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2015年9月15日 (火)

阿倍野(大阪)/ 古潭 アベ地下店 (しょうゆラーメン、餃子)

1dsc09249 古潭(アベノ地下店)

当店に初めて入ったのは、私が高校生の時であった。
多分、初入店は高校2年生の冬、期末テストの最終日が終わったその日ではなかったであろうか?
まあ、概ねこの頃であって、冬だったのか、あるいは夏だったのか、テストの後だったのか、全てが曖昧模糊としている。
当店の創業は1967年で、私が高校に入学した時には既に当店は営業を始めていた。
当時は阿倍野地下街(アベ地下)の近鉄デパートに近い場所にあり、何時も多くのお客で賑わっていたように記憶している。
1970年代初頭は昨今のようにラーメン店が街中に乱立している時代ではなく、「古潭」は大阪のラーメン店としては草分け的な存在であると認識しているが、異論を唱える人は多くないように思っている。

現在の「古潭」は16店舗を展開する存在となっているのであるが、「古潭 アベ地下店」は所謂創業店であると認識しているが確信はない。

先週の日曜日に所用があって大阪市内に出掛けた際に「古潭 アベ地下店」に立ち寄った。

1dsc09264 店の前には行列

アベ地下は日曜日の昼時であるにも係わらず行き交う人は疎らであった。
が、「古潭 アベ地下店」の前だけは10人ほどの人が列をなしていた。
何時もならば列には並ばないのであるが、41年ぶりに訪れたことから「必食の覚悟」を固めていたので列の最後尾に付いたのであった。
店内はテーブル席・カウンター席と約30人ほど収容できそうであり、また客回転も良かったことから10分程度で入店が叶い、カウンター席に中程に案内された。

なお、列の先頭付近になったら店員のお兄さんが注文を取りにきたので尋ねると、しょうゆラーメンは創業当時からのものと改めて確認できたので、「しょうゆラーメン」と「餃子」をいただくことにした。

1dsc09254 餃子

1dsc09252 カウンター上の調味料

着席して暫らくすると、まず「餃子」が運ばれてきた。
高校生の頃は、餃子があったのかどうかは記憶にないが、もしあったとしても注文するだけの金銭的余裕は無かったであろう。
卓上の餃子のタレとラー油を小皿に入れて、ジュブと漬けていただいた。

1dsc09260 しょうゆラーメン

一つ目の餃子を食していると、注文した「しょうゆラーメン」が目の前に置かれた。
まず、スープを一口含んでみた。
トロリとした口当たりのスープであったが、41年以上前に味わったのと同じかどうかについては分からなかった。
また、舌の上と上顎前部の間のトロリとした感じと動物系の香りとコクは何処かで経験したものであったが、これが41年前の当店でのことであったかどうかも分からなかった。

この時のことである。
店舗の場所が変わり、また店内の設えや明るさも変わった中、大昔の記憶だけを探りながらラーメンを啜る自分を、もう一人の自分が冷静な目で見ているのであった。

1dsc09263 店主口上(古潭のラーメンが秘める力)

1dsc09251 トッピングのヴァリエーション

40数年前の昔にはこのようなリッチな取り合わせは不可能であった、と思う。

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コメント

41年ぶりの再訪とはすごいですね!歴史的瞬間に立ち会わせていただいたようで、感激しております。
大阪といえば食の激戦区、半世紀近くも店を維持し続けたばかりか、チェーン店を展開するに至った
とは、相当高レベルな味なのでしょうね。でもなんとなく大阪では関東ほどラーメンに人気がないような
気がしてしまうのですが、東夷の偏見でしょうか。

店に熊の顔の木彫りがありますねぇ。今でも時々土産物屋で見かけますが、かつてほど人気がないのか、
数も減りつつあるような気がします。と言いつつ、わが生家にも父が北海道出張の折に買い求めたか、
頂いたかしたものが50年近く飾ってあるのですが・・・。

