半を少し過ぎたタイミングで入店すると、既に先客が3名居られた。
人気店故のことであり、私がカウンター席に案内されて暫らくすると近隣のサラリーマンさん達が三々五々集まって来られたのであった。

1img_5091 手前はソース、卸し生姜、天つゆ

さて、2年半ぶりということもあり、お品書を順次見た上で私がいただくことにしたのは、「かけうどん」とトッピングにする「牛肉コロッケ」、「鳥天」、「ゴボウ天」であった。

1img_5092 鳥天(1個)とゴボウ天(3本)

1img_5093 牛肉コロッケ

1img_5095 全部載せ

まず「かけうどん」であるが、炒子で取った出汁からは加熱された小鰯に固有のそこはかとない豊潤な香りと淡い苦味を帯びた旨味が広がり、これが店頭で打たれた讃岐うどんの馥郁たる甘味と相関して、抑制が効かされて上品に仕上げられてはいるが存分に個性を発揮した佳い味わいであった。
また、店頭で打たれるうどんは丁寧に茹で上げられることで、程良い腰と同時に柔和な歯応えが付与され、関西人にとって『うどんらしいうどん』が楽しめたのであった。

トッピングでは、最初に「ゴボウ天」を一噛みだけ天つゆでいただいたが、それ以外は全て「かけうどん」のおつゆに漬していただいた。(結局、ソースも天つゆも全く使わずしまいで、勿体ない事をした。)
揚げたての「ゴボウ天」は15cm程の長さがあり、歯を当てると衣のサクリ感を感じたあろ牛蒡の繊維を切り進む歯応えが心地よく、咀嚼によって牛蒡の香りと味が広がった。
また、これをおつゆに漬していただくと、炒子のおつゆの旨味と相乗して佳い味わいであった。
「鳥天」もおつゆとの相性が良く、「ゴボウ天」とは反対の柔らかな歯応えとともに天ぷらにされた鶏肉の旨味が広がったのであった。

一方、「牛肉コロッケ」は期待通りのコロッケで、おつゆに漬して一口大にカットしながらいただいた。
木の匙でおつゆと一緒に口に運んだが、少しずつおつゆに拡散し始めたコロッケの味わいと柔らかになったコロッケの本体の口当たりが頬を緩めるのであった。

そして、最後までおつゆを飲みきって、まったりした気分で店を後にしたのであった。

1img_5089 薬味は七味のみ

なお、卓上の薬味は七味のみという潔さで、他に何も置かれていない。
七味をほんの少しおつゆに降ってみたが、香川県産の七味に共通する赤唐辛子のアクセントが強烈であった。

1img_5087 

また、カウンター席の前には清酒が並んでいて、数多くある肴で一杯飲るのも良さそうであった。

   

続きを読む "国分寺/ 讃岐うどん irico (かけうどん、牛肉コロッケ、鳥天、ゴボウ天)" »

2018年1月19日 (金)

NY/ METROPOLITAN OPERA (Die Zauberflöte)

1img 

1993年1月19日(火)の夜であった。
当時勤務していたM社現地法人の社長であられれたAY氏からのお誘いを受けて、メトロポリタンオペラを観賞した。
演目はモーツアルトのオペラ「魔笛」であった。

AY社長は私が最も尊敬するビジネスマンであり、今でもご親交を賜っている。
AY社長は各種藝術に造詣が深い人であり、今でも機会を持たれる毎に観賞に出掛けられておられる。
NYに居られた時は、メトロポリタンオペラのシーズンチケットを2席分確保しておられて、奥さまと観賞に出掛けられておられた。

とある日のことであったが、奥さまが日本に所用で戻られておられた際にAY社長からモーツアルトのオペラ「魔笛」に行こうとお誘いがあった。
私はクラシック音楽は好きであるが、オペラは数えるほどしか観賞したことがなく、更にはチケットも高額であることからご招待を受けることに躊躇があった。
さはさりながら、興味もあったのでありがたくお誘いを受けたのであった。

当日の夕方は、AY社長に促されるように定時にオフィスを出て夕食を摂り、7時半頃にリンカーンセンターに入ったのであった。
そしてインターミッションを挟んで「魔笛」が終わったのが11時半頃であった。
この間、チケットから夕食、更にはインターミッションでのシャンパンを含めて全てAY社長のお世話になったのであった。
なお、帰りはリムジンを呼んで、まずAY社長の住んで居られたオリンピックタワー(オナシス氏がオーナーであった)までお見送りをして、次いでRyeの家に帰ったのであった。
今では懐かしい想い出である。

1img_0001 

1img_0002 

1img_0003 

1img_0004 

1img_0005 

1img_0006 

1img_0007 

1img_0008 

   

続きを読む "NY/ METROPOLITAN OPERA (Die Zauberflöte)" »

2018年1月18日 (木)

小金井/ 長崎県五島手延うどん びぜん家 (かけうどん、肉(甘煮)、かしわ天)

1img_5014 崎県五島手延うどん びぜん家

昨日は所用があって、JR武蔵小金井駅の北側に出掛けた。
所用が終わって駅の近くに至ったのが11時半に少し前のタイミングであったことから、昼食を「長崎県五島手延うどん びぜん家」(11時30分開店)でいただくことにした。

駅からイトーヨーカドーを経て「びぜん家」に向かって歩いていると、暖簾が掛けられるのが見えた。
そして、そのまま歩を進め店に入ったので、この日の最初の客となったのであった。

1img_5004 店内(部分)

店の自動ドアを通ると、以前居られた清楚で美人で若くて丁寧な接客のお嬢さんとは異なるが、実に清楚で美人の若いお嬢さんが迎え入れてくれ、おまけに好きな席に座ってよいと告げてくれたのであった。
いつもならば年配の女性に壁に向かった席を当てがわれるのであるが、このお嬢さんによって久しぶりにテーブル席に着くことができたのであった。
統計的にみてどうかということではないが、2年ほど前に清楚で美人の若いお嬢さんが居られた時にも好きな席に座らせていただいたが、当店では清楚で美人の若いお嬢さんが接客を担当されているとテーブル席に着けるのであった。

まず、店内中央奥寄りのテーブル席に着いて、向かいの壁にある店主殿の五島うどんにかける志を眺めた。
注文に関しては入店前から決めていて、「かけうどん」に「肉(甘煮)」と「かしわ天」をトッピングでいただく心づもりであった。
とはいえ、久しぶりの入店であったことから念のためお品書に目を通した。
が、選んだのは結局当初の心づもりの通りの「かけうどん」に「肉(甘煮)」と「かしわ天」をトッピングするというものであった。

1img_5008 「かけうどん」に「肉(甘煮)」と「かしわ天」をトッピングで

待つこと暫し、注文した「かけうどん」、「肉(甘煮)」と「かしわ天」が薬味の「刻みネギ」と「とろろ昆布」とともに黒いトレ―に載せられて、目の前に供された。

1img_5010_2 五島うどんはあご出汁のおつゆの中

まず五島うどんの鉢に目を遣ると、白きたおやかな五島うどんがあご出汁で整えられた清澄なおつゆの中でその優雅な姿を静かに見せているのであった。
また、うどんの一本一本の描く弾性曲線がその程良い茹で加減を現わしているとともに熱々のおつゆからは湯気が立ち上り、店主殿によって丁寧な仕上げが施されたことが見てとれたのであった。

1img_5009 肉(甘煮)とかしわ天

また、横に目を遣ると、大ぶりの「かしわ天」が揚げたて直後の艶やかな衣を纏っており、その隣の「肉(甘煮)」は牛肉と牛蒡が甘辛く煮込まれた状態で出番を待っている風情であった。

1img_5011 

早速、「かけうどん」の中央部に薬味の「とろろ昆布」および「刻みネギ」を全て置き、次いでその横に「かしわ天」の大きい方と「肉(甘煮)」を三分の一ほど置いた。
まず、おつゆを少し染み込ませた「かしわ天」にガブリと噛みついたら、中心まで熱々に火を通してあるが肉は柔らかく仕上げてあり、滲み出た肉汁・てんぷら油・うどんのおつゆのそれぞれに固有の旨味が口腔内で程良く混ざり合うことで相乗的に旨味を高めているのであった。
一方、「肉(甘煮)」も肉・牛蒡・醤油・生姜から出た濃い旨味が強い収斂性の旨味となって口腔内に広がり、うどんと絡めて佳し、そのまま肉をおつゆと合わせていただいても佳し、であった。
この「肉(甘煮)」は、いつも思うのであるが、酒の肴としても、はたまたご飯のお供としても秀逸な逸品である。