すごいな~
高校生の時に食べたラーメン屋さんで青春の味(笑) を楽しむなんて

スープも変わってるかも知れないけど いま、そこに自分がいるってことが素敵~

今はトッピングできるし それだけで楽しめちゃうのがいいですよん

餃子もパリパリの焼き上がりみたいだし

大阪っていうと たこ焼きのイメージが強いんですよん。
でも、やっぱりね~ ラーメンって美味しいですもん 食べたくなりますよねん。
そう、TVで見たんですけど京都の人達はラーメンが好きみたいなんです。ラーメン屋さんもはんぱなく多いみたい

京都って はんなりしてて懐石料理のイメージが強いかな
なので ちょっとビックリしたんですよん

ラーメン、食べたくなっちゃいます。

Kabochanさん
長きに亘って返事を認めず、大変失礼いたしました。
さて、41年ぶりと本文には書きましたが、その後良く考えてみましたら、高校3年(18歳)を最後の訪問としますと44年程前のことになります。
この44年の間に店の前を通り過ぎることを何度か繰り返しておりましたが入店の機会を得ず、先日の訪問となった次第でした。
今回の訪問は、私個人といたしまして感慨深いものがあるにはあったのですが、店の様相が変わってしまっていたこともありまして、懐かしさという部分ではこみあげるものは余り感じられなかったというのも事実でした。
大阪のラーメン事情は良くはしりませんが、繁華街における密集度は東京も大阪も大差はないように感じておりました。
今後大阪に行く頻度は増えそうですので、観察いたす所存です。
熊の木彫りは激減した様なことを何年か前のテレビ報道で知りましたが、私たちの親の世代の家々(=友人の家)にはかなりの割合で鮭を咥えた熊の置物があったように記憶しています。
我が家では両親が旅行を殆どしなかったことから置物に限らず土産の品はありませんでしたが・・・。

ミントさん
コメントをいただきながら返事をさしあげることもせず、大変失礼いたしました。
青春の味、ですか。
実は昔の味を憶えているようないないような、記憶が曖昧な状態です。
仰るようにそこに居るということだけで感慨深いものはありますね。
昔はラーメン店で餃子を食べるなんてことは思いもしませんでしたが、今はあちこちのお店で餃子は勿論のこと、お酒の肴もいただけるようになりましたから、今の方が店を選択する幅は広くなりましたね。
大阪ははたこ焼きやお好み焼きなどの粉物、京都は会席料理や和菓子を筆頭とする和のテイスト、というイメージが強いですね。
しかしながら、実際はみな同じ日本人ですから嗜好は似たり寄ったりではないかと思いますが、いかがでしょう。
京都で6年間を過ごしましたが、京都出身の友人たちは焼肉、餃子、ラーメン、などなど皆コッテリ系を好んでいました。
今でも同窓会などで会うと、年齢による嗜好の変化は現れてきていますが、元気な友人たちはギトギト・コッテリ系です。
余談ではありますが、「おばんざい」という言葉はもともとの京都人は使わず、また「おばんざい」と称するものをお客に供する店は40年位までは皆無であったように聴いたことがあります。
イメージとは、土地の人間が作るものではなくて、他所から訪れた人達によって形成されていくものかも知れませんですね。

古潭は私も知っています。中学校時代は、この近くに通っていましたのでね。でも中学時代には入ったことはなかったと思います。むしろ10年前に大阪に単身赴任していた時代に、天王寺駅に務めていた弟と入った記憶があります。40数年続いているのですから、まあ、美味いというべきでしょう。今日は、この天王寺あたりで同窓会です。

Kincyanさん
やはりご存じでしたか。そりゃ~地元の均ちゃんが知らないわけはありませんね。
それにしましても、初入店が50歳の頃ということですから地元の人はあまり行かないのでしょうね。
18日は阿倍野ハルカスでミニ同窓会だったようですね。
私は11月の初旬から中旬にかけて大阪に行きますので、タイミングが合えば旨いものでも食べに行きましょうか?

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