1img_5006 

   

続きを読む "小金井/ 長崎県五島手延うどん びぜん家 (かけうどん、肉(甘煮)、かしわ天)" »

2018年1月17日 (水)

Houston/ Private Pilot License

11img_0005 

1991年になって直ぐの頃である。
飛行機の操縦免許を取得したくなったことがあった。
そこで、お付き合いをさせていただいていた南部連邦軍の大佐殿に紹介された飛行学校を訪ねたのであった。

飛行機の操縦免許を取得するには、操縦を教えてくれる飛行学校(といっても教習所的な組織である)に通って、飛行の原理、飛行機の構造、法令などをマスターした上に、飛行訓練を経て、更に諸試験に合格して初めてライセンスが交付されるというものである。

これらのプロセスにおいては、実際に空を飛ぶ飛行訓練を行う前に健康チェックで問題無いことを専門の医者に証明してもらわなければならない。
ヒューストンにはパイロットの健康チェックをするドクターが何人かおられて、南部連邦軍の大佐殿に紹介してもらったドクターで証明書を発行してもらった。

1img_0006 

また、飛行学校に入学案内所をもらいに訪ねた日に、導入教育で使われる教本の一冊を早速購った次第であった。
しかし、その数日後にセスナ機の緊急着陸や南部連邦軍の大佐殿の事故(機体は大破、本人は無傷)を見たり聞いたりしたことから、ライセンスの取得については一旦考え直すことにした。
そして、なんとなく日が過ぎていった内にニューヨークへの転勤が発令され、ライセンス取得の夢は潰えたのであった。
因みに、当時は飛行学校の授業料は3千ドル弱であった。

1img_0002 

1img_0003 

1img_0004 

   

2018年1月16日 (火)

NY/ GREAT NEW YORK RESTAURANTS

1img 表紙

元旦に孫と連れだって貫井神社に詣でたが、それ以降は玉川上水の淵を少し歩いただけで、ず~っと家の中に居る。
元来は出不精な質で左程苦にはなっていないが、やはり運動不足で体がだるい感じがする。
夕餉に熱燗を嗜むものの、運動していないせいか美味く感じていない。

昼間は自室に篭もって本などを読んでいるが、これも時間つぶしとしては限度がある。
そうなってくると、何か変わったものはないあかいなァとクローゼットの中や本棚を漁っている自分がいるということになる。
昨日は久しぶりに本棚の下の方を見ていると、NY在住時代に購ったレストラン関係の本の一冊に目がいった。

その本の名前は「GREAT NEW YORK RESTAURANTS」というもので、1986年に書かれた本である。
今では情報としては古めかしいものとなり果てているかもしれないが、私がNYに住み始めた1992年の時点では佳いレストランを見付ける一助となっていたことも確かである。

1img_0010 裏表紙

1img_0001 掲載されたレストラン

掲載されているレストランのリストの中に訪ねたことのある店を数件みつけた。
それらを抜き出してみると・・・。

1. Il Cortile

1img_0005 Il Cortile

「Il Cortile」はリトルイタリーの中にあって、Houstonから出張でNYに来ると偶に訪ねた店であり、またNYに住むようになってからもよく訪ねた店であった。
入口のバーカウンターゾーンを抜けて店内奥に進むと結構広いダイニングゾーンとなっている。
更に極めつけはダイニングゾーンの先にパティオがあって、夏の夕暮れ時などはこのパティオのテーブルから窓辺に干された洗濯物などを見上げながら啜るワインも乙なものであった。

当店では、水牛のカルパチオとフライドカラマリ(烏賊のフリッター)が秀逸で、殆ど必ずと言ってよいほどであるがPinot Grigioのボトルを開けながらこれらをいただくのが定番であった。
なお、水牛のカルパチオには洗濯石鹸のブロックから切り出したような姿のパルミジャーノ・レッジャーノのスライスが載せてあり、これがまた佳い味わいであった。

2. One If By Land, Two If By Sea

1img_0006 One If By Land, Two If By Sea

「One If By Land, Two If By Sea」は1787年創業の店で、ZAGATによるとNYで現在も営業されているレストランでは最古のものである。
内部は非常にエレガントな設えとなっていて、夫婦連れや上品な大人の会食場所として有名であった。
その昔、当店には米国出張で来られたYA氏をお連れしたことがあった。
結構慌ただしい会食であったことは記憶するところである。


3. The Oyster Bar & Restaurant

1img_0007 The Oyster Bar & Restaurant

「The Oyster Bar & Restaurant」はオフィスから歩いていけるグランドセントラル駅の構内にあるカジュアル系のシーフードレストランであって、仕事帰りに仲間と訪れることがままあった。
当店では、全米各地から集められた牡蠣、チェリースト―ン、リトルネックなどの貝類を生でいただいたものである。
因みに、これらの生の牡蠣や貝にはカクテルソースとレモンが添えられているが、私は先ずレモンを絞っていただき、後半は少しだけカクテルソースでいたくことが多かった。
なぜなら、その方がカクテルソースよりもワインの味わいが楽しめるからであった。
ワインはカリフォルニア産のものをいただいたが、「Far Niente」か「Ferrari Carano」のChardonneyが多かったように記憶している。
牡蠣や貝類を食し、クラムチャウダーをいただいたら胃の腑は結構満たされたので、後はフライドクラム、フライドカラマリなどを肴に飲んでからお開きというパターンが多かった。


4. Tre Scalini

1img_0008 Tre Scalini

「Tre Scalini」もオフィスから徒歩で行ける圏内の店で、何度か訪ねたことがあった。
イタリア人が経営する店で、マンハッタンのイタリアレストランの中では相当に格式の高い店であった。
アメリカ人顧客を接待する際の候補に挙がるレストランであり、料理もサーヴィスも間違いのない店であった。


5. Window on the World

1img_0009 Window on the World

「Window on the World」ワールド・トレード・センターの最上階にあった店である。
当店は、昼夜を問わずその眺望の良さとワインコレクションの秀逸さで名を馳せた高級レストランであった。
案内される席によって自由の女神が見れたり、あるいはブルックリンブリッジが見れたりと、どこの景色が見れるかは運かあるいは予約時の押しの強さか、はたまた常連であるかに係わっているが、どちらを見ても良い景色であった。


6. The Carlyle Restaurant

1img_0002 The Carlyle Restaurant

「The Carlyle Restaurant」はThe Carlyle Hotelのメインダイニングである。
由緒ある高級ホテルだけあって、満足度の高い食事とサーヴィスであった。
なお、The Carlyle Hotelは本社の社長あるいは会長の宿泊で利用したことがあったが、スイートルームにはグランドピアノや各種映像機器が置かれていた。
いつものことであるが、取引先からは花を主体に多くのギフトが部屋に贈られてきたが、チェックアウト時にこれらをオフィスに持ち帰るのはちょっとした作業であった。

   

2018年1月15日 (月)

Houston/ Baseball Cards (Don Russ 1991 Set)

1img_4977 Don Russ 1991 Set

息子は現地の小学校に通っており、友達の殆どは地元の子供達であった。
したがって、興味を持つ対象も彼らと共通のものが殆どで、その内の一つが「Baseball Cards」あるいは「Baseball Trading Cards」というものであった。
このカードはセットでもバラでも販売されていて、子供に限らず贔屓の選手のものを集めたり、あるいは交換したりすることも行われていた。

1991年はヒューストンに住んで4年目の年であり、息子は11歳になる年であった。
これぐらいの年齢になると野球にも興味が湧き始めるようで、当然のことのように「Baseball Cards」のことも話題になるようになっていた。
そして、とある休日であったが息子を連れて「Baseball Cards」というものを見に行き、勢いで買ってやったのであった。
当時カードのメーカーは2社あって、息子の要望を容れてDon Russ社のセットを購入したのであった。

1img_4976 

1img ASTROSの選手

1img_0003 裏面には個人記録

    

続きを読む "Houston/ Baseball Cards (Don Russ 1991 Set)" »

2018年1月14日 (日)

Houston/ HOUSTON ASTROS (サインボール)

1img_4953 

クロゼットからヒューストンアストロズの選手のサインボール(とはいってもスタンプのサイン)が出てきた。
これは息子を連れて行ったアストロドーム(現在のThe Ballpark at Union Stationに移る前)のギフトショップで買ったように記憶している。

さて、昨年は、大リーグでワールドシリーズをヒューストンアストロズが制した。
テキサス州ヒューストンに約5年住み、時々アストロズの試合を観戦しに行った者としては実に喜ばしいできごとであった。

私がヒューストンに居たのは1987年から1992年のことであったが、この間アストロズはリーグ優勝に手が届かない状況であった。

しかしながら、当時の選手は皆が溌剌としたプレーヤーであり、その中でも思い出すのは
 Billy Hatcher
 Craig Biggio
 Gerald Young
 Gren Davis(1995年~96年6月阪神タイガースに在籍)
 Jeff Bagwell
 Jose Cruz
 Ken Caminiti
 Mike Scott
スタッフでは
 Art Howe(監督)
 Yogi Berra(バッテリーコーチ)
テレビの解説者としての
 Larry Dierker
の各氏達である。

特に、Craig Biggio氏はデヴュしたばかりのころで、元気あふれるプレーが秀逸で人気のある選手の一人であった。
メキシコで石油メジャーの幹部と会食した際にその奥方が「I love Craig!」と言っておられたのは印象に残っている。
また、Larry Dierker氏は球場の放送席で解説をされておられたが、氏と顔を見合わせたことがあった。
柔和な人柄の顔であった。
なお、私が帰国した1995年にはホームランバッターであったGren Davis氏が阪神タイガースでプレーされ、その年のチーム最多ホームランを打たれたのは記憶するところであるが、翌年は6月に帰国してしまわれたのであった。

1img_4954 

 

   

2018年1月13日 (土)

Houston/ BASEBALL (Nolan Ryan選手のサインボール)

1img_4961

Texas州Houstonに住んでいた時のことである。
何度か息子を連れてスポーツショップ行ったことがあった。
そこはスポーツ用品というよりもスポーツ選手に係わるお宝グッズを販売する店で、野球関係ではサイン入りのボール、バット、ユニフォーム、ヘルメットなどが販売されているのであった。

1img_4956

さて、私の居た頃はノーラン・ライアン氏はテキサス州のみならず全米で超有名な選手であった。
ある日、店の飾り棚を見るとノーラン・ライアン選手のサインが入ったボールが置かれていた。
暫し逡巡したが息子も手に入れたいというので、購った次第であった。
現在、どのくらいの価値があるのか、それと共に本物かどうか、とても興味あるところである。

1img_4957 

   

2018年1月12日 (金)

体調管理

1img_4951 

三日前は春の様な暖かい日であったが、不覚にも風邪をひいてしまった。
私の風邪は市販薬や一般的な処方薬では効き目が発現せず、殆どの場合は気管支炎にまで進行してしまうのである。
こういうことはもう20年以上の長きに亘って続いているのであるが、近所の医院では状況を説明しても効果のある薬を処方してくれることはなかった。
そこで、昨年の大風邪を契機に近所の総合病院を訪ねることに決めており、今回もその病院を訪ねたのであった。
そして、運の良いことに夏に診ていただいたドクターが居られ、このドクターから前回の実績も踏まえて抗生物質を含む治療薬を処方していただけたのであった。
そのお陰をもって、今では軽い咳が残る程度になっている。
来週は所用で大阪に行かねばならないのであるが、キャンセルしないですみそうである。

   

2018年1月11日 (木)

NY/ アイスホッケー (パック:NEW YORK RANGERS)

1img_4966 

年が明けても相変わらず部屋の整理を続けている。
とはいっても、精力的に行っている訳ではなくて気の向いた時に少しずつ進めている。
したがって、なかなか捗らないのであるが、その主たる要因はクローゼットから出てくるものを見るたびにその品々を眺めているからである。

さて、今日見つけたものは息子の本棚からである。
ニューヨークに勤務していた1994年の冬に「Madison Square Garden」に「NEW YORK RANGERS」の試合を観に行く機会があり、その際にギフトショップで購ったアイスホッケーのパックである。
専用の飾りケースも一緒に販売されていて、パックはこれに入れて保管していたのであった。

1img_4964 

ケースを開けると、真っ先にゴムの苦い匂いが鼻に飛び込んできた。
久しぶりに手にするとカチカチの触感に加えて存外に重量が大きく感じられた。

寸法を測って見ると、
直径:3インチ
厚さ:1インチ
であった。

1img_4968 

また、重さを確認すると
重量:6オンス(170g)
であった。

さて、今でも如実に記憶しているのは、選手はゴールを目がけて鋭いシュートを打つのあったが、数回に一回はゴールの向こう側にある観客席にパックが高速で飛び込んでいたことである。
そして、氷の上でカッチンコッチンになったパックが観客に当たるのを何回か目撃したが、観客は分厚いコートを着ておられたためであろうか、だれも怪我をしなかった様子であった。
あの高速で飛んでくるパックはなかなか避けきれるものではなく、顔面に当たろうものなら大怪我では済まないのではないかと思ったことが一番大きく記憶することである。

   

2018年1月10日 (水)

平家パイ

1img_3313 

先日、「何かこれはという甘い物はないかいなァ。」と大手スーパーマーケットのお菓子売り場を歩いていた時のことである。
なにやら蠱惑的な雰囲気のお菓子が目の隅をかすめたのであった。
ふと立ち止まってそのお菓子を見ると、パッケージに「平家パイ」と記されていた。
「はて面妖な。源氏パイなら幼い頃から食べておったがのう。」
と思った瞬間に、隣に「源氏パイ」が並べてあるのに気付いた次第であった。
パイの源平合戦というところであろうか。

1img_3311 

早速、「平家パイ」と「源氏パイ」の徳用袋をムンズと掴み、レジに向かったのであった。

1img_3322

1img_3320 

持ち帰って袋を開けると、個別包装されたパイが出てきた。
「平家パイ」も「源氏パイ」も海外での販売も行われているようで、名前以外は英語で表記されていた。

1img_3327 

中身を出してみると、「平家パイ」は洋酒に漬されたレーズンが中央に置かれていた。
一齧りしてみると、生地のクリスピーさにしっとりしたレーズンの歯応えが絶妙である。
咀嚼を繰り返すと、ラムレーズンの様な酒精味を帯びたレーズンの甘味と焼かれた生地のバター風味の小麦粉味が得も言えぬ大人の味わいであった。
一方、「源氏パイ」は表面にお馴染みの光沢を湛えるとともに重ねられた生地が波打つ層として現れていた。
これも一齧りしてみると、うなぎパイに類似した(あるいはうなぎパイが類似しているのかも)ブロック的に崩壊していく様相を呈したのであった。
更には、縁取り部分の甘く香ばしい部分がホロリハラリと剥がれ、これだけをいただくという楽しさも昔のままであった。

1img_3328 

ところで、「源氏パイ」は幼い頃から知っていたものの、「平家パイ」はいつ頃から世の中にでているのであろうか・・・。
ネット情報を探すと、「源氏パイ」がリリースされたのは1965年であり、私が12歳の頃のことである。
一方「平家パイ」の市場リリースは2012年ということであった。

そういえば、源氏があるのであれば平家があってもおかしくはないはずであることに気付くべきであるが、幼い頃は古典文学に興味もなく、またその後も我が知識は進化を遂げておらず、源氏パイを知っているだけで特に不思議を感じることないままこの歳まで来てしまっていたのであった。
なお、源平にような対立概念をベースにした命名について考察を続けると、夜のお菓子「うなぎパイ」に対して昼のお菓子「穴子パイ」はないのか、はたまた滋養強壮の「ウツボパイ」はどうか、などととどまるところが無くなりそうそうである。

   

2018年1月 9日 (火)

小金井/ 玉川上水 (めじろ)

1img_4943 

天気予報によると今日は四月の気温となるということであった。
久しぶりに玉川上水の淵を歩いていると、天気予報の通り気温は上がっていた。
そして、暖かい空気に誘われたのであろうか、一羽のめじろが花を咲かせ始めた木の枝に留まった。
めじろは私からほんの2m程の近さにいたのであったが、私を警戒するでもなく花から蜜を吸っている様子であった。
春は未だ二カ月以上先であるが、今日は春のような暖かい日中であった。

1img_4944 

   

2018年1月 8日 (月)

年賀葉書/ 平成三十年年賀葉書

1img_0005001 

昨日のことである。
ネットのニュースを見ていたら、日本郵便の平成三十年の年賀葉書に小さな文字が記されているとの記事が掲載されていた。
本当かいな?と思いつつ改めて年賀葉書を見てみると、あった!のであった。
戌年に因んで犬の顔などが富士山をベースにデザインされているだけでも目出度いのに、更に意匠をこらしたデザインに微細な文字が記されていて、思わず「やるのう!」と呟いたのであった。
なお、作者名など詳しくは日本郵便のHPに掲載されているそうである。

1img_4934 フじ

1img_4936004 FUJI

1img_4936001 あけまして おめでとうございます

   

2018年1月 7日 (日)

新宿/ 動く歩道

1img_4897 

私が初めて「動く歩道」歩いたのは、私の記憶が確かであるならば1970年の大阪万博の会場内か或いは千里中央駅の構内であった。
その後、日本の各地に動く歩道が設置されたように記憶しているが、今現在動く歩道として私が即座に列挙できるのは①JR恵比寿駅から恵比寿ガーデンプレイスの間と②新宿駅から都庁までの二系列のみである。

先日、所用で新宿に出掛けたが、その際に動く歩道を利用して都庁方面に向かった。

1img_4898 人の流れは、歩く人(左側)と動く歩道に向かう人(右側)に分かれた

JR新宿駅を出て西口タクシー乗り場を右手に見ながら進むと、そのまま徒歩で直進する人の流れと、動く歩道の始点に向かって右側に進む人の流れに分かれた。

1img_4900 

1img_4901 動く歩道の始点

1img_4902 動く歩道を利用する人の姿が壁に反射していた

私も動く歩道に乗ったが、コンベアのスピードは歩く人とほぼ同等のようであった。
しかしながら、この時は朝の通勤ラッシュ時であったせいか、左右二列で利用できるコンベアに乗った人は左側も右側も足早に歩いていて、徒歩の人達よりは遥かに速い速度で進んでいたのであった。

   

2018年1月 6日 (土)

小金井/ 緊急地震速報

Screenshot_20180105110322 スマホ画面

昨日、バスに乗っていた時のことである。
時は午前11時3分、スマホが激しく振動するとともに大音量で緊急地震速報が鳴り響いた。
バスの中には数人の乗客しかいなかったが、それぞれの人のスマホからも同様の音がしてバスの中に最初は訝しさ、次いで緊張が走った。
そしてバスの業務無線にも地震警報が発せられた旨連絡が入り始めた。
バスの中では揺れは感じられなかったし、窓外に見える建物にも変化はなかった。
私自身は6年前の東日本大震災の時は汐留のビルに居て、ビルの大きな揺れと交通麻痺で翌日の帰宅を余儀なくされた記憶が蘇えったのであった。
昨日の緊急地震警報は、茨城県と福井県で同時刻に発生した地震を気象庁の観測機器が感知したことによるもののようで、特に小金井市では揺れは感じるものではなかったようであった。
そして、今回の地震警報については、上記の事象を踏まえてシステムの改善が必要であるということが明確になったようである。

なお、システムの改善が必要とはいえ、このような地震警報システムが日本にはあり、かつそれがブラッシュアップされていくというのは、地震の発生後短時間ではあるが安全を確保する準備(少なくとも心構え)ができるため、ありがたいことである。

ところで、今回の地震警報を受けた人でどれくらいの人達が対応動作に移れたかは、この地震警報システムを有効に活用することにおいて重要な課題となるであろうと推察している。
なぜなら、私自身も、或いはバスの中に居た人達も、更には道行く人達も、私が見た限りにおいて何らアクションらしきものをできていなかったからである。

   

2018年1月 5日 (金)

イスタンブール(トルコ)/ ピスタチオ

1img_4879 

昨年末のことであったが、息子がイスタンブールに二週間ほど出張していた。
その際に手土産として買ってきてくれた品の中にピスタチオ(antepfıstığı)があった。
息子によると、ピスタチオはトルコの名産物だそうである。

1img_4876 

袋を開けて器に移すと、ローストされたピスタチオの少し香ばしい香がした。
硬い殻を裂け目から割って実を出して薄皮を取ると、ライトグリーンあるいはライトイエローの実が現れた。
軽い歯応えを感じながら咀嚼すると、薄い塩味に次いで淡い苦味を伴なったデンプン味が感じられた。
ピスタチオはビールの様な低アルコールの飲料からRAKI(ラク、トルコの蒸留酒)のような高アルコール含有量のハードリカーまであらゆる酒に合うおつまみのようである。
私は、熱燗でいただいたのであったが食べ始めたらなかなか止まらなくなったのであった。

   

続きを読む "イスタンブール(トルコ)/ ピスタチオ" »

2018年1月 4日 (木)

千葉/ 落花生 (甘納豆)

1img_4887 

先日、娘が大学時代のゼミの友人に会いに出掛けた。
その友人の人は千葉県船橋市に在住される人であって、JRを乗り継いで船橋に行ったのであったが、帰りに落花生でできた甘納豆を買ってきてくれたのであった。
千葉県は落花生の生産では国内の八割を占める大生産地として有名であり、いろいろな土産品も販売されている。
敢えて述べるまでもなく、私も多くの人と同じように殻付きの落花生やローストした落花生は食べたことがあった。
しかしながら、甘納豆に仕上げられた落花生は初めてであった。

1img_4888 

袋の裏側を見ると、「おおまさり」という品種の落花生が使われているとのことである。
更に詳しく見ると、この落花生の甘納豆は「子供のおやつ」、「お茶の友」、のみならず「酒の友」にもなるように工夫されていると書いてあった。

1img_4890 

早速にいただいてみた。
先ず口当たりであるが、落花生で経験する硬い芯は全く感じられず、むしろ全体的にしっとりとした柔らかい食感であった。
この食感は、例えば大きな豆の甘納豆で感じるあの柔和な食感と全く同じであった。
また、味わいも一般的な甘納豆のものと同様で、くどさのない優しい甘味であった。
この味わいは、説明書きにあったように「お茶の友」として申し分なく、また子供のおやつとしても喜ばれるものであろうと納得するところである。
なお、「酒の友」としての評価であるが、私個人的にはコニャックには佳いように感じたが、清酒と合わせるのは2~3粒程度が限度ではなかろうかと思料した次第であった。

   

2018年1月 3日 (水)

お年玉

1img_4806 

年末から昨日まで息子一家が来ていた。
息子一家には二人の娘が居て、当然のことながら二人は我が孫娘である。
彼らは小学校5年生と1年生であり、元旦に貰うお年玉には大喜びである。
今年は、現金と図書カード手渡したが、5年生は図書カードに特段喜んでいた。
なお、おまけではあったが、食パン型の消しゴム(3cmX3cmX5cm程)、マグネットの付いた三色団子と鯛焼を付けたが、これらは親の方に受けたようであった。

   

続きを読む "お年玉" »

2018年1月 2日 (火)

初清酒

1img_8646 

新春を寿いで、元旦は金粉の入った清酒をいただいた。
今年の初清酒であった。
正月はやはり清酒が一番である。

   

2018年1月 1日 (月)

謹賀新年

1dsc_1566001

謹賀新年

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

本年も皆さまにとりまして益々幸多き歳となりますよう心からお祈り申し上げます。

小金井のジャッカル
Jackal from Koganei (JFK)

  

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

カテゴリー

無料ブログはココログ